『歎異鈔集記(中巻)』  高原覚正著 本文へジャンプ

   

七 第九章 悲  願

一、念仏まふ(もう)しさふら()ども、踊躍(ゆやく)歓喜(かんぎ)のこころおろそかにさふらふ(そうろう)こと、また、いそぎ浄土へまひりたきこ()ろのさふ(そう)()ぬは、いかにとさふら(そうろ)うべきことにてさふら(そうろ)うやらんと、まふ(もう)しいれてさふ(そう)()しかば、親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこゝろにてありけり。
 よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、よろこばぬにて、いよいよ往生は一定(いちじょう)とおも()まふ(もう)べきなり。よろこぶべきこゝろをおさ()てよろこばせざるは煩悩の所為(しょい)なり。しかるに、仏かねてしろしめして、煩悩具足の凡夫とおはせられたることなれば、他力の悲願は、かくのごときのわれらがためなりけりとしられて、いよいよたのもしくおぼゆるなり。
 また浄土へいそざまひりたきこゝろのなくて、いさゝか所労のこともあれば、死なんずるやらんとこゝろぼそくおぼゆることも煩悩の所為なり。久遠劫(くおんごう)よりいまゝで流転せる苦悩の旧里(くり)はすてがたく、いまだ()まれざる安養の浄土はこひしからずさふら(そうろ)うこと、まことによくよく煩悩の興盛(こうじょう)さふら(そうろ)うにこそ。なごりおしくおも()ども、裟婆の縁つきて、ちからなくしておはるときに、かの土へはま()るべきなり。いそぎま()りたきこころなきものを、ことにあ()れみたまふなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく往生は決定(けつじょう)と存じさふ(そう)()
 踊躍歓喜のこゝろもあり、いそぎ浄土へもま()りたくさふらはんには、煩悩のなきやらんとあやしくさふ(そう)()なましと云々。(定本・親鸞聖人全集・第四巻言行篇・1・11)


第一節 師 と 弟 子

   経験というもの

 人間は、経験によって人間となるのであります。
 すなわち、人間が、何かを経験するのではなく、何かを経験することによって、人間となるのであります。経験は厳粛なる事実であります。つまり、人間は、経験の蓄積であるとともに、何を、どのように経験し、それをどのようにうけてきたかという、その経験によってつくられたものが、わたしという存在であります。経験をぬきにして、わたしという存在は考えられないのであります。

 しかも、わたしが何かを経験するといえど、その経験は、わたしの意志や理知・分別を超えたものであり、善悪の価値を超えたものであります。しかし、人間は、自分の意志で何かを経験するように思い、自分の意志によって思うがごとく、自由に、何かを経験するように考えているのであります。また、一つの経験は、ただ運命的なものであると、経験を消極的に考えている場合もあります。けれども、経験というものは、もっと、厳粛なものであります。  

善き心のおこるも宿業(しゅくごう)のもよおす故なり、悪事の思われせらるゝも悪業の(はか)らうゆえなり。故聖人の仰せには「()の毛・羊の毛の(さき)にいる(ちり)ばかりも、つくる罪の宿業にあらずということなしと知るべし」と候らいき。(『歎異鈔』第十三章)

と説かれているごとく、あらゆる経験は、宿業であり、他力であります。一般的に、「自分が経験した」とか、「自分の意志によって選んだ経験である」とか、というように考えていますが、その経験は、自分自身で選んだものであろうとなかろうと、わたしを超えたものであります。一つの経験は、わたしのうえにおきた事柄でありますが、わたしを超えたところの宿業・他力によるものであります。因縁、すなわち、無数の条件・無数の関係によってなりたったものであります。それほど、一つの経験というものは厳粛なものであり、偉大なものであります。
 何かの経験は、わたしのうえにおきるのでありますが、宿業・他力、つまり、因縁によるものであります。その、宿業・他力・因縁というものは、わたしより大きいのであります。わたしを超え、個人を超えたものであります。この、わたしより大きいものが、たまたま、わたしを場として、一つの経験としてなりたつのであります。しかし、ここで一つの問題が生ずることになります。すなわち、わたしを場としてなりたっていますが、わたしより大きい、わたしの経験を、私有化する、個人化する。つまり、わたしを場としておきた経験を、わたしが経験したものであるという思いあがりをもつことであります。経験を私有化し、実体化し、対象化・観念化するのでありますが、そのとき、体験執(法執)を生み、体験主義におちいるのであります。(上巻・一三三、二六三・註23−30参照)この問題が、『大無量寿経』に説かれている第二十願の問題であり、第九章の問題であり、この問題を如何に克服するかが、第九章のもつ課題であります。

 考えてみますと、わたしを超えたものを経験するほど、わたしというものは大きい存在であります。「よく、こんな事ができた、まったく不思議な事である」と、一つの経験を、善悪を超え、感動をもってうけとるとき、その経験の意味がかわり、わたしは、わたしを超えて大きくなるのであります。しかし、一つの経験を、私有化し実体化するとき、すなわち、その経験に執着するとき、その経験は――経験というものがもっているところの――意義をうしない、また、その人間そのものも、その経験によって汚れ、その経験は小さなものとなります。
 如何なる経験も、わたしを場としてなりたっているが、わたしがなしとげたものでなく、宿業・他力によるものであると自覚されたところに、大きな感動、すなわち、純粋感情の世界がひらかれるのであります。そのときわたしは、単なるわたしでなく、大なる存在となるのであります。また、その純粋感情の世界という経験も宿業・他力によるものでありますから、その経験の意義を深くうけとるとき、さらに、わたしという存在は深いものとなっていくのであります。このようにして、人間は、経験によって無限に大きく、深く育てられるものであります。しかし、一つの経験を、また、純粋感情の世界までも、わたしが経験したものであると私有化し、観念化するとき、わたしが経験したという思いだけ(体験執)がのこって、経験の意義はうしなわれ、わたしというもの
は貧しい、小さな存在となり、純粋感情の世界もうしなわれるのであります。このことは、現代人類の今日的課題として大きな問題であります。第九章は、この問題を如何に克服し、如何に本願の大道――人類の祖先から願ってきた道――をあきらかにしたかという記録であり、このことが、『歎異鈔』の全体をつらぬく主題であります。

 仏教学では、この体験執の問題を菩薩の第七地・遠行地(おんぎょうじ)としてあかしています。上に求むべきものもなく、下に救うべきものもなく、無相の理に沈み、修行の意欲をうしなうのであります。これを七地(ひちじ)沈空(ちんくう)の難と名づけていますが、宗教心の展開における難所であり、壁であります(註1)。法として、理として了解しているのでありますが、身が動かぬのであります。ここにとどまれば、感情の世界も消え、意欲もうしなわれるのであり、孤独に堕するのであります。
 この境地を、『疑惑和讃』に
  転輪皇(てんりんおう)の王子の
  皇につみをうるゆえに
  金鎖(こんさ)をもちてつなぎつつ
  牢獄にいるがごとくなり

  自力諸善のひとはみな
  仏智の不思議をうたがえば
  自業自得の道理にて
  七宝(しっぽう)の獄(註2)にぞいりにける(全書・二・五二三)
と、『大無量寿経』に、胎宮の問題について説かれている譬をもって説かれています。すなわち、七宝の宮殿にとじられて、黄金の鎖をもってつながれていると、その境地を譬喩されているのであります。私的な信境――ある意味での感覚的世界はもっているのでありましょうが、新しい意欲もなければ、生気ある感情の世界もうしなっている境地と譬えられているのであります。この境地を、「信巻」別序には(註3)  

自性(じしょう)唯心に沈んで、浄土の真証を(へん)し、定散の自心に迷うて、金剛の真心(しんしん)(くら)し。(全書・二・四七)

と述べられて、この境地の克服を「信巻」の主題目としておられるのであります。『歎異鈔』第九章も、「信巻」に対応して、この七宝の獄・胎生・第二十願の問題を克服することを課題としているのであります。親鸞聖人の教学において、「信巻」と同じく、重要にして、独自の位置をもっているのであります。

 『歎異鈔』の第八章までは、他力念仏・本願の歴史をあきらかにしてきたのでありますが、第九章にいたって大信・浄信といわれる真実信心の問題を解明することになったわけであります。

  ┌前八章……他力念仏・大行・本願の歴史……法……外
  |
  └第九章……信心・大信・廻向の信  ………機……内

 第二章で、本願の歴史(弥陀・釈迦・善導・法然)をうけて「愚身の信心」といわれ、第三章で「他力をたのむ悪人」といわれてきた機の問題・実存の問題をまさしく、具体的に、身の事実としてあきらかにしているのが、第九章であります。
 「証巻」には、曇鸞大師の『論註』の言葉を引いて  

此の菩薩、安楽浄土に生まれて、阿弥陀仏を見んと願ず、阿弥陀仏を見たてまつる時、上地(じょうち)の諸の菩薩と、畢竟(ひっきょう)じて、身等しく法等し。(全書・二・一〇八)

と説かれています。すなわち、阿弥陀仏を見たてまつるとき、下位(七地以下)の菩薩と上地(八地以上)の菩薩と、求むる法も等しく、その身も等しくなると説かれているのであります。
 この『論註』の文そのものの解釈は別として、「身等しく法等し」という言葉によって考えるとき、『歎異鈔』の師訓・前八章は、一応、法等しきことをあきらかにされたといえましょう。念仏の法・絶対他力の大道・本願の歴史をあきらかにせられたと考えられます。第九章にきたって、「身等し」という問題をあきらかにすることになるのであります。
 本願念仏の法に対する観念性をやぶって、身証していくのであります。身についた、生活についた本願念仏の法を地上に成就していく、その課題にこたえるのが第九章であります。

   弟子・唯円の告白
  

「念仏もうし候へども、踊躍歓喜の心おろそかに候うこと、また、いそぎ浄土へ参りたき心の候わぬは、如何にと候うべきことにて候うやらん」と申しいれて候らいしかば、「親鸞も、この不審ありつるに、唯円房おなじ心にてありけり」。

 本文にはいって学ぶこととします。この第九章を、了祥師は不喜不快章と名づけられています。この不喜・不快ということは『教行信証』の「信巻」末の、愚禿悲歎述懐に  

誠に知んぬ、悲しきかな、愚禿鸞(くとくらん)。愛欲の広海に沈没(ちんもつ)し、名利の大山(たいせん)に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを(たのし)まず、恥づべし傷むべし矣。(全書・二・八〇)

と述懐されているものによられたものであります。すなわち
 『歎異鈔』踊躍歓喜の心おろそかに候……………『教行信証』定聚の数に入ることを喜ばず
 『歎異鈔』いそぎ浄土へ参りたき心の候わぬ……『教行信証』真証の証に近づくことを快まず
と、了祥師は、『歎異鈔』と『教行信証』とを対応させて、考えておられるのであります。しかし、この『教行信証』の親鸞聖人の悲歎述懐と、『歎異鈔』の唯円の告白とを、直接に対応させることは問題がのこると考えられるのでありますが、そのことは後にふれることとします。

 唯円の「踊躍歓喜の心おろそかに候」と「いそぎ浄土へ参りたき心の候わぬ」の告白(註4)は、そのまま、さきに学んだところの体験主義にとどまって、純粋感情の世界をうしない、純粋意欲をおこすことができなくなったという問題の告白であります。そのまま、七地沈空の難の告白であり、胎宮の問題を述べられているのであります。
 「念仏申し候えども……」求道はしているつもりではありますが、かつてのように、踊りあがるほどの喜び(純粋感情)もなく、浄土を願う心(純粋意欲・願生心)も、一向にわいて来ないのでありますと、二つの問題を唯円は正直に、師の親鸞聖人に、おそるおそる告白しているのであります。
 「心の候わぬは、如何にと候べきことにて候やらんと申し入れて候いしかば」――心がございませんのは、どうしたものでございましょうか、とお尋ねいたしましたところ――と、曲がりくねったようないい方で、聖人に尋ねているのであります。遠慮ぶかく、しかし、何うしたらよいかと、実践の問題を聞いているのであります。
 この唯円の問わんとしている二つの問題も、曲がり遠い表現で尋ねている姿勢も、そのままに、体験主義にたっているもののもつものであります。心中が、はっきりしない、そうかといって何もないのではない、心の底に何かもっている。いま、生き生きしたものはないが、心の底には「信心を得た」という思いをもっている。それで言葉も、身も、心も重いのであります。晴れないのであります。このことが、沈空といわれ、自性(じしょう)唯心に沈むといわれる体験主義にたっているものの問題点であります。

 この問題を、『大無量寿経』の本願にもとめると、第二十願の問題であります。  

たとい、我仏を得んに、十方の衆生、我が名号を聞き、念を我が国に()けて、諸の徳本を植え、至心に廻向して、我が国に生まれんと欲せん。果逐(かすい)せずば、正覚を取らじ。(全書・一・一〇「化身土巻」所引)

 この第二十願を、親鸞聖人は至心(ししん)廻向の願と名づけられていますが、この願名が、よく第二十願をいいあてていると考えられます。『観無量寿経』には、「正宗分」に定散(じょうさん)の諸善、「流通分」に念仏が説かれている(註5)のであります。その念仏をうけて、定散自力の心をもって、その功徳を目にかけ、称名の功をつのり、その功によって臨終来迎を得て往生せんとすることを説いているのが『阿弥陀経』であります。この『阿弥陀経』は、本願にもとむれば第二十願であります。ことに、その第二十願の願名を至心廻向の願と名づけられているのでありますがよく、第二十願・『阿弥陀経』の意をよくあらわしていると考えられます。
 すなわち、第二十願においては、その教法は本願念仏の法であり、純粋なる教法でありますが、その法を修せんとする機は定散自力の機・人間的・理知的立場を超えておらぬものであります。それで、古来から、教頓機漸(本書・註<二 第四章>・1参照)といわれ、教法は純粋・絶対の教法であるが、それを修する人間は純粋・絶対でないという教と機とが矛盾する形で関係しあっているのが第二十願であると説かれています。
 教と機、修せられる教法と修する人間とが矛盾関係にあるということ、また、その矛盾関係をもったものが、『大無量寿経』の本願のうちに、第二十願として位置づけられているということは、仏道の展開のうえに、いいかえれば、人間形成のうえに深い意味をもつのであります。すなわち、自力的・理知的立場の人間を、他力本願の世界・純粋感情の世界に誘引する、転入せしめる、という深広な意味をもつのが第二十願であります。修せられる教法と、それを修する人間とが矛盾関係にあるということは、人間形成のうえに大切なことであります。己れを超えたものにとっくむというところに、新しい自己がつくられるのであります。人間形成は、直線的につくられないものであり、必ず、大きな屈折二つの転回、すなわち、自己否定を必要とするのであります。このような人間形成の問題が、本願のうちに、第二十願として、すでに、説かれているということを注意ぶかく読みとらねばならないのであります。
 この第二十願を、親鸞聖人は「既にして、悲願います」(全書・二・一五八「化巻」本)と、驚きをもって見いだされています。この第二十願がちかわれているところに、如来の大悲を、すなわち、本願の宗教の深い配慮を感じとっておられるのであります。
 人類の歴史は、『大無量寿経』の本願という形となって、このような深い配慮を子孫にのこしているのであります。いまだ、この第二十願が含蓄している課題は、入校の思想史の表面にあらわれておらないのであります。しかも、『大無量寿経』には、人類の祖先ののこした叡智として、如来の大悲として、記録されているのであります。それが「既にして、悲願います」という驚きをもって、親鸞聖人によって見いだされたのであります。聖人によって、第二十願が見いだされたということは、人類の歴史的事件であり、仏道史上の大きな事件であると考えられます。
 かかる人類史的問題を、唯円は無自覚の形で、自己の問題とし、苦悩し、親鸞聖人の導きにより、第二十願の課題を克服して、第十八願の純粋宗教の世界・純粋感情の世界に身をもって転入していった記録が、『歎異鈔』第九章であります。『歎異鈔』第九章の位置は、この意味で、仏道史・人類史のうえにおいて偉大なるものであることを思うのであります。

   師・親鸞の応答

 親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじ心にてありけり。
 この第九章の文を、主語のない文体であり、独特の文章であると、曾我量深先生は注意されています。(曽我量深選集・第六巻・『歎異鈔聴記』二二二)「念仏もうし候へども」と、誰れが誰れに問いかけているかわからないままで書きだされているこの第九章の文章には、わが身の内面的な苦悩をもてあまし、身をのりだして問いかけている、誰れかの姿勢を感じ、また、われわれの身をものりださしめるものがあります。「おのおの十余ケ国の境を越えて、身命をかえりみずして尋ね来らしめ給う御こころざし」と書き出されている第二章もそうでありますが、『歎異鈔』の文章の勝れていることを、あらためて考えさせられ、このような文章を書かしめるまでに、人間を形成しその教養を高めていくところの本願の宗教、ひいては師・親鸞を思うのであります。
 主語のない文である第九章は、「親鸞も」というこの一節にきて、親鸞と唯円の対話であったことがわかるのであります。この第九章と第十三章に唯円の名がでているところから、了祥師は、『歎異鈔』の作者は唯円であることを論証されています。

 さて、本文にはいって学ぶこととします。
 「親鸞もこの不審ありつるに」とある、この「ありつるに(註6)」という言葉を、曾我量深先生は「ありつつある」(曽我量深選集・第十二巻・二九三)という意味にとって、親鸞と唯円の、第九章の対面・対話を深くお考えになっておられます。
 実は、親鸞聖人は法然門下として京都におられたころのこと、越後流罪のころのこと、関東におけるころのことを、そのころからずっと、体験にとどまるという第二十願の問題を考えておられたことを、唯円の問いによって想いおこされたのでありましょう。いや真宗仏教を見いだしながら、第十七願の宗教・廻向の宗教、すなわち本願の歴史を讃嘆するばかりであるところの宗教を見いだしながら、今なお「定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快まず」している「愚禿鸞」を、唯円の問いによって気づかしめられたのであり、わがことの問題として、身をのりだすように
  親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじ心にてありけり
と述べられているのであります。「念仏もうし候えども」と、純粋意欲をうしなっておそるおそる尋ねた唯円の問いに、同じ問題を、今ここに、自己のうえに見いだされ、ありつるにと、その自己の現実をとおして応答されているのであります。十余年のあいだ業を共にして聞法してきた弟子・唯円の「如何にと候うべきことにて候やらん」と問う心中を、さらに、求道の難関である第二十願の問題を思いとって、「唯円房おなじ心にてありけり」と答えられているのであります。唯円の問いは、唯円の個人的意識の問題でありますが、親鸞聖人は、唯円の個人的意識を、わがこととうけて、ともに、その問いの仏道史的意義、すなわち、求道の歴史上の問題として、教学の問題として、その問いをおうけになっておられるのであります。
 ありけりは詠嘆の言葉であります。ありつるにとありけりという言葉に、唯円の現在の痛みを深くうけとっておられる聖人の姿勢を感ずるのであります。唯円の現在の痛みを、「親鸞も」とうけとり、そこにひらかれた同体感を、さらに、深く見きわめて、唯円の問いの歴史的意義を見いだされている、聖人の眼が、ありつるにとありけりというお言葉に感ぜられるのであります。

 ありつるに、といわれているところの、第二十願の問題、体験にとどまる問題は、道を求め歩むものにとって大きな難関であります。純粋感情・純粋意欲をうしなわしめ、それ故に、孤独におちいらしめ、しかも、個人的には自己満足にふけらしめるという、求道者にとって、大変な関門であり、また、何んともならぬ障碍であります。人間的・理知的立場からは解決のできないものであり、人間の実存における最大の関所であります。なお、第二十願の問題は、生涯をとおして、続く問題であり、一歩一歩超えていかねばならぬ問題であります。個人の問題が、そのまま、人類の永遠の課題であります。「親鸞も、この不審ありつるに」と申されているところは、親鸞聖人のゆるぎのない、深い自己洞察の言薬であり、また、唯円との問答をとおして、人類の課題にこたえんとされる感動のあらわれでありましょう。
 かかる、求道にとって最大の難関であり、永遠の問題を、さらにいえば、菩薩の第七地という仏道史的問題を唯円がおそるおそる、いまここに、問いかけているのであり、それをうけて聖人は「唯円房おなじ心にてありけり」と答えておられるのであります。第二十願の問題(註7)は、自己の苦悩のうえに、また、教学上に、深く注目し思索しつづけて来られたものであるだけに(法然門下・浄土の異流においては、第二十願の問題は、自己自身の問題としては、まったく考えられなかった)、その唯円の問いに驚き、深い感動をもたれたのでありましょう。「唯円房おなじ心にてありけり」と仰せになっておられるお言葉は、そのまま、われわれの驚きでもあり、感動であります。唯円は、個人的な問題として、おそるおそる問いかけているのでありますが、その問いのもっている意義は、個人を超えているのであります。それが、ありけりという過去形の詠嘆の言葉となってうけられているのであります。
 求道上の問題は、たとえ、それが個人の問題であり、個人的意識に根ざしている問題であっても、それは個人を超えて、歴史的意義をもつものであります。ただ、歴史的意義を自覚した人から位置づけられなければ、それを自覚することはできないものであり、それにはよき師を必要とするのであります。
 さきにふれたように、了祥師は、唯円の歓喜踊躍の心なく、いそぎ浄土を求むる心がないという問いを、『教行信証』の「信巻」に述べられている、親鸞聖人の悲歎述懐と対応させて、この第九章を不喜不快章と名づけておられます。
 しかし、唯円の問いは、単に、個人的立場からの痛みの告白であります。それにくらべて、『教行信証』の悲歎述懐は、その述懐の言葉に先だって、真仏弟子釈(全書・二・七五)が説かれているのであります。「信巻」末に、真仏弟子釈を述べられて、その後に、悲歎述懐を表白されているということを考えてみたいのであります。
 其の仏弟子というのは、釈迦・諸仏の弟子ということであります。金剛心の行人であり、仏から「我が善き親友」と呼ばれる人であります(註8)。この真の仏弟子ということは、親鸞聖人の自証であり、確信であります。仏から名づけられ呼ばれるということは、漠然としたものでなく、求道者における確信であります。真の仏弟子とは、教団・僧伽に加えられたという確信であり、真の共同体に参加し得たという確信であります。教団・僧伽に加わるということは、すなわち、よき師とよき友をもつということであり、これが真の救いであります。真の仏弟子の自証・確信なくして、救われるということはありません。
 さらにつづいて、「弥勒(みろく)に同じ」という問題が「信巻」末に述べられています(註8)。いわば、金剛心の行人は、弥勒、すなわち、釈迦をうけつぐものであると説かれているのであります。これも、親鸞聖人の自証であり、自覚であります。仏道の歴史・本願の歴史に対する責任の自覚であります。本願によって目覚めたものは、また、本願を荷負う責任をもつものであります。教団・僧伽に加えられたという自証をもつものは、また、教団・僧伽を引きうけて未来に向う責任があり、ここにはじめて、金剛心の行人といわれる所以があります。本願の歴史に呼ばれ、本願の歴史に加えられて救われることができたものは、また、本願の歴史を荷負することになるのでありますが、それは命令される性格のものでなく、自証されるべきものであります。みずからの自覚として、内から湧いてくる歴史感情であり、そのときに、個人的人間は、その個人性をもったまま、純粋意志(本願)にたちあがる、歴史的人間となるのであります。
 かかる、真の仏弟子(教団・僧伽に加えられたもの)の自覚と、弥勒に同じ(仏をうけつぐもの教団・僧伽の責任を荷負するもの)という自覚、すなわち、歴史的実存の自覚・歴史感情の問題が「信巻」に提起されて、その後に
  定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快まず。(全書・二・八〇)
と、悲歎述懐されているのであります。すなわち、自己自身の歴史的意義を自覚しているのであるが、しかも、眼前の事実は純粋感情も純粋意欲もない恥ずべく傷むべき身であると表白されているのであります。釈迦・諸仏から真の仏弟子と名づけられ、また、善き親友と呼ばれ、弥勒に同じという自證をもちながら、現実は「愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑」している身であって、救われることも喜ばず、求める心もおこらぬ、すなわち、純粋感情の世界も純粋意欲もうしなって日常性に転落しているという表白であります。さらにいえば、仏から真の仏弟子と名づけられ、教団・僧伽に召され、歴史的自覚をあたえられて、はじめて、自己の実存が自覚されるのであります。仏に遇わず、仏に召されないものが、愛欲の広海に沈み、名利の大山に戸惑うているという自覚、救われることを喜ばず、求める心もおこらぬという懺悔・慚愧の心はおこらぬのであります。
 この、親鸞聖人の悲歎述懐を、存覚上人は『六要鈔』に「これ悲喜交流というべし」(全書・二・三一五)と述べられ、この悲歎は、内に自証・確信をもっているのであって喜びがないのではないと述べられていることを注意しなければなりません。すなわち、現実の自己を凝視する眼をはずさず、わが身の宿業・実存を確認するとともにそのわが身が、そのまま、本願力によって、真の仏弟子・弥勒に同じという意義をあたえられていることを、内に、自証・自覚されている言葉であると、注意されているのであります。
 了祥師の注意から、このように考えてくるとき
  親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじ心にてありけり。
という言葉には、唯円の問いかけを機縁として、あらためて、わが身の事実を自覚し、本願の歴史を仰がれているのであります。そこから、悲喜交流の心をもって、ありつるにありけりと表白されているのであります。個人的意識にたって問いかけた唯円の問いをうけて、聖人は、「親鸞も」と同じ、さらに、わが身のうえに、本願の歴史的感情をうけとり、悲喜交流の心をもって、唯円とともに、大悲の本願の世界のうちにあることを再確認されて、「唯円房おなじ心にてありけり」と述懐されているのであります。


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