『歎異鈔集記』  高原覚正著 本文へジャンプ

第四節 本 願 の 展 開

   本願の歴史
 

弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言(きょごん)なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈(おんしゃく)、虚言したもうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、また、もてむなしからずそうろうか。


 第二十願と第十七願が、相対応する。第二十願の、法執(体験執)の自覚のところに、第十七願の本願の歴史が感得され、第十七願の呼びかけによって、第二十願の自覚がなりたつのであります。この二つの願の対応する関係を「地獄は一定すみかぞかし」という言葉から、学んできたのでありますが、この一節は、まさしく、その本願の歴史をあかす一節であります。
 阿弥陀仏の本願が真実であるならば、釈尊の教えが、いつわりである筈がなく、釈尊の教えがまことならば、善導のご註釈も、いつわりである筈がありません。善導のご註釈がまことならば、法然上人のおおせが、どうして、いつわりでありましょうか。と、釈尊・善導・法然という伝承が説かれていますが、親鸞聖人の伝承の系譜は七祖(ひちそ)相承(そうじょう)といって、龍樹・天親・曇鸞・道綽・善導・源信・源空の七高僧の伝承をたてられています。この七祖によって、『大無量寿経』の本願は伝承されたとされ、それを七祖相承と呼んでいますが、それに対しても『歎異鈔』は、善導・法然の二祖相承であります。この二祖相承は『観無量寿経』の伝承を、善導・法然で代表されているので、ここに、二祖相承を述べているところからも、『歎異鈔』は『観無量寿経』系統の書であるといい得るのであります。

 さて、本文にはいるに先だって、この一節を『教行信証』の「後序」(全書・二・二〇二)と対照して学ぶことにします。『教行信証』の「後序」の方は、法然上人との出あい、師資(しし)相承(師から弟子に伝えること)が、具体的に説かれ、『歎異鈔』の第二章・第四節は、原理的に説かれているのであります。しばらく「後序」によってみることにいたします。
 「後序」に親鸞聖人が、建仁元年(一二〇一・法然六九才・親鸞二九才)に、法然上人の吉水教団に参加されたこと、元久二年(一二〇五・法然七三才・親鸞三三才)に、法然上人の主著『選択集』を書写することをゆるされ(註31)、また、師の肖像の見写をゆるされて、その肖像に南無阿弥陀仏の名号と往生之業、念仏為本と、善導大師の『往生礼讃』の文を、真筆で書いていただかれたことを、深い感動をもって書きつけておられます。その『往生礼讃』の文は 

若し、我れ成仏せんに、十方の衆生、我が名号を称して、下、十声に至るまで、若し生まれずといわば、正覚を取らじ。彼の仏、今、現に、在世して成仏したまえり。当に知るべし、本誓(ほんぜい)重願(じゅうがん)(むな)しからず、衆生称念すれば、必らず、往生することを得。(全書・一・六八三)

でありますが、この『往生礼讃』の文の前半「若し我れ成仏せんに……正覚を取らじ」は第十八願文の取意(しゅうい)の文であって、いいかえれば、「弥陀の本願」。また、後半の「彼の仏、今、現に……往生することを得」の文は、第十八願成就文の取意の文であって、「釈尊の説教」であります。
 このようにして、親鸞聖人は、師の法然上人の肖像画を許され、その肖像画に銘文(賛)を書いていただかれたのでありますが、その銘文は、法然上人が、遍依(へんね)善導一師――ひとえに善導大師ひとりを師とあおぐ――とあおがれている善導大師の『往生礼讃』の文であり、その文の前半は、阿弥陀仏の本願である第十八願文、後半は釈尊の説教である第十八願成就文の取意の文であったのであります。このことを考えますと、法然上人は、ただ一人の師とあおぐ善導大師の言葉を、親鸞聖人に書きあたえられたのでありますが、そのあたえられた文の内容は、阿弥陀仏と釈尊の伝承、いわゆる、弥陀・釈迦二尊のみこと(言葉)であります。これは、善導大師から、法然上人がうけられた二尊のみことであります。それを、いままた、善導大師の文を書きあたえるという形で、法然上人は親鸞聖人に伝えられたのであらます。
 以上のように、『教行信証』の「後序」の記録をとおしてみますとき、本願の歴史を弥陀・釈尊・善導の伝承としてうけるのが、法然上人の吉水教団のつねであったことが推察されます。この吉水教団の伝承の形を、この『歎異鈔』も、そのままうけて、「弥陀の本願まことにおわしまさば云々」と、弥陀・釈尊・善導・法然の伝承を、第二章・第四節に説かれているのであります。

   『歎異鈔』の親鸞と『教行信証』の親鸞

 このように、第二章・第四節に、弥陀・釈尊・善導の次第を書きつけておられますことからも、法然上人の教えのとおりうけついでおられるのが『歎異鈔』であることが知られます。このことから、また、『歎異鈔』の師訓十章も、吉水教団の一員の自覚をもった言葉であることを知らされます。つまり、師・法然上人の教えをうけられている、弟子・親鸞の言葉であります。弟子・親鸞の告白の書でありますから、師訓十章ばかりでなく、『歎異鈔』全体にわたって、師・法然上人の言葉が述べられているのであります。この点から『歎異鈔』は、どちらかといえば、信仰(安心(あんじん))の書の性格をもつもので、教学(教相(きょうそう))の書ではありません。
 このような性格をもつ『歎異鈔』とちがって、『教行信証』には、法然上人の言葉の引用が少なく、曇鸞・善導の教学が伝承されています。『教行信証』は、ある意味で、一つの組織神学ともいうべき教学的組織をもった書でありまして、親鸞聖人の信仰・自覚そのものは、内面に沈められていて、本願の道理を組織的に説かれています。『教行信証』・『三帖和讃』は、『歎異鈔』と性格を異にしていて、まさしく、親鸞教学の書であるといえましょう。
 この『教行信証』・『和讃』と比べて、『歎異鈔』・『未燈鈔』などに代表される和語の聖典は、吉水教団の伝承の方式を、そのままうけておられるのでありまして、親鸞聖人独自の教学は表面に出されていません。ことに、『歎異鈔』はまさしく法然上人の教えによられているのであります。また、すでに少しふれたことですが、この『歎異鈔』の第二章の対話は、親鸞聖人の八十四、五才ごろの御物語であると思われます。
 これらの点から考えますとき、『歎異鈔』の親鸞聖人は、法然上人の吉水教団を、わが教団としてうけられていて、親鸞教団ともいうべきものを樹立する意志は、晩年にいたるまでまったくなかったことを知らされます。この親鸞聖人の意志は、遠く、その後の真宗教団の性格(註32)に、大きな影響をあたえているとも考えられるのであります。

 やがて、法然上人滅後の吉水教団に対して、聖道門の明恵上人などから教学的反論が出されたのであります。親鸞聖人は、吉水教団のひとりとして、吉水教団の責任を感じ、聖道門の反論にこたえて、法然教学を新しく展開されたのが、『教行信証』の親鸞聖人であります。親鸞聖人は、その生涯をとおして、吉水教団に参加し得た感動をうしなわず、教団の一員の自覚をもっておられたのであります。(『教行信証』の後序にも、その感動のほどを述べられています)その、吉水教団に召された感動につらぬかれているのが、『歎異鈔』の親鸞聖人であり、それだからこそ吉水教団の責任を負って、聖道門の反論にこたえるという形で、教学の展開をされたのであります。それが、『教行信証』の親鸞聖人であります。
 本願の宗教は、中国の善導大師を経て、わが国の法然上人の吉水教団にまで展開してきたのでありますが、さらに、親鸞聖人を得て、新しく時機の課題にこたえる教学的使命を果すことになったのであります。それが、『教行信証』の親鸞聖人であります。時機にこたえて、教学は展開されるべきものであります。かかる教学の生産とともに、その教団は新生していくのであります。教学が生産され、教団が新生していくということは、時機にこたえる力をもつ信仰者が、生まれることであります。次の時代を背負う人間が生産されることであります。新しく、教学の展開を生まなくなったとき、その教団は、時機にこたえる力をうしない、教団自身の生命をうしなうことになります。教団の機構や組織、構成員などの形あるものが、如何に栄えていても、また、たとえ、信仰が個人的にたもたれても、その教学が、時代・社会にこたえる力をうしなったときが、また、教団の生命が地上から消えたことになります。つまり、教学的文明批判を生産することのできない、教学や、教団は、今日的存在の価値が終結したことになります。この意味から、本願の宗教は、『教行信証』の親鸞聖人を生みだすことによって、新しい生命を創造したのであります。しかも、その『教行信証』は、現代においてなお、教学的生命をもちつづけているのであります。
 『歎異鈔』の親鸞聖人と、『教行信証』の親鸞聖人とのちがいから、本願の歴史が展開してきた、展開の仕方ともいうべきものを知らされるのであります。すなわち、宗教的生命をもつ教団は時機の問題をとおして、たとえ、それが、外からの批難・反論であっても、それを機縁として、新しく教学を生み、また、その教学によってその教団は、なお、新しく生きかえるのであります。新しく信仰者を生みだしていくことになるのであります。教団と教学は、時機を媒介として、相互的に、相はたらきあい相照らしあうのであります。その運動がとどまったとき、その教団も、その教学も、宗教的生命をうしなうことになります。この関係を、『歎異鈔』の親鸞聖人(吉水教団の人)と、『教行信証』の親鸞聖人(真宗の師)の関係にうかがうのであります。いわば、『歎異鈔』と、『教行信証』とは、相照しあう関係にあるわけであります。『教行信証』をとおして『歎異鈔』を読み、『歎異鈔』があきらかにしている宗教的自覚にたって、『教行信証』を学ばねばなりません。しかし、いずれにしても、今日的課題をもって、これらの聖典に聞いていくということは、勿論のことであります。

   人から人へ――就人立信――

 では、もとへもどって、第四節の本文にはいって学ぶことにします。 

弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したもうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。

という言葉によって、釈尊・善導・法然の伝承を述べられています。ここで、弥陀の本願とは、『往生礼讃』にあったごとく、『大無量寿経』上巻の第十八願。善導・法然にあっては、本願といえば第十八願であります。つぎに、釈尊の説教とは、『大無量寿経』下巻の本願成就文。善導の御釈とは、序分に「先師口伝の真信」とあった二種深信であります。法然の仰せとは、『選択集』の「涅槃の城には、信をもって能入と為す」というお言葉であります(註33)。
 つまり、釈尊の説教・善導の御釈・法然の仰せとは、阿弥陀仏の第十八願をうけられた釈尊・善導・法然の表白の言葉であります。いわば、本願のこころが、釈尊の身をとおし、善導・法然の身をとおして、親鸞聖人まで展開していくのであります。釈尊・善導・法然の表白の言葉は、本願のこころが釈尊などの身をとおして、本願が表白しているのであります。
 このように仏教は、師資相承といって、師から弟子へ相承されるのであります。本願の歴史に召されて、本願の歴史に参与するのであります。「よきひと」に出あうことが、本願の宗教にはいる唯一の方法であります。このことから、第四節の文を見ますとき、親鸞聖人は法然上人を「よきひと」とあおがれ、法然上人は、善導大師をただ一人の師とされ、善導大師は、釈尊の『観無量寿経』の説法をとおして、本願に帰せられました。すなわち、法然上人から善導大師へ、善導大師から釈尊へと、師にみちびかれ、師のさししめされている方向を、師が求めておられるものを求めて、さかのぼっていくのであります。親鸞聖人は、このように、よき師・法然上人の背景をたぐっていかれたのであります。これは、本願の歴史の逆観であります。己れが救われたところ、すなわち、「よきひと」の仰せに目覚めた事実にたって、弥陀の本願にまで逆観していく。本願の歴史が展開する具体的な出発点は、親鸞聖人にとっていえば、よき師・法然上人に出あわれた、そこから出発するのであります。師から師へ、源泉へ源泉へとたぐっていくのであります。善導大師が、就人(じゅにん)立信(りっしん)註34)――人について信を立てる――と説かれているのでありますが、本願の歴史は、人から人への道であります。

 さらに、もう一つの面は、本願の歴史の順観であります。釈尊・善導・法然という「よきひと」――これを、第十七願の諸仏というのでありますが、この「よきひと」をとおして、阿弥陀仏の本願が展開している歴史的事実にふれることであります。南無阿弥陀仏が展開していく、時機にこたえつつ展開していく、そうして、この「地獄一定」の身にまで展開してきたのであります。この歴史的事実、いいかえれば、人類の歴史の底を流れて本願が展開している、その本願展開の歴史、この本願の歴史的展開の事実を、あおぎうけるのであります。これを、本願の歴史の順観といいます。これを、善導大師は、就行(じゅぎょう)立信(註34)――行について信を立つ――と説かれているのであります。本願の歴史の展開によって信(宗教的自覚)をあたえられる点を教えられているのであります。
 このように考えてきますと、第二章・第四節の文は、就人立信をとおして、就行立信が説かれているのであります。つまり、歴史の具体的事実は、逆観でありまして、法然・善導・釈尊と、次第にさかのぼっていくのであります。親鸞聖人は、そのような逆観の形で、師から師へと、よき師を見つけだしていかれました。これすなわち、就人立信であります。このように、見だしていかれた本願の歴史は、また、原理的には阿弥陀仏の本願が、釈尊・善導・法然をとおして、親鸞聖人まで行じてきたのであります。これすなわち、就行立信であります。いま第二章・第四節の文は、本願の歩み、いいかえれば、本願の歴史の展開を原理的に、弥陀・釈尊・善導・法然という次第に説かれているのであります。

   聖道門にこたえて

 さきに、日蓮上人の念仏無間という折伏に対して、親鸞聖人は、念仏は地獄の業か、極楽の因か「存知せざるなり」とこたえられていたのでありますが、この第四節では、聖道門に対して、釈尊・善導・法然という本願の歴史の展開をもって、原理的にこたえておられるのであります。
 すなわち、法然上人が、「ただ念仏」といって、諸行(しょぎょう)を廃せられたのに対して、聖道門の側から、行のないものは仏道ではないという、きびしい批判が出されていました。それに対して、親鸞聖人は聖道門の批判を肯定して、本願念仏の教えは、自力の行・人間の理知的立場からの実践は否定するが、仏の行せられる「大行」をたてる(註35)のであるとこたえられたのであります。いいかえますと、本願の宗教の行は、本願の歴史が展開する、つまり、本願が行ずるので、人間が行ずるのではないとこたえられたのであります。

    ―→(廻 向)――     聖道門 の 立場……自力廻向
 (仏)――(不廻向)―― (人) 法然上人の立場……自力廻向を要せず
    ――(廻 向)―→     親鸞聖人の立場……如来廻向、大行

 聖道門は、人間から仏への自力廻向を説くのであります。自力の菩提心を説くのでありますが、法然上人は、本願念仏の浄土教には、自力の廻向を必要としないと否定されるのであります。道綽禅師の伝承をうけ、聖道門を捨てて、浄土門に帰すべきことを強調されるのであります。また、善導大師によって、雑行を捨てて、正行に帰することをすすめられるのであります。法然上人の『選択集』などを見ていますと、法然上人は直観的な、感覚のすぐれた方のようでありますから、純粋なる宗教は、直観の世界であって、自力の廻向を超えたものというお考えのようであります。そのような立場で、不廻向の義を立てられるのでありましょう。親鸞聖人は、法然上人のいわんとせられる旨をうけとって、あえて廻向の義をたて、如来廻向を説かれたのであります。本願の歴史の展開を、新しく教学の課題とされたのであります。ここに親鸞教学の独自性が見いだされることになったのであります。この問題が、さきにふれました第十七願の問題であり、弥陀・釈尊・善導・法然の系譜をもって説かれている『歎異鈔』第二章・第四節の文が、その具体的回答であります。
 法然上人によって果たされた、浄土教独立の事業は、親鸞聖人にうけつがれて、浄土教の教学が樹立されたといっていいでありましょう。大行・如来廻向、すなわち、本願の歴史こそ、浄土教の教学であります。法然上人は、念仏の安心、念仏の自覚にたって、浄土教独立を宣言されました。それをうけつがれた親鸞聖人は、本願の歴史という、念仏の教相、浄土の教学を樹立されたのであります。この、親鸞聖人の浄土の教学が樹立されるためには、聖道門からの批判も、大きなはたらきかけとなったのであります。
 釈尊・善導・法然をとおして、本願そのものが行じている、という「大行」の教学、いいかえれば、本願の歴史が、教学として樹立されたことは、あらゆる宗教の教学のなかにあって、親鸞教学の独自性を示すとともに、今日の政治・科学・教育・芸術など、あらゆる面における、法執、すなわち、体験執克服の課題にこたえるものとして、偉大な意義をもつのであります。
 今日の宗教を代表するものは、禅と日蓮の宗教であり、キリスト教でありましょうが、それらの宗教が、真にみずからの宗教経験を自己批判して、その体験執をこえる道が、教学的に樹立されているでしょうか。また、政治・科学・教育・芸術などの文化の面においては、体験執を如何に超えるかという問題は、未開拓といわねばなりません(註36)。
 かかる現代にあって、親鸞聖人の宗教は大行・如来廻向、いいかえれば、本願の歴史を、教学の中心課題として、体験執克服の課題にこたえているのであります。ふかい歴史感情に根ざした、親鸞聖人の宗教の、今日的意義を再確認しなければなりません。

   再び純粋客観について

 この第四節の結びの言葉として 

 法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもて、むなしかるべからずそうろうか。

と、述べられています。しばらく、字句によりながら学ぶこととします。
 まず、最後の“か”の一字ですが、己れのいうことには、“か”の一字を加えて、謙遜の意味をあらわされているように思われますが、単なる謙遜の意味ではないはずであります。この“か”の一字は、文法の上からは疑問の助詞でありますが、単に、疑問を提起されているのでもありますまい。それなら、宗教的感情を表現する文にはならないでありましょう。この“か”の一字に、「地獄一定」の確認があり、深い感動が含まれているのであります。 

「本願が歩みに歩んで、『地獄一定』の親鸞まで行じ、展開してきたのである。わたしの言葉は、単なる、わたしの言葉ではない。
と、いって、大きな声で強調し、主張すべきものでもない。本願のおおせのままに、よき師のおおせのままに、申し述べるのであるから……」

という、深い感激を秘めた言葉でありましょう。
 つぎに、「むなしかるべからず」とおおせになっているこの言葉は、さきの『往生礼讃』の文の、「虚しからず」にひとしいものであります。『往生礼讃』の「重願、虚しからず」の言葉は、釈尊の表白であります。本願の歴史に目覚められた親鸞聖人の表白も「むなしからず」であります。天親菩薩にも、同じように「空しく過ぐる者なし」という言葉がありますが、この「むなしからず」という言葉から、純粋な宗教的自覚においては、仏(釈尊・天親)も凡夫(親鸞)も一つ、師弟一味であることを知らされます。真の宗教的自覚においては、師・弟子の区別があるはずがありません。ともに「如来よりたまわりたる信心」(『歎異鈔』後序)であります。しかし、“か”の一字をつけ加えられているところに、師弟一味をいいはらない意味があるのです。いいはる時には、第二十願の法執におちいることになります。我執は仏に、「よきひと」に出おうたとき、一挙にきえますが、第二十願の法執は、つねに、頭をだしてくるのです。法執(体験執)の問題は、生涯、人間につきまとうのであります。しかし、それによって求道が新しく展開せしめられることになるのでありまして、親鸞聖人には、ひとに、師弟一味をいいはる必要がないほど、もっと、いわねばならないもの、もっと、大切なことがあるわけであります。
 それは、釈尊・善導・法然とひらかれてきたところの、本願の大行を讃嘆することであります。“か”の一字のところに、「むなしからず」の充実感をうけとめて、「地獄一定」の身に、このような世界が、よくもひらかれたものであるという、単なる充実感をこえた深い感動から本願の大行を讃嘆する、その姿勢が秘められているのであります。

 すでに、第二章・第一節で、経験と道理ということ、第二章・第二節で、経験と客観的証明ということを問題にしてきましたが、要するに問題は、個人的経験をどうして超えるか、法執といわれるところの体験執を、どうして克服するか、ということにあります。たびたび申してきましたように、人間は一つの経験をもつと、その経験が純粋であっても、その経験に執着し、その経験を「わたくし」し、不純なものにし、汚してしまうのであります。これは、人間のもっている、もっともおそるべき悪魔性であります。罪悪性であります。
 その発見が、第二十願の自覚であります。人間は己れが得たところの、その経験を超えて、純粋客観(註37)にたつことがなければ、とりもなおさず、本願の大道を「わたくし」することになり、本願念仏の大道を閉鎖してしまうことになります。

 経験の一片だにのこさないで、純粋客観にたつ――、そこにはじめて、本願の道は公開されて、万人がうなずく大道となるのであります。本願念仏の教えは、大乗の法であり、絶対他力の大道でありますが、わたしたち人間が、その大道をせばめるのであります。わたしたちは大乗の法を、身にうけると同時に、このわたしが、いつか、どこかで、このように経験したものであると告白する形で、その法をせばめ、特殊なものにしてしまうのであります。
 本願念仏の教えが、今日では、せまいものと考えられ、特殊なものとうけとられている原因は、本願念仏の教えをうけ、経験したものの側に、問題があるのであります。経験しない人々の問題ではないのであります。
 もう一度、大乗の法である、本願念仏の教えを大乗の法にかえし、絶対の大道として復活せしめる責任が、念仏の教えをいただいているものの責任であります。
 純粋客観にたつ。このことが、今日の大きな課題でありましこう。第三者的立場、これを単なる客観というのでありますが、このような立場にたつか、小さな主観にとじこもるか、人間には、この二つの立場よりないのであります。しかし、この二つの立場を超えるということが、今日的課題でありましょう。大きなものを経験しても、経験にとどまれば、小さな主観にとじこもったことになります。これを、どう超えるかが、今日の課題であります。宗教のみでなく、芸術であろうと、科学・政治であろうと、あらゆる領域における、人類の今日的課題であろうと思うのであります。それにこたえられたのが、親鸞聖人の教学であり、それが、この第二章・第四節であります。
 純粋客観にたつ、とは、讃嘆することであります。讃嘆するとは、第十七願にちかわせられている諸仏の事業であります。つまり、すでに学びましたように、第十七願には、「諸仏が南無阿弥陀仏へ本願の教え)を讃嘆する」ことを誓われているように、讃嘆とは諸仏の任務であります。理知的人間のよく為し得るところではありません。ただ、「難信」の自覚、いいかえれば「地獄一定」の自覚、さらにいいかえれば、「かたじけない」、また、「あいがたいものに、あうことを得た」という自覚をとおして、はじめてなし得る事業であります。
 『歎異鈔』後序の「本願のかたじけなさよ」(註38)と、親鸞聖人が、つねにおおせになっていましたところの、讃嘆であります。誰はばからず、声いっぱい、宿業の身一ぱいをささげて、讃嘆する。これこそ、本願におうたものの、絶対自由の発言であります。それが、「仏恩を念報」することであり、「報恩の大行」であります。絶対必然の世界を、一転して絶対自由に、讃嘆し念報するのであって、誰はばかることもありません。「耳あるものは聞け」であります。いや、それもいらぬ、耳のなかったこの身に、諸仏の讃嘆の声が聞こえたのでありますから、ただ、讃嘆あるのみであります。
 親鸞聖人の教学は、第十八願に対応して第十七願を。第二十願に対応して、第十七願を見だされたところに、その独自の意義・人類史的意義があるのであります。親鸞聖人の教学は、教も行も信さえも、讃嘆であります。法然上人の宗教が、本願念仏の自覚、いわば浄土門における宗教的直観を述べられたのに対して、親鸞聖人の宗教は、本願の歴史を讃嘆される、いわば、宗教的反省の宗教であります。
 また、すでに学んだように、唯円の『歎異鈔』は、歎異、すなわち、異端に対する痛み、痛惜の意味で、第十七願諸仏の事業でありましたが、親鸞聖人の宗教は、おなじく第十七願の事業でありますが、痛みでなく、純粋客観にたった讃嘆の宗教であらます。この点が、親鸞聖人が人類史にこたえ、あたえられる今日的意義であります。
 すなわち、本願の歴史を讃嘆する、いいかえれば、歴史感情をもつことが、法執(体験執)を超える方法であります。人類の歴史の底を流れてきた本願(人類の深い願い)の歴史を身に感じ、本願の歴史をかえりみるとき、みずからが経験した一つの経験を「わたくし」し、高ぶりおごる心が消えるのであります。そのとき、純粋客観の広大な世界がひらかれるのであります。今日の問題は、みずからの経験を「わたくし」し、他に公開せず、他を排し、己れひとりを高めようとする法執(体験執)がはびこり、世の中を行きづまらせているのでありますから、純粋客観にたった親鸞聖人の宗教こそ、現代の課題にこたえるのでありましょう。


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