『歎異鈔集記』  高原覚正著 本文へジャンプ

第一節 求道の背景

   第二章の歴史的背景

おのおの、十余ヶ国のさかいをこえて、身命をかえりみずして、たずねきたらしめたもう(おん)こころざし、ひとえに、往生極楽のみちをといきかんがためなり。


 この第二章を、了祥師は唯信念仏章と名づけられていますが、法の深信をあかす章であるともいわれています。『歎異鈔』の第一章・第二節の「弥陀の本願には、老少善悪の人をえらばれず、ただ信心を要とすと知るべし」というお言葉をうけているのが、この第二章であります。
 この第二章は、最初の書きだしから、緊張した光景を感じさせられる文章(註1)で、問題をもって、関東からはるばる上京してきた人たちと、親鸞聖人とが、あい対坐したなかで語られているのでありますが、単なる、信仰上の対話だけでない空気が、文章からうかがわれるのであります。しかも、文章の書き方から、この『歎異鈔』の作者といわれる唯円房も、この対話に列席していたにちがいないと思われます。

 この、第二章の背景になる事件として、おおよそ、次の事柄が考えられるのであります。
 親鸞聖人は、建保二年(一二一四)妻子をともなって、流罪の地であった越後(新潟県)から、関東の地にうつってこられてから約二十年間、関東で本願念仏の教えを伝道してあるかれました。やがて親鸞聖人に、直接に教えをうけた門弟たちのなかには、道場をつくり、その主となって、多数の信者をあつめ、それぞれの地域の名をとって、何々門徒と称するものもありました。そして、それらはたがいに、それぞれの地域において、その勢力を拡大するために、いつかはげしく争うようになったのであります。
 また、常陸(茨城県)にいた、善證房(ぜんしょうぼう)が主唱した造悪無碍(ぞうあくむげ)の邪義(註2)――「悪人をたすける本願であるから」といって、あえて、風紀をみだすようなふるまいをする弟子たちが生まれたのであります。邪義は法然上人の吉水(よしみず)教団にもあり、上人により、破門を命ぜられた門弟もあったのですが、関東教団の、これら異端者たちの行動が、口実をあたえることになって、文歴二年(一二三五)鎌倉幕府は、念仏者取締令を公布したのであります。その前後に親鸞聖人は、関東を引きあげて、京都に帰えられたと考えられるのですが、聖人の帰京後、関東教団の、それぞれの門徒の抗争、また、邪義の横行は、なお、増大したようであります。
 このような、関東教団の動揺をおさめるために、関東の人々の求めによって、親鸞聖人にかわって、長息の慈信房善鸞(ぜんらん)が関東に下ったのですが、しかし、かえって、その善鸞が異義をとなえることになり、関東の門弟たちを、なお一層、混乱におとしいれる結果となりました。ついに、建長八年(一二五六)五月二十九日、聖人は善鸞義絶の書面(註3)を関東の門弟におくられ、善鸞にも、その旨を通知されました。親鸞聖人八十四才のときのことであります。
 また、当時の日蓮上人(一二二二−一二八二)の四箇格言(しかかくげん)の問題が考えられるのであります。それは日蓮上人が、建長五年(一二五三)比叡山をでて、新しく、大乗仏教をうちたてんために、関東に下り、その年の四月二十八日、安房国(千葉県)清澄寺で「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」と宣言された、有名な四箇格言といわれるものであります。法華経以外の教えを排して、法華経の宗教をうちたてるための、日蓮上人の立教開宗の宣言であります。かねて親鸞聖人から、法然上人の教えとして
  往生之業・念仏為本(註4)――往生の業は、念仏をもって本とす。
と、教えられてきた関東の人々は
  念仏者無間地獄業――念仏は無間地獄の業である。
という日蓮上人の宣言に大きく動揺したのも、もっともであろうと思われます。関東の人々にとっては、自分たちの教団の内に多くの問題をもっている、そのときに、外から日蓮上人の折伏の声を聞いたのでありますから、まったく、混乱し迷うたものと推察されるのであります。
 かかる歴史事情が、第二章の背景にあったのであります。親鸞聖人も、関東のこのような事情をよくご存知であり、関東の人々と書簡の往復(註5)があったのですから、関東の人々を迎えられる親鸞聖人の御心もち、また、はるばる聖人をたずねて来られた関東の人々の心のうちは、あい対坐しておられる緊張した空気のなかにも、静かなあたたかい師弟の出あいであったにちがいありません。この第一節の文から、それらのことをうかがい知るのであります。
 しかも、関東の人々は、単に、教団の混乱という当面の問題の処置をたずねに来られたのではなく、教団の問題を苦悩する心をもって、聞きひらかんがために来られたのであります。ですから、「往生極楽の道(註6)をといきかんがためなり」――救済の道、つまり、教法を聞きにおいでになったのでありましょうと、念をおされているわけであります。


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