『歎異鈔集記』  高原覚正著 本文へジャンプ

註 (補 説)
<七 第二章>


1.緊張した光景を感じさせる文章
 『歎異鈔』の文章を注意されて、曾我量深先生は
 「僅かなことであるが、一言一句をよく読んでいると、本当の文章を書く人と、贋の文章を書く人と、はっきり解る」(『歎異鈔聴記』二一)
と述べられているように、『歎異鈔』の文章はすぐれたものである。
 『歎異鈔』の著者・唯円房は、関東の平太郎の弟・平次郎であると考えられているが、平次郎は、その伝説からもすぐれた人物ではなかったと思われる。この平次郎の伝説と『歎異鈔』の文章とは相応しないものがある。この点から、東京・報恩専住職・坂東還城師が
 「唯円は、門弟の中で大徳という尊称を得ている唯一の人物であり、年令のうえからも、帰洛後の聖人に京都で入門された、聖人の近親関係の人物でないか」
と発表されたことを想起する。しかし、関東農民の平次郎であっても、聖人の門弟となり、何十年の聞法求道の人物であれば、すぐれた文章を書き得ることも当然のことであるにちがいない。いずれにしても、『歎異鈔』の文章は、真宗史上、注目すべきものである。

2.造悪無碍の邪義
 邪義でもっとも強かったのは、法然門下の一念義と同じく、五逆罪を犯しても、弥陀の報土にうまれることができるのであるから、五逆罪以外の罪ならば犯しても、当然、往生の障りにならぬという造悪無碍・本願ぼこりの邪義であった。
 「浄土宗のまことの底をも知らずして、不可思議の放逸無慚の者どものなかに、『悪は思うさまに振舞うべし』と仰せられ候うなるこそ、返えす返えすあるべくも候わず。……『悪くるしからず』ということ、ゆめゆめあるべからず候」(全書・二・六八一、『末燈鈔』第十六通)
などと誡められている聖人の便りがあるが、中心人物は、常陸国北郡に住んでいた善證(乗)房、信見房などであった。『末燈鈔』第十六・十九通、『御消息集』第四・五通、『歎異鈔』第十三章などに、それが見られるのである。この邪義とは別に、神仏軽侮の邪義(『御消息集』第四通)もあった。
 これらの門下の邪義が、鎌倉幕府を念仏停止にふみきらせる原因となったと考えられる。

3.善鸞義絶の書面
 善鸞は、そのころ四十余才であったと考えられるが、関東の門弟の邪義の横行と、それにともなう鎌倉幕府(やがては領家・地頭・名主など在地権力者などによる念仏禁止という、関東教団の死活に関すると思われる大きな問題の解決に精力的に努力したようである。
 しかし、ついに、善鸞は有力な道場主を非難攻撃し、門徒を扇動して、それらの道場から、離脱させ、関東の教団を自己の支配下におさめようとして、在地の領主、鎌倉幕府にも出訴することがあった。一方、親鸞から直接教えられたという「法文」をかかげ、第十八願をしぼんだ花にたとえるなど、教法上の問題にも波乱をおこすことになった。かかる善鸞の行動は、親鸞の長息ということもあって、関東教団を根底からゆさぶることとなった。そのため、遂に、善鸞義絶という、洋の東西を問わず、宗教家として親鸞ただ一人が体験したであろう事件をおこすこととなったのである。長息義絶もあえてなすという、親鸞によって、本願の僧伽は、公的に、純粋にたもたれてきたのである。
 「自今己後は、慈信においては、親鸞が子の義、おもい切りて候なり」(全書・二・七一八、『血脈文集』第二通)
の言葉に、親鸞の心情をうかがうことができよう。しかし、この体験をとおして、親鸞の教学は、新しく『正像末和讃』などへの展開がもたれたのでなかろうか。

4.往生之業・念仏為本
 『選択集』の標挙として
 南無阿弥陀仏 往生之業・念仏為本(全書・一・九二七)
とかかげられている。これは『往生要集』の第五大門・助念方法の第七・総結要行(全書・一・八四七)中の文である。法然上人は、源信僧都の『要集』により、善導大師の『疏』にふれることを得られた、そのことをあらわさんとして、一部綱要を述ぶるにあたり『要集』を引いておられると、古来、注意されているのである。
 『選択集』について、「広説十六章、要説・題号十四字、略説・総結八十一字」といわれているように、この標挙の十四字は、『選択集』の要説であり、法然上人の宗教をつくしている文字である。この標挙の文を親鸞聖人は、「行巻」に引き、『尊号真像銘文』(全書・二・四八〇)に注釈をほどこされている。

5.関東の人々との書簡の往復
 親鸞聖人の関東の門弟は『門弟交名牒』に出ている四十一名中、常陸・下野・下総の三十名がかぞえられるが、いうまでもなく、これは有力な門弟のみである。
 また、書簡は、『末燈鈔』『御消息集』をはじめ、高田の顕智の集めた『五巻書』、横曾根門徒の手になったと思われる『血脈文集』の五部があり、その他の書簡を加えると、四十二、三通である。それらの書簡は建長三年(一二五一)から、文応元年(一二六〇)の間、聖人の七十九才から八十八才にいたる十年間のものである。聖人の七十九才以前の書簡は現存しないようである。

6.往生極楽の道
 『往生要集』の序分の
 「往生極楽の教行は、濁世末代の自足なり。道俗貴賎、誰れか帰せざる者あらん」(全書・一・七二九)という言葉にもとづくと思われ、当時の人々に、よく用いられていたものであろう。「道」とは、『要集』からうかがえば、「教行」であり、教法である。

7.法執
 自己の存在を実体的にとらえるのを我執というに対し、すべての存在に、法我、すなわち、実体的なものがあると妄執するのを法執というのである。
 しかし、いまは、自己の念仏の体験を実体的にとらえ、「本願の嘉号をもって、己が善根とする」(『教行信証』化巻、全書・二・一六五)を、法執というのである。つまり、第二十願の問題であって、『教行信証』化巻、『正像末和讃』のうちの「疑惑和讃」などに、この問題がとらえられているのである。第十七願とともに、この第二十願の問題は、親鸞教学の重要なる課題である。
 念仏の体験を実体的にとらえることから、さらに、体験そのものに執着する、体験そのものを実体的にとらえる意味から、体験執と名づけてみたが、この問題は、現今のあらゆる分野における問題であって、第二十願の問題として、聖人が重要視されたことは、今日的意味をもつのである。次第を追うて学びたいと思うている。(註・24・2535参照)

8.善鸞が関東に下り
 善鸞は、関東教団の問題を静めるため、関東へ下っていったのであるが、反対に、他の道場主との対立の関係から、「わが法文」を述べ、門弟を混乱せしめたのである。
 「わが聞きたる法文こそまことにてはあれ、日頃の念仏は皆いたづらごとなり」(全書・二・七〇五)
と、善鸞はいっておったようであり、また
 「慈信房の法門の名目だにも聞かず、知らぬことを、慈信一人に、夜、親鸞が教えたるなり……第十八の本願をば、しぼめるはなにたとえて云々」(全書・二・九二七)
と、聖人がいっておられるように、聖人の知られざる名目の法門や、夜中の法門というものなどをもって、門弟を混乱におとしめることとなったのである。

9.「法文」・「証文」
 関東の門弟は、親鸞聖人をたずね、「念仏以外の法文」を求めたのであるが、法文とは、教法を説いた文章のことである。法門とは、教えそのもので、学べば仏になる門である故に、法門と名づけたのである。関東の門弟は、その法門を説いた文章を求め、それを、親鸞聖人の仰せの証文としようと考えたようである。
『歎異鈔』後序に
 「大切の証文ども少々のぬきいでまいらせ候うて、目安にして、この書に添えまいらせ候なり」
とあって、この「大切の証文」は何かということが、古来から問題にされている。すなわち、現存の『歎異鈔』に添附された別冊の文証があったにちがいない(了祥師)とか、後序の「弥陀の五劫思惟の本願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」とある文と、「善悪の二つ総じてもて存知せざるなり云々」の聖人の仰せとの二文とする説(多屋頼俊氏)などがあるが、『歎異鈔』の師訓十章が、わたしは「大切の証文」とされるものとうけとるのである。
 いずれにしても、宗教経験のみでなく、真実の法門・法文を証しとして、その経験を深め、純粋にしようするところに、禅などの直観の宗教とのちがいがあろうと思われる。

10.西山派
 法然門下の上座である、西山派の証空上人は、当時の公家に関係もあって、流罪をまぬがれ、念仏停止の法難の中に、しかも、京都西山に居を定めて浄土教の宣布につとめたのである。また、早くより、その門弟は鎌倉に下って、幕府とも交渉をもち、その勢力を張っていた。
 右のような事情から、明恵上人などの浄土教批判に対する責任を感じ、教学の樹立を急ぐあまり、天台の教判をとりいれ、聖道門に融合し、更に、真言の即身成仏、禅の心の一法、天台の中道の理が、阿弥陀仏の理性と一体であるという、「弥陀性徳理性法界身説」を説いたのである。

11.安心と教相
 安心と教相ということが、古来から問題になっているが、安心とは、聖道門では観心といわれ、浄土門(西山派)では領解の三心をいうのであるが、真宗では信心をさす言葉である。天親菩薩の我一心などである。教相とは、聖道門の修法の事相に対して、教義を組織的に解釈することを教相と名づけることから出た言葉と考えられるが、真宗では、二雙四重とかの教相判釈がそれにあたる。各宗はそれぞれ教相判釈をなして、それぞれのよりどころとしたのである。その宗の安心のよりどころとして、教相をたてたのである。
 教学とは、新しい言葉であるが、「教相の学」と了解される言葉である。キリスト教の神学にならって生まれた言薬であろうかと思われる。安心・宗教心を生み、その宗教心を教学に照らすとき、その宗教心は、さらに、展開するものである。宗教心の構造をあきらかにし、その宗教心を深め、展開せしめるものが教学である。
 さらに、直観と反省であるが、直観とは、たとえば、スピノザは「神は直観知によってのみ認識される」
といっているように、宗教そのものを、直接的に把握するはたらきである。反省とは、内面的思惟、すなわち、内面的に深く思惟していくこととして用いた。直観と反省については、西田哲学によって用いられ、課題としてあたえられたものである。
 いずれにせよ、安心(信心・宗教的直観)と教相(教学・宗教的反省)とは、相互的に媒介しあうところに、その宗教心の展開がひらかれるのである。

12.『教行信証』に名告られている親鸞
 親鸞という名告りは、『歎異鈔』では、第二章の「親鸞におきては」・「親鸞が申す旨」、第五・六章の「親鸞は」、第九章の「親鸞も」、第十三章の「親鸞がいうこと」、後序の「親鸞一人がため」などに出されている。『教行信証』には、「総序」と「別序」に「愚禿釈の親鸞」、「信巻」末に悲歎述懐して「愚禿鸞」、「化巻」本と後序に「愚禿釈の鸞」と五ヶ所に出ているのである。
 『歎異鈔』の親鸞は、本願に召されたる、同朋としての親鸞、私人としての親鸞であるに対して、『教行信証』の親鸞は、本願の歴史を荷負している愚禿釈親鸞である。公人の親鸞である。

13.第十八願加減の文
 摂大乗論の一派の通論家の人々が、浄土教の称名念仏は唯願無行であると非難したため、中国の浄土教が衰えたことがあった。それに対する、道綽・善導両師の答えというべきものである。(易行品-全書・一・二五九-に「若人念我、称名自帰、即入必定、得阿耨多羅三藐三菩提、是故常応憶念」とある、龍樹菩薩の加減文の伝承をうけるか。)
 第十八願加減の文は、五種ある。
 一、若有衆生、縦令一生造悪、臨命終時十念相続、称我名字、若不生者、不取正覚
              (道綽・『安楽集』全書・一・四一〇)
 二、若我成仏、十方衆生、称我名号、下至十声、若不生者、不取正覚
              (善導・『往年礼讃』全書・一・六八三)
 三、若我成仏、十方衆生、願生我国、称我名字、下至十声、乗我願力、若不生者、不取正覚
              (善導・『観念法門』全書・一・六三五)
 四、一切善悪凡夫得生者、莫不皆乗阿弥陀仏大願業力為増上縁也
              (善導・『玄義分』全書・一・四四三)
 五、若我得仏、十方衆生、称我名号、願生我国、下至十念、若不生者、不取正覚
              (善導・『玄義分』全書・一・四五七)
 加減という言葉は、存覚上人の『浄土真要鈔』に出され、善導大師の右の四文が引かれている。(全書・三・一四三)

14.「能信を所行に摂める」
 曾我先生の『歎異鈔聴記』の言葉である。すなわち、「能信全体を所行の法の上におし立てていくのが『歎異鈔』の特徴である」(同記・五七)と述べられている。
 存覚上人の『六要鈔』に
 「行は是れ所行の法、信は是れ能信の心」
と説かれていることに注意されて、「行は信の歴史的背景である。行を背景として、その背景なる歴史的行に押出されて、否応なしに信というものが出来上る。それが所行能信の関係であると私は確信している。……大なる行の歴史の流れの中にあって、歴史の流れに随い、歴史に随順するところに疑蓋無雑の信は成立する。之を他力廻向の信心というのである。」(同記・四七)と、行信の関係に明解な註釈をあたえておられるが、『歎異鈔』は、かかる意味の所行(南無阿弥陀仏・称名念仏)に、わたしたちの能信(信)をおさめておられるのである。『末燈鈔』などの和語の聖教も、この形(吉水教団・法然上人の伝統)をとっておられるのである。

15.「よきひと」という表現
 『歎異鈔』独自の表現であるが、『未燈鈔』(第十九通)にも、聖覚法印・隆寛律師を「よき人々」と述べられている(全書二一・六八六)ところからしても、法然上人を「よきひと」と、つねに仰せになっていたのであろうか。その他、法然上人を「大師聖人」・「故法然上人」とか「法然聖人」とかと、『未燈鈔』(全書・二・六六七等)には述べられている。
 さらに、法然上人について、『高僧和讃』(全書・二・五一二)には、二十首をもって、行徳をたたえられている。他の高僧については教義を中心に、和讃せられているが、法然上人については、行徳のみをもって和讃せられているのである。
 このことから、まさに、法然上人を人師としてあおがれていることを思うのである。聖人は、法然上人を高僧というより、「大師」・「よきひと」という感激をはなすことができなかった。そのことと対応して、聖人は、弟子・親鸞、宿業の身の親鸞の自覚にたっておられたのである。

16.善導大師の伝統を受けて
 法然上人は、善導大師の『散善義』(全書・一・一三八)の
 「一心に弥陀名号を専念して、行住坐臥、時節久近を問わず、念々に捨てざれば、是れを正定業と名く、彼の仏願に順ずるが故に」
という文によって目覚められたという。この三十四文字(漢文)を、元祖興宗立教の文と呼んでいるが、法然上人を、遍依善導一師と、善導大師を仰がしめることになった文である。

17.「南無阿弥陀仏を称」
 法然上人は、『観無量寿経』の下々品の
 「応に無量寿仏を称すべし、是の如き心を至して声をして絶えざらしめて、十念を具足して南無阿弥陀仏を称せん云々」(全書・一・六五)
の文に照らして、第十八願の乃至十念、第十八願成就文の乃至一念を、称名とせられたのである。(全書・一・九四六)親鸞聖人も『唯信鈔文意』に第十八願の乃至十念を
 「乃至十念のちかいの名号をとなえん人、もしわが国に生まれずば、仏に、ならじと誓いたまえるなり。……これに口称を本願と誓いたまえるをあらわさんとなり。」
と説かれて、称名とせられている。しかし、大経の第十八願成就文、三輩段の下輩、流通付属の文の一念を、すべて、行の一念とせられる法然上人をうけて、親鸞聖人は、第十八願成就文の一念のみは、如来会の成就文の「能発一念浄信」から照らして、信の一念とせられた。

18.「信心の宗教」
 第十八願の願名について、善導・法然二師は、念仏往生の願と名づけられていたが、親鸞聖人によって、本願三心の願、至心信楽の願、往相信心の願と己証の名をつけられたところからも、第十八願に対する、善導・法然二師と聖人との本願のうけとり方のちがいを学び得るのである。すなわち聖人は、第十八願の三信・十念のうち、三信を読みとり、十念の称名は第十七願にちかわれている諸仏の行とせられたのである。
 これは、天親菩薩の「我一心」、善導大師の「二種深信」の伝承によって、法然上人の「念仏の宗教」、「行の宗教」に対して、「信の宗教」をひらかれたことになるのである。

19.法然教学に対する・・・厳しい批判
 法然上人は『選択集』二行章に諸行を廃して念仏を立てられ、また、本願章に勝劣・難易二義問答をおこされている。これが、聖道門の人々を刺戟することになるのであるが、ことに、勝劣の義をたてられて
 「念仏は是れ勝、余行は是れ劣なり、所以は如何ん、名号は是れ万徳の帰する所なり。然れば、則ち、弥陀一仏の所有の四智・三身・十力・四無畏等の一切の内証の功徳・相好・光明・説法・利生等の一切の外用の功徳、皆悉く阿弥陀仏の名号の中に摂在す。故に名号の功徳、最も勝れたりと為すなり。余行は黙らず、各々一隅を守る、是を以て劣れりと為すなり」(全書・一・九四三)
と仰せられたことによって、明恵上人は『摧邪輪』三巻、『荘厳記』一巻をあらわして、菩提心を廃するは 仏教に非ずと、きびしく非難された。これにこたえて、親鸞聖人は、善導大師の『散善義』の三心釈、源信僧都の『往生要集』の菩提心釈を引いて
 「若しは行、若しは信、一事として阿弥陀如来の清浄願心の廻向成就したまえる所に非ることあることなし」(全書・二・五八)
と述べて、菩提心は浄土の大菩提心、行は法蔵の行とこたえられて、廻向の行、本願の歩みとせられたのである。

20.絶対自己否定
 ここに「地獄一定」とあるを、直ちに、絶対自己否定という言葉にあてはめることは、危険といわねばならない。絶対自己否定という言葉には、既に、定まった概念がある。「地獄一定」は本願の行に対する信である。宗教的自覚の言葉である。「絶対自己否定」は、本来は、理知的自覚に立った言葉ではないだろうか。一応の批判をもって用いたいと思う。

21.『大無量寿経』・・・離れておりません
 『大無量寿経』上巻及び下巻成就文は、第十一・第十七・第十八願の順である。それに対して、『教行信証』正信偈は、本願名号正定業(第十七願)至心信楽願為因(第十八願)成等覚証大涅槃、必至滅度願(第十一願)成就となっている。このように、第十一願は、第十七・十八願の前後になることがあるが、第十七・十八願の順は変らぬ。その点を、『六要鈔』には
 「十七・十八更に相離せず、行信・能所・機法一なり」(全書・二・二三三)
と説かれ、『末燈鈔』第九通にも
 「誓願を離れたる名号も候わず、名号を離れたる誓願も候わず」(全書・二・六六九)
とあって、第十七・十八願は離されておらぬのである。『歎異鈔』第十一章をはじめ、誓名別信計の異義を歎異せる章もみな、念仏・信心の離れざる関係を述べられている。

22.白昼の懺悔
 『教行信証』信巻末(全書・二・八〇)に
 「誠に知んぬ、悲しき哉、愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し、名利の大山に迷惑して、定聚の数に入ることを喜ばず、真証の証に近づくことを快まず、恥ず可し傷むべし矣」
と告白されているのを、古来、白昼の懺悔といい、『六要鈔』(全書・二・三一五)には
 「但し悲痛と雖も、又、喜ぶ所あり、寔に是れ、悲喜交流と謂うべし」
と釈せられている。

23.慚愧・懺悔の心があるかないか
 善導大師『往生礼讃』前序(全書・一・六五二)に、雑修十三矢をあげるうち、第九矢に、「慚愧・懺悔の心あることなきが故に」とあり、つづいて三品の懺悔をあげられている。次に、第十失「相続して、彼の仏恩を念報せざるが故に」と説かれている。
 これをうけて、『教行信証』化巻(全書・二・一五二)には、第九矢を『観無量寿経』第十九願批判としてあげられ、第十矢を『阿弥陀経』第二十願批判の文として引用されている。(全書・二・一六五)すなわち、仏教と仏教以外・出世間と世間の分水嶺の願が第十九願であり、それは第九矢の有無の点であるとされているのである。さらに、念仏と念仏以外(雑行、助業)、真宗と浄土異流との分岐点を、第二十願の自覚をもつか、もたぬかの一点におかれ、それは第十矢を如何にうけとるかにあるとされているのである。

24.第二十願
 『大無量寿経』第二十願文
 「設い我仏を得んに、十方の衆生、我が名号を聞きて、念を我が国に係けて、諸の徳本を植え、心を至し廻向して我が国に生まれんと欲わん、果遂せずば正覚を取らじ」(全書・一・一〇)
 異訳の『如来会』には
 「若し我成仏せんに、無量の国中の諸有の衆生、我が名を説くを聞きて、以て己が善根として極楽に廻向せん、若し生まれずば菩提を取らじ」(全書・一・一九〇)
と説かれているが、ともに『教行信証』化巻(全書.二.一五八)、『浄土三経往生文類』(全書・二・五四八)に引いて註解されているが、親鸞教学にとっては大切な問題を提起している願である。
 すなわち、善導・法然二師の教学は、第十八願一願建立の教学であるに対して、親鸞聖人は四十八願から五願・八願(第十一・十二・十三・十七・十八・十九・二十・二十二願)を仏道の原理として要出されたのであるが、かかる親鸞教学の樹立は、法然門下の称名念仏を批判されて、第二十願を見出されたところから出発したのでなかろうかと私考するのである。一応、ここには、第二十願文をあげ、親鸞教学にとって重要なる願であることを注意しておくにとどめたい。

25.法執
 この法執を、疑といい、罪というのであるが、『正像末和讃』の中の『疑惑和讃』二十三首に
 「仏智不思議の弥陀の御誓を疑う、罪とがを知らせんとあらわせるなり」(全書・二・五二五)
と後書されているように、仏智疑惑の罪について詳説されている。『大無量寿経』第十八願及び成就文に「唯除五逆・誹謗正法」とあるを、抑止文(おくしもん)といい、うち五逆は世間的悪、誹謗正法は宗教的悪であるが、この誹謗正法が法執・仏智疑惑の問題にあたる。『教行信証』、信巻末には、『涅槃経』を引き、難化・難治の病として、右の唯除の問題をくわしくとりあげられている。(全書・二・八一)

26.本願の宗教での「罪」
 『疑惑和讃』第十三首(全書・二・五二四)は
  七宝の宮殿にむまれては――宗教的神秘性におちこんで
  五百歳のとしをへて  ――永遠に
  三宝を見聞せざるゆえ ――聞法求道の意欲をうしない
  有情利益はさらになし ――社会性をうしなう
と解せられるであろう。
 『大無量寿経』正宗分の最後に「胎生」の問題が、第二十願成就文として提出されている(全書・一・四二)。それが『教行信証』化巻などに「疑城胎宮の問題として詳説(全書・一・一四三)されているが、この法執、すなわち、第二十願の問題は、源信僧都の『往生要集』を媒介として、親鸞教学を「廻向の教学」・「第十七願の教学」――法然教学は「第十八願の教学」――として樹立せしめた、内面的要素として重要な問題である。

27.「本願の嘉号を以て、己が善根とする」
 『教行信証』化巻(全書・二・一六五)に
 「凡そ大小聖人・一切善人、本願の嘉号を以て、己が善根とするが故に、信を生ずる能わず、仏智を了せず、彼の因を建立することを了知すること能わず、故に報土に入ることなきなり」
と説かれている。すなわち念仏の法に自力を加えているところの、いいかえれば、念仏の法を「わたくし」しているところの、当時の仏教界の現状を、わが身のうえに自覚され、この自覚をもって、天親・善導の教えを学び、三願転入することを得たと告白されている。

28.「大慶喜心を獲ず」
 『教行信証』化巻(全書・二・一六五)に
 「真に知んぬ、専修にして而して雑心なる者は大慶喜心を獲ず」
と述べられて、大慶喜と慶喜を区別して、自力の慶喜は純粋でないと説かれている。この心境を、「胎生」とか、「七宝の獄」とかと神話的に表現されているのである。

29.「彼の仏恩を念報する」
 『教行信証』化巻(全書・二・一六五)に
 「彼の仏恩を念報することなし、業行をなすと雌も、心軽慢を生じ、常に名利と相応するが故に、大我自ら覆うて、同行善知識に親近せざるが故に、楽みて雑縁に近づきて、往生の正行を自障障他すが故に」
と、善導大師の『往生礼讃』の(註・七・22参照)文を引かれて第二十願の機の失を説かれている。すなわち、法執のものの罪を説かれているのである。

30.第十七願にちかわれている、本願の歴史
 善導・法然二師の第十八願一願建立の教学を引きつがれた親鸞聖人は、『大無量寿経』の四十八願を見なおす眼を、曇鸞大師の「三願(十一・十八・二十願)的証」(『教行信証』行巻・全書・二・三七)に得られたと思われる。
 すなわち、第十八願の自覚のあるところに、内面にひらかれるのが第十一願の証の世界であり、そこから他に働きかける還相の問題(第二十二願)がおのずから生まれるのである。その他に働きかけるとき、第二十願の自覚がひらかれ、そこからふりかえって、第十七願を見出されたのでないかと考えられる。さらに、第二十願の機の自覚によって、第十七願の法にかえり、第十七願の法に照らされて、第二十願の自覚を深められるという、親鸞教学の眼目ともいうべき第十七・二十願の円環関係を見出されたのであろう。
 歴史的具体的には、「信巻」末に引かれている『涅槃経』の教説、及び、「化巻」本に説かれている吉水教団の問題が、聖人に、第二十願の自覚をあたえたことであろう。

31.『選択集』を書写することをゆるされ
 『選択集』の書写を許されたのは、法然門下のうち、幸西・弁長・隆寛・証空・真西と親鸞聖人の五人であるといわれている。時に、聖人三十三才である。書写は、弟子のうちでも年﨟(ねんろう)の高いものや、求道心の強いものが選ばれて許されたようで、聖人の感動の程が察せられるのである。

32.真宗教団の性格
 自信教人信というごとく、宗教的経験を得たものは、必ず他に働きかけるということが、宗教の世界であろうと思われる。イエスやルッターに、日蓮上人や道元禅師、さらに法然上人などに、その教化者としての人間像をうかがうのである。
 しかし、「弟子一人ももたず候」と表白された親鸞聖人には、教団設立の意志を見ることができない。晩年まで、吉水教団の一員の自覚と、法然門下の感動とをもって、生涯をつらぬかれた聖人には、他の宗教家のような意志が、まったく、なかったと思われるのである。けれども、聖人に自信教人信の願いがなかったのではない。『教行信証』をはじめ、「いなかの人々」に書きつけられた和語の聖典など、多くの著述があるから、教人信の願いをもたれていたことは確かである。
 「前に生るる者は後を導き、後に生るる者は前を訪い、連続無窮にして、願わくば休止せざらんと欲す。無辺の生死海を尽さんが為の故に」(全書・二・二〇三)
との言葉をもって『教行信証』を結ばれているのであるが、この願いは、聖人の全著述をつらぬく御精神であろうと思われる。ただ、その『教行信証』も「真宗の教・行・証を敬信して、特に如来の恩徳の深きことを知んぬ。斯を以て聞く所を慶び、獲る所を嘆ずるなり矣」(全書・二・二〇三)
と総序を結ばれおり、また『讃阿弥陀仏偈和讃』に
  仏慧功徳をほめしめて
  十方の有縁にきかしめん
  信心すでにえんひとは
  つねに仏恩報すべし (全書・二・四九一)
とうたわれているように、聖人の著述は仏徳讃嘆である。どこまでも、教化者の意志が表面に出されておらないのである。師の立場に立たず、弟子の立場でつらぬかれている。
 いわば、ここに真宗教団の性格があるのであって、キリスト教の教会論では、見える教会・見えざる教会という二つの教会を考えるようであるが、親鸞聖人は、見えざる教会を願いとされていたのであろうか。なお、真宗における教団論は検討されねばならないであろう。(今は、覚如上人・蓮如上人を中心とする本願寺教団と別箇に、親鸞聖人の真宗教団を考えたいのである)

33.法然の仰せとは・・・であります
 ここの、法然の仰せとは、同じく第二章にある「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」とある仰せのごとく、一応、考えるべきであろうが、善導大師の二種深信をうけるものとして、いわゆる、「信の宗教」の系譜として、『選択集』三心章の
 「当に知るべし、生死の家には、疑を以て所止と為し、涅槃の城には、信を以て能入と為す」(全書・一・九六七)
の文とした。この文は、『正信偈』(全書・二・四六)に引かれ、また、『尊号真像銘文』(全書・二・五九六)に注釈されている。

34.就人立信
 就行立信と共に、善導大師の『散善義』のうちの深心釈に出るのである。

 ┌就人立信――聖浄相対――教――『選択集』・三心章(全書・一・九六二)
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 │     ――『教行信証』・信巻(全書・二・五四)・化巻(全書・二・一六〇)
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 └就行立信――正雑相対――行――『選択集』・二行章(全書・一・九三四)

       ――『教行信証』・化巻(全書・二・一五〇)

 就人立信・就行立信ともに、信の背景をあかすのであって、まず、就人立信の人について、『六要鈔』(全書・二・二八一)では二義をたて
①四重の故人をもって人となすという説――これは、凡夫・三乗・地上の菩薩・報仏化仏などの、解行不同の人々が、行者の求道を非難することによって、かえって、己が信を堅めるとき、その人々によって信を立てることになるという説。
②能説の人たる釈迦・諸仏を人となすという説。
と説かれているが、『歎異鈔』第二章は、釈尊・善導・法然という能説の人をあげられているので、『六要鈔』の第二義である。
 次の就行立信であるが、行について善導大師が『観無量寿経』の本文から、「五正行」をたてられ、それが法然上人を経て親鸞聖人に伝承されてきている。すなわち、図示すれば

  ┌ 雑行(万善諸行)
  |
  |    ┌ 読誦正行  ―┐
  └ 正行 ―┤ 観察正行   ├― 助業 ―┐
       | 礼拝正行   |     |
       | 称名正行  ―⏆― 正定業 ┘
       └ 讃嘆供養正行 ┘

となるが、いま、就行立信の行は、正定業としての称名正行であると、古来いわれている。この行については『六要鈔』の指示にしたがって、曾我先生が注意されていることは既に学んだ(註・七・13参照)のであるが、「行は、信の歴史的背景」である。大行であり、本願の歩みである。本願の歩み(行)によって、信がたつという意味で、就行立信である。本願が、釈尊・善導・法然と歩んで、親鸞の信を生むのである。

35.自力の行・・・「大行」をたてる
 『教行信証』行巻に
 「明かに知んぬ、是れ凡聖自力の行に非ず、故に不廻向の行と名くるなり」(全書・一・二一五)
とあり、『浄土文類聚鈔』には
 「聖言・論説、特にもて知んぬ。凡夫廻向の行に非ず、是れ大悲廻向の行なるが故に、不廻向と名く。誠に是れ、選択摂取の本願、無上超世の弘誓、一乗真玅の正法、万善円修の勝行なり」(全書・二・四四四)
と説かれて、法然上人に対する聖道門の疑難をうけ、第十七願・諸仏廻向の宗教を樹立されたのである。

36.政治・科学・教育・・・未開拓といわねばなりません
 「狂信は、宗教の領域にあるだけでなく、政治生活にも道徳生活にもありうる」(『文化と宗教』・七一)と、パウル・ティリッヒ博士は説かれ、これが今日の世界の問題であると述べられている。
 科学をはじめ、今日の文化は、それぞれ分化して、みずからの分野を固執し、綜合・統一することが不可能になっていることは、あらゆるところで遭遇せしめられる事実であろう。これらが、法執・体験執の問題であるのである。法執が綜合・統一を邪魔するのである。

37.純粋客観
 西田幾多郎博士は『善の研究』第四編・第五章(全集・第一巻・一九七)に
 「我々は、客観的になればなるだけ、益々能く、物の真相を知ることができる」
 「我々が、自己の私を棄てて純客観的、即ち無私となればなるほど、愛は大きくなり深くなる」
 「今之を宗教上の事に当てはめて考えてみよう。主観は自力である。客観は他力である。我々が物を知り物を愛すというのは、自力をすてて他力の信心に入る謂である」
などと述べられている。

38.「本願のかたじけなさよ」
 『歎異鈔』後序に「聖人のつねの仰せ」として引かれている文であるが、前半の
 「弥陀五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに、親鸞一人が為なりけり」
というお言葉は、親鸞聖人の信は、阿弥陀仏の本願よりあたえられた、歴史的現実であるという表白である。宗教的直観の言葉である。それにつづく後半の
 「されば、そくばくの業をもちける身にてありけるを助けんと思召したちける本願のかたじけなさよ」
のお言葉は、いただいた信を、本願にかえされた言葉である。宿業の身にかけられた本願の歴史を讃嘆された言葉である。宗教的反省の言葉である。

39.二種深信
 前序(註五・3・5・6・7参照)においてふれたが、ことに、機の深信は『歎異鈔』をつらぬくものである。たとえば、第一章の「罪悪深重」は『散善義』の、「煩悩熾盛」は『往生礼讃』の機の深信の言葉からとられたものであり、第二章の「とても地獄は一定すみかぞかし」というお言葉は、まさしく親鸞聖人の機の深信の表白である。
 さらに、『歎異鈔』後序には、聖人のつねの仰せを、善導大師の「金言に少しも違わせおわしまさず」と『散善義』の機の深信の文にてらして
 「されば、(かたじけな)くわが御身にひきかけて、我らが身の罪悪の深きほどをも知らず、如来の御恩の高きことをも知らずして迷えるを、思い知らせんが為にて候いけり」
と、唯円は、わが機の深信の表白をとおして、親鸞聖人を讃嘆しているのである。かく見るとき、『歎異鈔』をつらぬくものは、自身・わが身の問題である。これが、また、『観無量寿経』の主題でもある。この「機」が本願を展開する機となるのである。ひとりの人間が、本願に出あうとき、本願の歴史の機となる。個人的人間が、歴史的人間となるのである。(以下の註・40・43参照)

40.道綽・善導二師の教学
 善導大師の機の深信は、いわば、歴史的実存の自覚・罪悪生死の凡夫の自覚である、が、親鸞聖人は『愚禿鈔』に、さらにそれを展開しておられる。すなわち「第一深信は、決定して自身を深信す」(全書・二・四六七)と述べられて、罪悪生死の凡夫のままに、大悲せらるる身、本願の生命のかかった身、他力廻向の信心をたまわった尊厳なる自身であることをあかされているのである。
 善導大師と親鸞聖人との、機の深信は、いわば視角がちがうのである。自己を見いだす立場がちがうのである。すなわち、善導大師は『観無量寿経』によって、自己自身の立場からの告白であり、懺悔であるが、親鸞聖人は『大無量寿経』によって、自己を如来に照らして、自己のうちに仏心を見いだされたのである。

41.『観無量寿経』の・・・批判しておられます
 善導大師は『観経疏』に、『観無量寿経』像観の「是心是仏」を解釈して
 「是心是仏とは、心能く仏を想えば、悪に依って仏身現ず。即ち是の心仏なり。此の心を離れて外に、更に異仏なきものなり」(全書・一・五一九)
と説かれ、諸師の唯識法身観、自性清浄仏性観を批判して
 「其の意、甚だ錯れり。絶えて少分も相似たることなし。……術通なき人の空に居して舎を立てんがごとし」
と否定しておられ、仏を想念する心(信心)に仏を見出されている。親鸞聖人も、『正像末和讃』悲歎述懐に
  罪業もとよりかたちなし
  忘想顛倒のなせるなり
  心性もとよりきよけれど
  この世はまことの人ぞなき(全書・二・五二九)
と説かれて、理としては聖道門の講師の説のようであるが、末法の世の事実としては、人間に純粋性・尊厳性は認めることはできないと説かれている。親鸞聖人は「信心仏性」すなわち、人間のうちにひらかれた信心そのものこそ、仏性・法性・法身であると説かれて、(全書・二・六三〇)『唯信鈔文意』)この廻向の信心に、尊厳性を見出されている。
 さらに『教行信証』信巻末に他力の菩提心を二十句をもって転釈されている。抄出すれば
 「然れば、願成就の一念は、即ち是れ専心なり、専心は即ち是れ深心なり、深心は即ち是れ深信なり、深信は即ち是れ堅固深信なり、堅固深信は即ち是れ決定心なり……真実信心は即ち是れ金剛心なり……是の心は即ち是れ大菩提心なり、是の心は即ち是れ大慈悲心なり云々」(全書・二・七二)
と説かれて、愚身の信心こそ、深信であり、堅固信心であり、金剛心であり、仏の大慈悲心であると、他力廻向の信心を感動をもって説かれている。
 他力廻向の信心は(註六・20参照)如来の自信であり、衆生の自信である。如来にこたえて衆生が自覚(信心)をもったとき、それは、如来みずから大慈悲心の成就を衆生のうちに発見し、自信とされるのであり、衆生は、その如来の自信をうけて、わが自信とするのである。

42.貪欲・瞋恚の煩悩
 『正信偈』の「能発一念喜愛心」を、『六要鈔』に
 「煩悩罪障の凡夫、唯、一念真実の信心を以て、其の証益を得ることを明す」(全書・二・二六七)と註解されているが、まことに、能発の一念は、煩悩罪障の凡夫にひらかれるものである。また、衆生の貪瞋煩悩中に能く生ぜしめられた清浄願往生心であって、善導大師の『散善義』の二河譬の白道そのものである。わたしたちのうえにおきる純粋意欲は、水火二河中の白道である。

43.「法の深信を明かす」章
 『愚禿鈔』(全書・二・四六七)には
 第一の深信は、決定して自身を深信する。即ち是れ自利の信心なり。
 第二の深信は、決定して乗彼岸力を深信する。即ち是れ利他の信海なり。
 と説かれているが、善導大師の二種深信とおのずから異る面(註39参照)がある。
 ことに、機の深信は自利、法の深信は利他と説かれているが、親鸞聖人は、自利々他は、自力・他力と理解されるのである。この理解のうえにたって、『愚禿鈔』の機の深信の「是れ自利の信心なり」とある文を見るとき、機の深信は、自力の信心ということになる。しかし、「機の深信は自力」という読みとり方を採用することは、古来、物議をかもしてきたことであるが、「機の深信は自力の信」と、うけとることのできる『愚禿鈔』の「即ち是れ自利の信心なり」という文は、「機の深信は、自己における自覚の問題である」との注意書きを加えられているものと思われる。
 それはそれとしておいて、第二章の結びの問題としては、「法の深信は他力の信海なり」との仰せを問題にしたいのである。すなわち、『浄土文頼聚鈔』の文と、『愚禿鈔』(全書・二・四四七)の二種深信の文とを対象にするとき

 ┌心を弘誓の仏地に樹て……機の深信……自利の信心……自覚
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 └情を難思の法海に流す…‥法の深信……利他の信海……感情

となって、法の深信とは、自覚のあるところにひらかれる純粋感情の世界である。いわば、仏々相念の世界であり、第十七願の世界である。親鸞聖人は、かかる世界を、第二章後半に述べ、讃嘆されてきたのである。


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