『歎異鈔集記』  高原覚正著 本文へジャンプ

註 (補 説)
<一 共同体の意志――序にかえて>

1.三宝
 仏教の共同体であり、三宝論は、仏教の共同体論である。この三宝について、通常、別相(べっそう)・一体(いったい)・住持(じゅうじ)の三宝をたてる。
 別相三宝とは、仏・法・僧が各別であるときをいい、一体三宝とは、同一の仏のうえに、三宝が具備していると考えるときをいうのである。また、住持三宝とは、後世へ仏教をつたえるための、仏像(仏)・経巻(法)と求道者(僧)をいう。
 聖徳太子は、十七条憲法の第二条に、「篤く三宝を敬え、三宝とは仏・法・僧なり。則ち四生の終帰・万国の極宗なり。何れの世、何れの人か、是の法を、たつとばざる云々」といわれているが、仏教徒は、僧伽論・教団論を新しく考えねばならない時がきていると思うのである。

2.僧伽
 仏と法が、真に生きるところは、弟子(僧)のあるところという意味で、この僧伽のうえに、三宝を見る考えも、一つの一体三宝である。僧伽(弟子・友)のない仏・法は観念的なものであり、真実の仏・法ならば、必ず、生命ある僧伽を生産するものである。
 少し問題がずれることになるかもわからないが、僧伽の原理は、『大無量寿経』の四十八願に求めるならば、第十七願である。諸仏称名の願である。諸仏が南無阿弥陀仏(法・法則・道理、さらにいえば、教法)を讃嘆されるところの願である。かく、諸仏と、法とが生きているところには、いうまでもなく、真の仏弟子(僧)が生産されるものである。
 また、僧伽の精神は、南無阿弥陀仏(名告り、呼びかけの言葉にまでなった仏法)である。宗教そのものは言葉を超えたものであるが、その宗教そのものを、人間に関係する言葉にまで具体化したのが、本願の言葉、本願の法である。これを、南無阿弥陀仏として伝承してきたのである。よって、人間の自我とか、理知ではなく、本願に根ざした言葉(南無阿弥陀仏)のところに、本願の僧伽の精神は生きているのである。
 このように僧伽の原理、僧伽の精神をあきらかにしているのが、第十七願である。善導・法然の宗教は、第十八願(一願建立)の宗教であるに対して、親鸞の宗教は、この第十七願を見いだされたところにひらかれたのである。いわば、法然の宗教は、不廻向の宗教・直観の宗教に対して、親鸞の宗教は、第十七願の宗教・廻向の宗教・本願の歴史を見いだした宗教である。この書のはじめにあたり、このことをあらかじめ、注意しておきたいのである。

3.大無量寿経
 『大無量寿経』の総願の「歎仏偈」には、「あまねくこの願を行じて、一切の恐懼に、ために大安をなさん」・「十方より来生せんもの、心悦清浄にして、快楽安穏ならん」(全書・二・六)と、摂衆生の願をたてられている。また、阿弥陀仏の四十八願には、国中の人天・十方の衆生・国中の菩薩・諸仏世界の衆生の類・諸仏世界の諸菩薩衆・諸仏世界の諸天人民・他方国土の諸菩薩衆と、ひろく呼びかけられている。
 さらに、阿弥陀仏は、蜎飛(けんび・羽でとぶもの)・蠕動(なんどう・体ではう動物)の類にまで願いかけるのである。(『大阿弥陀経』・全書・一・一二九、「行巻」所引)

4.願いかけられるものは…
 来迎の来の字を、親鸞は解釈して、仏と衆生の相互関係を述べている。
 「来は、浄土へきたらしむという、是れ即ち、若不生者の誓をあらわすみのりなり、穢土をすて真実の報土にきたらしむとなり、即ち、他力をあらわすみのりなり。また、来は、かえるという、生死海にかえりいりて、よろづの有情をたすくるを、普賢の徳に帰せしむというなり、この利益におもむくを、来という」 (『唯信鈔文意』・全書・二・六四一)
 「法性のみやこより、衆生利益の為に、裟婆界にきたりたもう故に、来をきたるというなり」 (全書・二・六四四)
 さらに、『御消息集』第十通(全書・二・七一二)にも、来の釈があって、仏は裟婆に来り、衆生は、本願を故郷として、仏のところに帰する関係が、本願の仏と衆生の関係であると説かれている。

5.純粋本能
 純粋本能という言葉は、曾我量深先生の言葉(『歎異鈔聴記』・八四頁)を頂戴した。先生は「本能だけでは誤解されるから、『宿業本能』と重ねてつかううちに、本当の意味をわかってもらうようになり、本能という言葉だけでいい時代が来るでしょう」と仰せになっておられたことがあった。
 また、『聴記』には「本能は感応道交するということである。本能は相い受用する」とも説明されている。

6.純粋意志
 本願を、純粋意志という言葉にかえたのであるが、意志は、一切の存在の根底となるものとか、人間の主体となって、ものを生むものとか、種々の解釈がある。しかし、西田幾多郎博士は、『善の研究』(『西田幾多郎全集』・第一巻・二九)に素朴に、「意志するというのは即ち之に注意をむけることである」と説き、その意志が、自己を、万物を統一する、統一力をもつものであると説かれていることは興味ぶかい。


二 仏弟子・唯 円>

1.奥書
 蓮如上人は『歎異鈔』に、「右、斯の聖教は、当流、大事の聖教となすなり。無宿善の機において、左右なく、之を許すべからざる者なり。釈蓮如(花押)」(全書・二・七九五)と奥書されているが、これは、覚如上人の『口伝鈔』の奥書(全書・三・三六)をうけられたものである。覚如上人は、その奥書に、「祖師聖人本願寺親鸞」と書きつけられて、真宗(人類の宗教)の親鸞を本願寺の親鸞とされているのである。
 また、蓮如上人は、覚如上人の『執持鈔』第五章(全書・三・四二)によって、法然上人の第十八願一願建立の教学をうけて、『御文』をつくり、「御文は、如来の直説なり」、「形をみれば法然、詞を聞けば弥陀の直説」(全書・三・五六二、『蓮如上人御一代記聞書』第一二四条)と述べられ、法然上人・覚如上人の伝統をうけて、本願寺教団を再興されたのである。
 これらの点を考えるとき、蓮如上人の『歎異鈔』の奥書は、「故親鸞聖人の御物語の趣」(『歎異鈔』前序)をひとえに仰ぐ、唯円の著『歎異鈔』を、当流(本願寺教団)の聖教と認められていることになるのであって、唯円の意図とは、少し、異るものがあるかの如く感ずるのである。

2.『歎異鈔聞記』
 『歎異鈔』の註釈書は、近代になって、数えきれぬほど書かれているが、了祥師の『歎異鈔聞記』・曾我先生の『歎異鈔聴記』はすぐれたものと思われる。前の『聞記』は、第十九願(第二十願をつつんで)の『歎異鈔』、後の『聴記』は、第十八願の『歎異鈔』といい得るのであって、一貫した立場をもって、註釈されている註釈書は、この二書といい得よう。

3.『慕帰絵詞』第三
 「安心をとり侍るうえにも、なお、自他解了の程を決せんがために、正応元年冬の比、常陸国河和田の唯円房と号せし法侶、上洛しけるとき、対面して、日来、不審の法文において、善悪二業を決し、今度、あまたの問題をあげて、自他数遍の談におよびけり。かの唯円大徳は、親鸞聖人の面接なり。鴻才弁説の名誉ありしかば、これに対しても、ますます、当流の気味を添えけるとぞ」 (全書・三・七八〇)

4.『最須敬重絵詞』
 「河和田の唯円大徳をもて、師範とし、聖人の門葉と成って、唯善房とぞ号せられける」(全書・三・八四三)
 ちなみに、真言宗・修験道の行者であって、やがて、唯円の教えをうけることになった、唯善は、親鸞聖人の娘・覚信尼と小野宮禅念との間の子であるが、覚如上人(覚信尼と日野左衛門佐広綱との間の子である覚恵の長子)と、大谷の祖廟の留守職を争って負けているのであるが、この唯善・覚如ともに、唯円の教えをうけている点からも、唯円の位置が推察されるのである。

5.『親鸞聖人門侶交名牒』(親鸞聖人行実・二〇二)

6.善鸞義絶
 『血脈文集』第二通に「自今已後は、慈信におきては、子の儀、おもいきりてそうろうなり」(全書・二・七一八)と、門弟の性信房あてに、また「今は、父子のぎはあるべからずそうろう」(全書・二・七二七・『拾遺真蹟御消息』)と、本人の慈信房あてにだされている。この、ながながと書かれている二通の便りから、親鸞親子の愛をたち切って、仏道のために決断された心中がうかがわれるのである。


三 『歎異鈔』というべし>

1.純粋な批判精神
 親鸞聖人の歎異――批判精神が具体的にうかがわれるのは、『末燈鈔』の、造悪無碍に対する批判、(第十六章・第十九章)『御消息集』の、善鸞の異義にまどまわされている人々への便り(第六章・第七章)等である。
 つまり、直線的に、他を批判されておらず、ゆきつもどりつ、の感じのある語りかけである。しかも、「かえすがえす、あわれにかなしう覚え候」(全書・二・七〇八)とか、「かえすがえす不便の事に聞こえ候え」(全書・二・七〇五)とか、「今は、人の上も申すべきにあらず候」(全書・二・七〇七)とかと述べられているのである。
 『教行信証』後序(全書・二〇一)にあるところの、聖道諸教および、当時の、主上臣下である為政者に対する、きびしい批判の言葉を、親鸞聖人の批判精神の一面とするとき、『末燈鈔』・『御消息集』などは、他の一面をあらわしているのである。

2.咨嗟
 一般的解釈は、咨は、感嘆する、なげく声。嗟は、なげく、悲しむ、痛恨の声。咨嗟は、ためいきをついて嘆くこと。

3.『六要鈔』行巻(全書・二・二三一)
 「咨嗟と言うは、憬興の云く咨とは讃なり、嗟とは嘆なり、広韻に云く、『嗟、子邪の切、咨なり、嘆なり、痛惜なり」とくわしく述べられている。第十七願の諸仏が、南無阿弥陀仏の法を讃嘆されているという表現を、諸仏が痛惜されていると、機の問題としてうけられているのである。

4.『御消息集』第十通(全書・二・七一一)
 「諸仏称名の願ともうし、諸仏咨嗟の願と申し候なるは、十方衆生を勧めん為と聞こえたり、又、十方衆生の疑心を止めん料と聞こえて候」と述べられている。すなわち、存覚上人の「痛惜」という解釈に、ひとしい意を述べられているのである。すなわち、讃嘆と痛惜の解釈から、第十七願は、法の讃嘆をちかわれているままが、一面、機に対する痛惜、大悲となることを明かすのである。


四 『歎異鈔』の組織>

1.『歎異鈔』と『教行信証』の相関性
 『歎異鈔』と『教行信証』の関係は、意識的に唯円が、そうしたのでなく、無意識のうちに、似かよったものとなっているのであろう。それほど、唯円は、親鸞聖人に身近くつかえ、おしたい申したにちがいないと思われる。蓮如上人の弟子である赤尾の道宗の筆蹟が、蓮如上人にそっくりであることに驚いたことを想起するのである。
 師訓十章を、教・行・信・証に配当することもできようし、異義八章は、「化身土巻」に比すべきものでもあろう。しかし、ただ、配当するのでなく、『歎異鈔』と『教行信証』を、相照らして、自己のうえに学ぶことであろう。

2.大切の証文
 「大切の証文ども、少々ぬきいでまいらせ候いて、目安にして、この書にそえまいらせ候なり」(全書・二・七九二)とあるところの、「大切の証文」ということが、このごろ、また、問題になっている。明治以前の学者・明治以後の研究者、さらに、今日なお、問題になっているのである。古文書学的にどうかということには興味をもたないのであるが、ただ、『歎異鈔』を学び、親鸞聖人を、本願の宗教を求め、学ぶとき、この、師訓十章か、「大切の証文」となるのである。この、師訓十章の、今日的存在意義を思うとき、「大切の証文」ということが、おのずから定まってくるという、考え方をとりたいのである。これは、「自見の覚悟」であり、独断であろうか。(註・七・9参照)


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