あ と が き



○ 中村正先生が追慕のなかに現れてくださるのは、名利を見つめて静かに念仏される先生である。若き日、禅に心を寄せられ、のち広島で住岡夜晃先生に値遇せられ、お念仏のみ教えに心のどん底をぶち抜かれて、まことに師教に忠実に一道を生ききられた。すべての計らいから解放されて、因縁のままに従仏逍遥、二利双運の生涯を尽くされた。
先生は、頑健とは言えぬ体質に随順されながら、七十七歳にして、師父夜晃先生と浄土の再会を果たされ、そして今も現に語りかけてくださってある。文字化させていただきながら、先生の永年に亘る深いお慈悲に改めてお礼申し上げることである。
 先生は、剛毅純朴人間味豊かな、そして真に謙虚な先生であられた。独立自尊のご人格は、謙虚の座を微動だもされなかった。また先生は、いつお会いしてもにこやかであられた。柔軟のお徳の香りただよう和顔愛語の先生であった。

○ 筆を走らせては雄渾清雅、滋味あふれる玉章をたくさん書き残しておられる先生であるが、口頭のご讃嘆は、まことに闊達自在、もう動きだしたら止まらない。平常は静かにやさしい声で、ときにつぶやくように、またときにいかにも楽しそうに話されるのであるが、突如内から噴出する歎異の激情をあらわに叫ばれたりする。聞く者を圧倒するような、その気迫に満ちたお声に、みな魂を揺さぶられる。お浄土の声が先生の声となって、聞く者の心に深く深く浸透してくださるのである。文字化すると、残念ながらこの自然な声の表情がおおかたそぎ落とされてしまう。冒頭「文字化注」にもおことわりしたように、あえてお声に忠実な文字化を心がけたのは、先生の生きた肉声の躍動を少しでも残せたらと思ったからである。とはいえ、たとえばしばしの沈黙とか声の緩急強弱とかいうものを表記面に表現するのには、超えがたい制約があるのをどうしようもない。 

○ 先生はお話中、時々掌で口のあたりをさすられることがある。その掌の五本の指の格別長いのが印象的であった。お念仏の香り豊かに、長く教育道に尽瘁され、傍ら、あの如意輪観音のような繊細な手で、そしてあの鋭い感性で、茶道、染色、書画、陶芸などを楽しまれ、それらを通して悠々とお念仏申されたのだ。

○ 本冊子は、昭和六十三年から平成十年まで、年に一度、一泊二日の会座で「本願の心」をご讃嘆くださった、そのうちの平成九年度分の文字化である。手作りの粗末な冊子で、先生並びに読者各位に申しわけないことである。先生ご在世なら、原稿のご高閲を仰ぎ、補筆修訂していただけたのにと、残念である。今回最終段階で、小田忠幸先生に特にお願いして入念なご高閲を賜ることができたのは、まことにありがたいことであった。

○ 影の形に添うようにいつも先生に付き添って遠路をお越しくださり、また今回原稿にお眼通しくださったうえ、このような冊子にすること、そしてこれを本部夜晃堂をはじめご縁の方々の机辺に奉呈することをお許しくださった勢起子奥さまに、厚くお礼申し上げます。 

○ 貴重な録音テープを貸与された栗栖てつよし氏に厚くお礼申し上げます。 合掌

       平成十四年五月一日三回忌のご命日に                      佐藤虎男


もくじに戻る

発行日 平成十四年六月一日
著 者 中村 正
編 者 佐藤虎男

WEB版作成日 平成二十一年九月二十三日

by 西岡 せいじ