歎異抄講読(後序について)細川巌講述 より
第一節

二、大切の証文

(1) 香月院深励
 この人は「大切の証文」に初めてふれた人である。この方は東本願寺の、徳川時代の講師のお一人である。講師といえば本山の筆頭の学者であり、現代で言えば筆頭教授みたいなものであろうか、たいへん有名な人である。この方の講録が最近復刻されており、正信偈、『観無量寿経』、『無量寿経』など、大事な聖教については現在でも多くの人々に読まれている。私も何冊か持っているが、仲々の御学者であると思う。
 香月院深励は、『歎異抄』の前十章が「大切の証文」であるとした。
 この説が何となく妥当なような気もする。それは、『歎異抄』は前の十章が師訓篇で、聖人の教、正しい信心を述べたものである。後の八章は異義篇で、間違った主張を正している。その間違いを批判し正すというのが歎異である。『歎異抄』は異ることを歎くというのが歎異である。異ることを歎くというのであるから、その章を後の異義篇とするならば、前の師訓篇が添えた証文ということになる。このような観点から香月院深励の説が出たのであろう。
 が、これに真向から反対した人があった。それが了祥である。
 香月院深励は『歎異抄』に関する限り、一つの誤ちをおかしている。それは『歎異抄』の著者についてであって、本願寺三代の覚如上人が著者であると主張した。当時はこれがすぐれた説であるとされていたが、後には厳しい批判を受けるようになった。

(2) 了 詳
 香月院深励に反対したのは了祥である。『歎異抄聞記』の中で真正面から反対している。
 了祥は先ず証文の意味、即ち証文というのはどういう意味であるのかというところから始めている。
 「証文」という言葉は第十二章にある。『あやまて学問して名聞利養の念に住する人、順次の往生いかがあらんずらん』という証文も候うぞかし」。更に同章の「かつは『諍論のところにはもろもろの煩悩おこる、智者遠離すべき』よしの証文も候うにこそ」とある。又第十七章に「何の証文に見え候うぞや」とある。
 親鸞聖人自身は『一念多念証文』(略して『一多証文』という)に「証文」と依ってある。聖人の証文は明らかに経、論、釈の文章を「証文」として依ってある。
 これらによって了祥は『歎異抄』でも、経論釈の文章をさして「証文」とするのが適当だと考えた。
 然るに『歎異抄』の第一章から第十章までの前十章は証文ではない。既に何かに書かれていた文章ではなくて、著者の耳底に残っていたものである。「耳の底に留るところいささかこれを記す」とあるように、心の奥底に感銘して残っていたものを自分が書き出したのである。従って、証文というべきものではなく、胸底に残る感動の言葉である。自分が書き出したものを証文などと言える筈がない。証文というのは、既に経論釈に文章化されたものであって、自分が書いたものを証文と言う筈がないではないか、というのが第一の理由である。
 次は「ぬき出る」。ぬき出るとは、文章になっているものから大切な所をぬき書きをするのである。で、第十章まではぬき書きをしたというものではない。「耳の底に留るところいささかこれを記す」のであって、ぬき書きといえるものではない。ここでは「ぬき出でる」という言葉は適当でない。
 第三は「そえまいらせる」。まいらせるは敬語で、そえる、この書にそえる、ということになると、前十章は添えるというものではない。『歎異抄』の中心である。これをどうして添え物といえよう。これがなければ『歎異抄』にならないのだから添え物ではない。
 以上の点をあげて、香月院深励の説は間違っていると了祥は主張する。これが反論の根拠である。(以上は藤秀璻氏の御説によった)
 しかし、これだけでは反論に過ぎぬ。従って次に、了祥は「大切の証文」を探して、思いもかけないような推定をした。それを紹介する。

 『歎異抄』の最後に、理解できにくい文章がある。
 それは「証」であってその内容は、吉永法難の記録である。法然上人とその御弟子七人流罪、更に四人の弟子が死刑。法然上人と親鸞の流罪はどこどこ、弟子だれだれが流罪、死罪だれだれとあるが、これが何のためにここに書いてあるのか明らかでない。しかし、了祥はここに着眼した。
 『親鸞聖人血脈文集』という書がある。これは一章から六章まである。その五章目がこの吉水の法難の記録である。文章がよく似ている。他は手紙である。手紙が五通あって、真中に吉水法難の記録がある。
 了祥師の結論は『親鸞聖人血脈文集』全体が「添えまいらせた大切の証文」であって、『歎異抄』の著者はこれ全体を添えていたのであろう。ところが、いつの時代にか、どういうわけかこの全体が『親鸞聖人血脈文集』として独立し、そして又どういうわけか法難の記録だけが、『歎異抄』の最後に残っているのだという解釈をしている。これが本当かどうか私にはよくわからないが、少なくとも一つの着眼と言えるであろう。
 が、これが本当だとすれば、も一つの問題が残る。それは、この「吉水法難の記録」をはじめ『血脈文集』の手紙が『歎異抄』にとって本当に大切なものかどうかである。今から色色と非難、攻撃、誤解が起ってこようとも、親鸞の信仰はこういうものであるという目安になる、基準になる大切な中身を持っているかどうかがはっきりしないといけない。本当にそれが『歎異抄』の内容に即した、そして唯円が、自分が亡くなった後に問題が起ってもこれさえあれば決して間違わないという基準になるものであるかどうかを吟味する必要があろう。

 そこで、『血脈文集』以外の親鸞のお手紙を見てみよう。現在全部で約四十通残っている。『末灯抄』に親鸞の手紙二十二通と、弟子からの手紙一通がある。計二十三通ある。『御消息集』に十一通、異本では十八となっているのがある。合わせて多く見て四十通である。少なく見積もれば三十三通ということになる。これで全部かというとそうではないらしい。まだこれらに入ってないのも幾通かあるようである。
 唯円はこれらのお手紙の中から大事なものをぬき出した。それが『血脈文集』の五通である。それに、正しく法然のお弟子として親鸞は、流罪に処せられる程の関係にあった人であるということをしるし、その流罪の場所を記録した。『親鸞聖人血脈文集』の一章、二章、三章、四章、六章が聖人のお手紙のぬき書きである。そこで「ぬき出る」ということも、「証文」ということもわかる。経論釈という程のことはないにしても、正しく自分より先に既に文章になっているすぐれた部分をぬき書きして、まとめてそれを添えたのである。
 『血脈文集』の第一章は、『末灯抄』の第二章と全く同じである。『文集』の第二章は『末灯抄』と『御消息集』にはないが、性信房という人に出された手紙である。内容から見ると善鸞義絶の手紙である。善鸞は親の長男で(三男とも言われている)関東へ親鸞の名代として行かれた人であるが、後に問題を引き起し、遂に聖人は親子の縁を切って、親にあらず子にあらずということを弟子達に公告された。そのお手紙である。もとより本人にもそう伝えてある。聖人八十四才とある。善鸞が言っていることは違っているという文章、証文である。息子の言っていることば間違っているとは、特に弟子には言いにくい。しかしながらそこをはっきりしておかないと混乱が起きる。善鸞は深夜ひそかに父親である聖人から、他の門弟が聞いていない法文を聞いたとか、あるいは念仏より他に大事ないき方があるとか、色々言っているけれども、そういうことは絶対にない。それは間違いである。その証拠に私は親子の縁を切って親でもない子でもないということにした、と書いてある。そして、これを皆に伝えてくれとある。実に厳しい本当の証文である。唯円がたとえ死んだ後でもごたごたの起ることのないように、私の言うことが正しいのだということを証明する大事なものである。唯円としては精一杯のものである。
 第三章は、『御消息集』の十一章である。
 第四章は、性信房への手紙である。
 第五章は、先に述べたように、吉水法難の記録である。
 第六章は、『末灯抄』の第三通である。
 第一章、第三章、第六章は、我々の持っている聖典で見ることができる。このように第五章以外は聖人のお手紙であり、それらの中からぬき出されたものである。それを「大切の証文」として『歎異抄』に添えた。了祥はこのように言っておられる。問題は、それらが本当に大切なものであるかどうか、そこにかかっている。

(3) 『血脈文集』の内容
 内容を我々の手に入る第一、第三、第六章の三つから見てみよう。
 第一章は、『末灯抄』第二通に当る部分である。
 「『他力には義なきを義とす』と聖人の仰せごとにてありき」。「聖人とは誰かというと、これは書いた人が親鸞であるから、その大師上人即ち法然上人のことである。「義なき」とは、はからいを超える、自力のはからいを超えるということが道理、本当のわけがらである。「他力には義なきを義とす」、これは実に大切の証文である。法然上人の仰せを受け取った、そこに親鸞がある。親鸞は法然の仰せを受けつぎ伝えた伝承の人である。浄土門の正しい命脈の一環である。これはこの伝承を示す「大切の証文」である。
 今、唯円が一番心配しているのは、親鸞聖人から聞いたのだと言って、本当でないことを本当だと言いふらす異義の考えである。その異義と、唯円の言う聖人の教とどこが違うのか。それは「他力には義なきを義とす」というところである。義ありというところが異義である。「義なきを義とす」は法然上人からの伝承であって、上人の教の中心点である。これが浄土一門の法然、親鸞を貫くいのちである。「義」ははからい、はからいなしが一番大切なところである。ここに「大切の証文」と言われる意味合いがある。異義の人達にはほからいがある。はからいがないというところに他力の中心点がある。
 「他力には義なきを義とす」とは、『歎異抄』では第十章に出ている。十章では「他力には」でなく「念仏には」となっている。「念仏には義なきを義とす、不可称、不可説、不可思議の故に」。これは『末灯抄』第二通と同じである。本当の信心を証明する大切の証文である。それを『末灯抄』第二通からぬきとって、『血脈文集』第一章としてあげた。これは大切な文であると言える。法然の仰せが親鸞の仰せと一味であり、従って親鸞の仰せを記した『歎異抄』が正しいのだということになる。又、『歎異抄』第十章の正しいことを証明する文章でもある。
 『血脈文集』第三章は、『御消息集』十一通である。(22-10)「また弥陀の本願を信じ候いぬる上には義なきを義とすとこそ大師聖人の仰せにて候へ、かように義の償うらんかぎりは他力にはあらず自力なりと聞こえて候……他力には然れば義なきを義とすと候うなり」。
 第六章は、『末灯抄』第三通である。(21-4)「信心を獲たる人は必ず正定聚の位に住するが故に「等正覚の位」と申すなり。『大無量寿経』には摂取不捨の利益に定まる者を「正定聚」となづけ『無量寿如来会』には「等正覚」と説きたまえり、その名こそかわりたれども、正定聚、等正覚は一つ位なり、云々」。そこでは現生正定聚ということが説いてあり「他力には義なきを義とす」本当にわかった人は、現実人生に本当に取り組んで不退転である、ということが説かれている。これが非常に大切なことである。なぜかというと、浄土真宗を含めて浄土門というのは、死んでから先のことを問題にしていると思われやすい。即ち往生極楽とか浄土に往生するとかいうことを力説している。けれどもこれは死んでから先のことを言うのではない。この人生をどう生きていくのか、この人生を本当に力強く生きぬくことができる宗教でなければ本当は意味がない。私には死んでから先のことなどあまり要らんと思う。それより現実人生に於てこそやらねばならぬことがあるのではないか。家庭もあり職場もあり社会もあり、自分自身の一生もここにある。真の宗教はその生涯を本当に完全燃焼していこうという宗教でなければならない。それが、この『血脈文集』の最後に出ている。「他力には義なきを義とす」という宗教は、死んでから先でなしに、現実人生における不退転の人を誕生せしめる力がある。信心の人は必ず等正覚、正定聚の位に住し、弥勒菩薩と等し、如来と等しと力説してある。これは実に大事な証文である。
 『歎異抄』の第一章には往生極楽というような言葉は言ってない。「本願を信ぜんには他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なき故に」、この世を生きていく上で善も悪も恐るるに足らないと言っている。更に念仏こそ末徹りたる大慈悲心であり、念仏者は無碍の一道なりとある。これらは現実性を言ってある。それを忘れてくれるなという証文である。
 このように『血脈文集』の内容を見ると、まことにそれは形の上からも、又内容からも大事なものであって、「大切の証文」であると言えるだろう。
 〔その後、近角常観師の『歎異抄愚註』(山喜房)の了祥説に対する反論を読んだが、やはり上記の説に賛同する心にかわりがないことを附記する。〕 


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