歎異抄講読(後序について)細川巌講述 より
第一節

「右條々は皆もて信心の異るより事おこり候ふか。()聖人の御物語に『法然聖人の御とき御弟子その数おはしけるなかに同じ御信心の人も少くおはしけるにこそ、親鸞御同朋の御なかにして御相論のこと候ひけり』、その故は『善信が信心も聖人の御信心も一つなり』と仰の候ひければ、勢観房・念仏房なんどもをす御同朋達もての外に争ひたまひて『いかでか聖人の御信心に善信房の信心一つにはあるべきぞ』と候ひければ……云々」。

 『歎異抄』は第十一章以下第十八章まで、間違った信心ということについて述べられていて、これを異義篇、又は破邪篇という。しかし、これは後まわしにして、親鸞聖人のお考えをはっきり頂くため、後序を先に頂くことにしたい。

一、信心一異の諍論(じょうろん)

 後序には、三つの問題が出ている。第一は信心一異ということ。第二は、「聖人のつねの仰せには……」とある中で、「弥陀の五却思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり」という非常に大事な言葉が出ている。第三は又、「聖人の仰せには……」とあり、「よろずのことみなもてそらごと、たわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」と述べられて、それが結びになっている。後序ではこの三つが柱になっている。
 先ず、信心一異の諍論というのは、信心が同じか違っているか、偉い人の信心は優れていて我々の信心は劣っているのかどうか、そういう論争である。これは今から七百年前の話であるが、現代の我々にもぜひとも解決しておかなければならないことであって、いわゆる過去の問題でなく現代の課題である。そこで、先ずこのことから考えてみよう。

 はじめの文章は「右條々は皆もて信心の異るより事おこり候うか」とある。「右條々」とは、第十一章から十八章までの各條である。これは前の十章の終に中序とでもいうべき所があって、「(そもそ)もかの御在生の昔」に始まり、「仰せにあらざる異義どもを近来は多く仰せられおうて候う由、伝え承る(いわれ)なき條々の子細のこと」とあって、これを受けて「右條々は……」とある。十一章から十八章までの各章は、信心の異なることから起ったことでございましょうという。
 そして次に「故聖人(親鸞)の御物語に、法然聖人の御時」とある。我々浄土真宗の者は普通、法然上人というが、親鸞は法然聖人と言われている。上人と聖人とはどちらかというと聖人の方が深い尊敬をあらわす言葉のように思われる。親鸞聖人は法然上人を常に法然聖人と言われている。後に親鸞聖人の御弟子達は、親鸞聖人に「聖人」の字を使い、法然上人には、「上人」と書くが、親鸞御自身はそうではなかった。
 法然聖人の御時、即ち法然聖人の吉水教団で親鸞聖人が御弟子になっておられた時、たくさんおられた御弟子達の中でも同じ御信心の人は少なかった。そこで言い争いが起ったと述べられている。「その故は『善信が信心も聖人の御信心も一つなり』」。善信は親鸞聖人のこと。聖人の一番初めの名前は綽空、それを後に善信と改められた。聖人は、私の信心も法然聖人の御信心も一つであるとおっしゃった。そこで勢観房、念仏房などと申す御同朋達が、言語道断の事であると文句を言われた。どうして法然上人の御信心とあなた(親鸞)の信心が一つであろうか、そんな事がある筈がないと言われた。そこで親鸞は、「聖人の御智慧才覚ひろくおわしますのに同じであるというのならば、それはまことに間違いでございましょう。しかし、往生の信心においては全く異ることはございません。ただ一つであります」と言われたが、相手は納得しないで、「どうしてそういうことがあろうか」と、最後まで疑い非難されたので、それでは法然上人の御前で自他の是非、どちらが正しいかを決めようと、その子細を申しあげた。そこで法然上人は、「源空(法然)が信心も如来より賜った信心であり、善信房の信心も如来より賜った信心である。されば一つである」と言われたという。
 これは『歎異抄』後序のほかに御伝妙にも出ている。『御伝鈔』は親鸞聖人の御言行を覚如上人がまとめられたものである。覚如は、本願寺第二代法主如信上人から聞かれた事を中心にし、古い弟子達から聞かれたものも加えてまとめられたようである。
 『御伝鈔』(上)第七段。聖人のたまわく、「いにしえわが大師聖人の御前に聖信房、勢観房、念仏房以下の人々多かりしとき、はかりなき諍論をしはんべることありき。そのゆえは『聖人の御信心と善信が信心といささかもかわることあるべからず、ただ一つなり』と申したりしに、この人々咎めて云く『善信房の、聖人の御信心とわが信心と等しと申さるること謂なし、いかでか等しかるべき』と、善信申して云く『などか等しと申さざるべきや、その故は深智博覧に等しからんと申さばこそまことにおおけなくもあらめ、往生の信心に至りては、一度他力信心の理をうけたまわりしより以来、全く私なし。然れば聖人の御信心も他力より賜らせたまう、善信が信心も他力なり、故にひとしくしてかわるところなしと申すなり』と申し(はべ)りし所に、大師聖人まさしく仰せられてのたまわく『信心のかわると申すは自力の信にとりての事なり。すなわち智慧各別なるが故に信又各別なり。他力の信心は善悪の凡夫ともに仏のかたよりたまわる信心なれば、源空が信心も善信房の信心もさらにかわるべからず、ただ一つなり。我が賢くて信ずるにあらず、信心のかわりおうておわしまさん人々はわがまいらん浄土へはよもまいりたまわじ、よくよく心得らるべき事なり』と云々」と出ている。
 『御伝鈔』が『歎異抄』と違うところは、①聖信房という人が出ている。②この人々咎めて云く、となっているなどである。『歎異抄』では「もてのほか」となっているが、『御伝鈔』ではも少し厳しく「咎めて云く」となっている。又『御伝鈔』では法然上人のお言葉で「信心のかわるということは自力の信にとりてのことなり」と、大事なことを言われている。信心が一つでないというのは、自力の信の段階においてのこと。又、「わが賢くて信ずるにあらず」も、大切な言葉であろう。
 もう一つ、『高田正統伝』というのがある。私は原文を読んではいないが、藤秀璻(ふじしゅうすい)先生の書物にそれが引かれている。『高田正統伝』は、高田派(親鸞聖人の御弟子であった顕智という方が開かれた)に伝わる親鸞聖人やその御弟子達のことを書いたものである。これによると大分詳しく述べられている。
 先ず「聖人三十四才八月十六日」とある。これが正しいとすれば、越後の国へ流罪になる前の年のことである。
 「三十四才八月十六日、善信吉水にまいりたる折ふし、聖信房湛空、勢観房源智、念仏房念阿など参集せり」。三人の名前はまさしく『御伝鈔』と一致している。『歎異抄』では聖信房がぬけている。「念仏房申して云く」この人が言い始めた。「同じく浄土を願い同じく往生を期すといえども凡夫の信心は誠少なし、いつか上人の如くなる信を得て慮りなく往生を遂ぐべき」。念仏房が言うのに「同じく志をして往生を願っているのでありますが、凡夫の信は誠が少ない。いつになったら法然上人のような信を得て何の疑いも慮りもなく往生を遂ぐるようになるであろうか、早くそうなりたいものだ」と。「自余の人々も同意申されき」、みんなもそうだそうだ、私もそう思うと同意された。その中に善信一人云く、「自身においてはさは思いはべらじ、聖人の御信心も善信が信心もいささかも変わるところあるべからずと思うなり」と申された。これによると、『歎異抄』にも『御伝鈔』にもないこの諍論の発端が詳しく出ている。「聖信房ほかの人々咎めて云く、善信房の言葉謂なし、いかでか聖人の御信心に及ぶべき」。ここは『御伝鈔』によく似ている。「善信答えて云く、御智慧学問等しからんと申さばこそ恐れ多からめ、他力の信心におきてはひとたびその理を承りてより全く私の心なし、聖人の御信心も仏より賜らせたまい、善信が信心も他力より賜れり。何條変わることのあるべきと争いてやまず」、一歩も引かれなかった。「ここに聖人仰せられて云く、自力の信にこそ智慧に随いて浅深のかわりあんなれ、他力の信においては仏の方より賜らせたもう信なれば、我も人もみな一つにしていささかも変わるところなし、人々よくこのいわれを心得らるべし云々」とある。
 『御伝鈔』と『高田正統伝』を頂くと、『歎異抄』を補って、もう少し深くその時の事情を知ることができる。もっとも了祥師の『歎異抄聞記』は、『高田正統伝』の記載についてはかなり批判的である。
 以上三つを通してみると、この信心一異の諍論はかなり大きな出来事であって、親鸞聖人にとっても他の御弟子達にとっても非常にショッキングな問題であった。しかし、これは法然上人全集には載っていない。
 聖信房湛空とはどういう人か、『黒谷上人伝』によると親鸞聖人より三才年下で、比叡山の天台の学問を学んだ磧学(すぐれた学者)という。勢観房源智は平重盛の孫である。親鸞より十才年下で戒律を学び、菩薩戒を特に学ばれたという。戒律を尊び自らも厳粛な生活をした人で、出家としての戒行を行じておられた。従って、妻帯しておられたと思われる親鸞聖人に対しては、非常に厳しい見方をもっておられたようである。この人は長いお弟子であって、年こそ聖人より下であるけれども、入門はずっと前、十年程前のようである。
 念仏房念阿は十六才年長である。この人も天台の学者であって、比叡山で長く学問をしておられた。この人については黒谷上人伝の中に次のような文章があるそうである。それは法然上人が亡くなられた後のことである。「法然上人の勧化によりて忽ちに名利の学道をやめて深く隠遁の風味を乞い願われた」「ある時忽然として往生に疑心起りて、無常今も到来せば生死いかがしまし」今死ぬようなことになったならば、自分の迷いをどうしたらよかろうか。「あわれ上人御在世ならば時を移さず参決してましものを」今上人が生きておいでならばすぐ上人の所に参上してその答を聞きたいと思うのであるが、上人が亡くなられた後はいかんともし難いと言って、「悲しみ歎いて寝たまえる夜の夢に、法然上人現われ給いて、彼仏今現在成仏といえば勧むるぞかし、念仏正念必得往生、何の疑いかあると仰せらるるを承りて、夢の中に感涙せきあえず目覚めけり」とある。従ってこの人は非常に熱心な上人の御弟子であったけれども、まだ本当のことがわかっていなかった。このようなことが黒谷上人伝から窺える。
 『高田正統伝』に念仏房が「凡夫の信心は誠が少ない」法然上人のような深い信心に任して、疑いなく慮りなく往生を遂げられるように早くなりたいものだと言われた。これは黒谷上人伝と軌を一つにしているというか、内容がよく一致している。

 (1) 信の同一性の問題
 信心は同じであるということはなかなかそうは思えない。先生の信心の方が深くて私の信心はお粗末であるということになりやすい。ここがはっきりしなければならない。
 信心とは何か。普通の人は、信とは信ずることだと思う。これは人間の常識で考えることであって、本当はそうではない。信とは内容からいうと三つに言える。
 ①信知 本当にわかるということ。私が何であるかわかるということ。しかし頭でわかるのではない。私自身がわかるとは「お粗末なことでございます、申訳ないことでございます」という懺悔、如来にお詫びするということである。如来の御恩がわかるとは「有難うございます、南無阿弥陀仏」と感謝することである。これを信知という。私自身の姿がわかって懺悔せざるを得ないのである。如来に感謝せざるを得ないのである。これを信という。大体これに尽きる。
 ②信順 これは依るべきものを持ち、従うべきものを持っているということ。釈迦弥陀二尊の教に信順するという。依るべき教に心から順っていく、これを信順という。依り処とは仏法憎の三宝である。
 仏は如来、法は如来本願の教、僧はよき師よき友。それらに依って生かされる、これを信順という。
 ③信受 受けとめるということ。「信とは聞見するところありて必受無疑」と龍樹菩薩は申された。受けとめるとは、私の心の中に何が起きても南無阿弥陀仏になる。受けとめるの反対は対立である。心の中に起るものが私を引きずり廻す、心の中に起るものが私を苦しめる、それは信受ではない。念仏で受けとめられるのである。それを信受という。
 これが信の働き、信の内容である。何かを信じ込むとか疑わないというようなこととは全く違う。
 信は心の中に広い天地が開けることである。その信の根源は何か、それは如来心にある。仏心である。人間の上に成立する心でありながらそれは如来の心である。それを南無阿弥陀仏という。従ってどのような人の上に生きてこようとも、信は全く同一であり変らないのである。それを他力の信という。
 しかし、そこまでには色々の段階がある。が、聞き開いていって他力の信となれば皆同じである。いわゆる異義といわれるものは、信心が自力である。他力の信ということになるならば異義ということは出てこない。異義はすべて自力の信から出てくる。一人の先生についてしっかりやらねば信は得られないという人がいるが違う。親鸞聖人はそうは言ってない。第六章には「師を背きて人につれて念仏すれば往生すべからざるものなりなんど言うこと不可説なり」。それは絶対に間違っているんだと言ってある。「就くべき縁あれば伴い離るべき縁あれば離るる」のが人間の世界であって、他の先生に就いたからとて信心が得られないということは決してないんだと言っておられる。「右條々は皆もて信心の異るより事おこり候うか」の中に入ることである。
 要するに信心はこの三つが内容であって、その根源は如来にある。信は如来本願の廻向なのだということを言ってあるのが後序の第一である。
 如来によって賜る信は、どのような人の上にも信知となり信順となり信受となり、皆同じである。それが明らかにわかるということは、現代においても非常に大事な問題である。
 人間の考えは次の通りである。信は心の問題、行は行いの問題で、その行いが徹底している人は信も徹底しており、行いが徹底しなければ信も徹底してないと思う。法然上人の日頃の行いは、念仏を数万遍申し、いつもにこやかな顔をしておられ、非常に円満なお方で、毎日々々学問をし、実に有難い生活ぶりである。こういう人の信心は本当に深い。それに較べて私はよく腹を立て、貪欲、瞋恚、愚痴というていたらくで、念仏は続かず勉強もおろそかである。聞法の心も甚だ乏しい。こんな生活では私の信心はお粗末極まるもので、到底上人の御信心などには及ばない。行が信を規定し、信が行を規定すると考えるのである。人の実行を見たらその人の信心がわかる。私も同じこと、信が本当ならば生活も正しくなる筈だと考える。
 ここに耳四郎という人を出すならば、耳四郎は法然上人の時代の大泥棒である。しかしながら縁あって法然上人のお弟子になり、念仏を喜ぶ人になって念仏の絶え間がなく、深い信心に任しておった。けれども一生泥棒がやまなかった。但し盗んだ物は返したというが、この耳四郎の信心は本当の信心か、浅い信心か、深い念仏か、浅い念仏か。
 我々は考える。耳四郎の信心が本当のものならば泥棒ぐらいやめる筈だ、盗みが悪い事ぐらいわかる筈だ。泥棒がやめられないとならば信心は浅い、大したものではないと。このように信と行をからませて考える。従ってその人の日常のあり方、念仏の称えぶり、正しい生活をしているかいないか、深く有難いと思うか思わぬかで、信心とか行とかの深さを考える。これが人間の思いの根本にある。
 念仏、信心は人間の責任に属するものとして考えている。私が深い心で念仏をたくさん申さなければ本当の念仏ではないというふうに、人間の方に責任又は義務があって、それを一生懸命果すかどうかが問題になる。本当は、念仏も信心も如来の働きに属するもの、それがわかるかどうか、ここが信心一異の諍論の基底にある問題である。如来のものを私に賜うのである。このお粗末な私に如来が信として行として来て下さる。しかし我々はどうしてもそうは思えない。耳四郎の信心は本物ではない、生活がなっていない、泥棒ぐらいやめなければと思う。本当の信なら本当の生活ができる筈だと、知性をもって判断していく。その根本には、信も念仏も私がしっかりやらねばならない、私の責任に属するものという考えがあるからである。これを自力という。我々はいつも自力の立場に立っている。しかるに念仏も信も如来の賜物である。如来廻向である。実際にはこれがなかなかそう思えない。そこに信心一異の諍論が起る。これは先にも言うように七百年前、とうの昔に解決して現代には意味がないというものではない。信仰においてはこの問題は、常に今日性を持っている。

 (2) 法然上人の御教化
 法然上人が日頃このような如来廻向の信について触れられておったならば、信心一異の問題は起らなかった筈である。即ち「源空が信心も如来より賜りたる信心なり、善信房の信心も如来より賜らせたまいたる信心なり」。信心という問題は、人間の信ずる信じないという問題でなしに、念仏も信心も如来のもので、如来のまことの心が信であり、如来のお働きが南無阿弥陀仏である。それが私において本当に成立することが本願の宗教であるということが教えられていたならば、こういう問題は起らなかった筈である。長年法然上人の弟子であったけれども、このことは聞いてなかったに違いない。だから「もての外に争い」たもうたのであろう。

 法然上人の教化は先ず「念仏一つ」ということであった。仏教は遂に念仏一つである。南無阿弥陀仏と念仏申すところに真の仏教があるというのが、誰もが真似することのできなかった法然の勝れた教化である。これは実に忘れてはならぬ法然上人の御功績である。
 その主著である『選択集』の結びを親鸞は『教行信証』に引かれてある。そこに「夫れ速に生死を離れんと欲わば、二種の勝法の中しばらく聖道門を(さしお)きて選んで浄土門に入れ、浄土門に入らんと欲わば、正雑二行の中しばらく諸の雑行を(なげす)てて選んで正行に帰すべし、正行を修せんと欲わば、正助二業の中、(なお)助業を(かたわら)にして選んで正定を専にすべし」とある。
 仏教とは、迷いの人生を断ち切って、本当に大きな世界を生きる人間を生み出す教である。その仏教をわが身に成立させようとするならば、小乗と大乗の教のうち小乗を捨てて大乗をとれ。大乗の中、聖道門の教と浄土門の教の中、聖道門をさしおきて浄土門をとれ。浄土門の中で雑行と正行とある中、雑行をなげうって正行をとれ。正行(五種正行)の中で助業をかたわらにして正定業をとれ。この正定業はまさしく人生の問題を断ち切って進むことの定まった業であって、これを念仏という。まとめて捨、閣、抛、傍という。
 捨てて捨てて遂にこのこと一つをとれという教である。これが法然の「念仏一つ」という教である。日蓮上人という人もほかの教典を全部捨てて『法華経』をとれ、『法華経』こそがたった一つの経典であると、非常に力強いことを言われるが、法然上人はそれに先がけて、捨てて捨てて(捨てて、さしおきて、なげ捨てて、かたわらにして)念仏一つというところに仏教があるのだと言われた。
 それを明らかにしようとされたのが『選択集』である。『選択集』の一番大事なところは、初めの二門章、二行章、本願章であるといわれる。第一章が二門章。大乗仏教には聖道門と浄土門がある。聖道門は今の時代には成就できない。浄土門しか成就しないのだというのが二門章。次に浄土門に雑行と正行があり、正行をとらねばならないというのが二行章。第三章は本願章。正定業が本願の念仏である。この三つに『選択集』の根本がある。『選択集』は捨閣抛傍である。ここに念仏一つという法然上人の教がある。
 物事は結論がはっきりしなければならない。あなたは仏法について色々言うけれども仏法とは一体何なのだという時に、「仏法とは南無阿弥陀仏である」というのが法然上人の大切な大切な結論なのである。
 法然上人の御教化、説きぶりはどうかというと、「念仏申せ、いかなる者も救われる」という教えであった。これを上人は一生を貫いて申しぬかれたのである。『選択本願念仏集』はその題名からしてそうなっている。法然上人全集を頂くと、法然上人は非常にすぐれた人であって、わかりやすい表現で本願の宗教を教えられている。「念仏申せ、いかなる者も救われる」。南無阿弥陀仏と念仏申していけというのが中心である。すべて物は簡単明瞭にズバッとその要点が言われるものでなければならぬ。その点では実にこの法然上人は偉い。「念仏申せ、いかなる者も救われる」というのは、第十八願(念仏往生の願)の心を言われたものである。念仏申す者は悉く如来によって往生せしめられて、遂に仏となる、念仏申すところに仏教の中心点があることを明らかにされたのが法然上人である。
 今日親鸞聖人の教を承る者の中には、ともすれば法然上人の教を軽視するきらいがあるが、それは間違いである。『歎異抄』を見てもわかるように、「親鸞におきては『ただ念仏して弥陀に助けられまいらすべし』とよき人の仰せを被りて信ずるほかに別の仔細なきなり」とあって、親鸞は法然上人のこの御教化を本当に頂かれた。法然上人なしには親鸞聖人はなかった。この事はしっかり頭に入れておかねばならない。我々はどうもひいきの引き倒しで親鸞聖人親鸞聖人と思って法然や源信は大したことはないんじゃということになって、ファン意識に陥ってしまう。それではいけない。法然上人を本当に理解しなければならない。
 だが、この御教化を門弟も一生懸命聞いたが、大半は不徹底に終った。上人の御教化が不徹底であったのでなしに、聞く者にこれを聞く力がなかった、その御真意を本当に頂けなかった。
 法然上人の「念仏申せ、いかなる者も救われる」「仏教はここに極まる」と言われた『選択集』に、猛烈な反対をした人は沢山ある。その一人が栂尾の明恵上人である。
 明恵上人の『摧邪輪』が一番大きな反駁論である。法然が言うたことは全く間違ったよこしまな法輪である。邪法である。その邪法を打ち砕くという意味で『摧邪輪』と名づけた。真正面から叩いてきたのである。念仏申すというところに仏法の中心があり、仏法はそれに極まるなどということは誰も言うてない。法然が勝手に言うている。経典を見ると、仏教はすべて発菩提心、発心ということが中心である。発心ということなしに仏教は成り立たない。それを念仏申すだけで発菩提心は不要であるなどというのは全くの間違いである。この人は十何箇條だったか、箇條書きにして一番初めにそれをあげている。菩提心を撥無するの失といって出されている。菩提心を無視しているところに根本的な誤りがあり、仏法の怨敵の説であるという。『摧邪輪』が出されたのは残念ながら法然上人が亡くなられた後であった。この『摧邪輪』に対して法然の弟子の中に、これに立ち向かえる人がなかった。法然上人を擁護する論述はいくつも出たけれども太刀打ちができない。菩提心無視ということに対して答え得る人がいなかった。これに答え得たのは親鸞聖人だけである。親鸞こそ法然の本当の志を受けつぎ、明らかにした人であると言わねばならない。
 親鸞はこう答えられた。念仏申すというところに如来廻向の大菩提心が成り立っている。本願が人間に届いて信心となる。これが浄土の菩提心である。第十八願は念仏申せの本願であるが、それは『観無量寿経』によって善導大師の教を通して表現されたのであって、『大経』に即して十八願を頂くならば、至心、信楽、欲生の三信を廻向しようという願である。念仏申すというところに三信が同時に与えられるのである。この信が浄土の大菩提心であって、菩提心が無視されているのでなしに、真の菩提心が成就されていて。自力菩提心は不要とはっきりされたのが聖人である。
 法然上人の御化導は念仏申すことである。ここに仏法の根本を明らかにされた。内村鑑三の著書に『代表的日本人』というのがあって、英語で書かれている。日本人を世界に表明したもので、英語の原文からドイツ語や日本語に訳された。その中に彼は法然上人を代表的日本人の一人としてあげている。法然という人に非常に心服したとみえる。仏教は日本まで伝わってきてようやく、仏教とは南無阿弥陀仏であるとはっきりした。これは大変な帰結であって、法然上人は決して忘れてはならない人である。

 法然上人の御教化は念仏一つということであったけれども、これが門弟に仲々徹底しなかった。
 念仏申すというのは私の行である。けれども南無阿弥陀仏は私の私有物でなく、私が称えたからあるのでなしに、私が称えようと称えまいと、南無阿弥陀仏と私に呼びかけてやまない本願の行、如来の行であるということが明らかでなかった。法然が明らかでなかったのではない。念仏は不廻向の行であるという表現でそのことは言ってあるのだが、皆に理解されなかった。南無阿弥陀仏は本願の行であり如来の呼びかけである。如来の全体を投じた呼びかけであって私のものでない。この念仏ということが門弟に徹底しなかったのである。そこで、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と数多く申すことによって救われていこうとする。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と深い心で申すことによって、神秘的な境地に達しようとすることと誤解した。
 T君が京都の会の色々世話をしてくれる。今月の会で彼が申しました。「今は浄土宗のお寺に下宿している。そこで浄土宗の人と一緒に念仏する。自分も当番に当って木魚を叩く。木魚の叩き方も初めて習った。」で、彼が言った。「浄土宗の念仏というのは何か神秘的なところがあります。何となく感情的に南無阿弥陀仏の中に引き入れられていって、念仏が有難くなる」という。
 ある浄土宗の坊さんが大森先生に質問された。「先生は何時頃お念仏されますか」「何時頃といってきめたことはありませんが‥‥‥」「どこで念仏されますか」「どこということもないですが……」。
 「私は」といって向こうが話される。「夜中の十二時過ぎに本堂で、たった一人で念仏申します。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、と念仏申して、心の中がだんだん精神統一して深く如来を思うことができるまで念仏します」と。我々の念仏と大分違うなと思いますね。念仏によって神秘的な感情、厳粛な思い、何か有難い涙の出るような念仏ということになって、私が私の行として行じて深い心に至る。これが念仏申すということになっている。
 法然の教はそうではない。ここがはっきりしなくてはならない。法然上人の御教化は実にはっきりしているのであるが、弟子達の受けとり方が違った。念仏することにより精神統一されて私の心が浄化されていく。そういう行として考えた。行といえば他にも座禅があり、滝に打たれて修行するということもあるが、それらの行は行ずることによって自分の心を洗い清め、精神を統一し、深い感銘に入っていくための行である。これを私の行という。法然上人が言われるのはそんなものではない。そこがよくわからねばならない。
 法然の十八願の御領解は善導大師からうまれている。偏依善導一師といわれ、善導の御教化に依っていられるのである。
 善導は十八願文を『往生礼讃』に次のように頂かれた。「又無量寿経に云うが如し『若しわれ成仏せんに十方の衆生わが名号を称せんに下十声に至るまで若し生まれずば正覚を取らじ』と」。
 『無量寿経』即ち『大経』は四十八願を説かれたもの、その特に十八願に「至心信楽欲生我国乃至十念」とある。これを「念仏申せ、いかなる者も救われる」という本願であると言われたのは善導である。これが今の『往生礼讃」のこころである。それでは善導はなぜ「十八願は念仏申せの本願である」と言われたのか、ここをはっきりしなければならない。
 法然は『選択集』の中で、なぜ念仏申せの本願なのかを論理づけられた。それを勝易の道理という。沢山々々の行の中には勝れた行があり劣った行がある。難しい行があるし易しい行がある。劣った行でなしに勝れた行、難しい行でなく易しい行、その勝易の行が念仏であり、選択本願の念仏であるととられたのが法然上人の念仏である。法然上人の教は勝易の教学である。念仏申せとなぜ言われているかというと、念仏が最も勝れている。それを家に例えるならば、他の行は柱の一本々々であるが、念仏は家全体である。しかも南無阿弥陀仏と口に称えることは非常に易しい行である、他は難行である。そこで本願では勝易の原理によって念仏を選ばれたのである。この御説はなかなか勝れてはいるが、あまり感心しない点もある。なぜかというと、なる程勝れた方がいい。けれども難しくてもいい。勝難でもやりたい人もいるかも知れない。必ずしも勝易が絶対的な論理にはなり難い。又勝易というところに何か打算的なものが入りやすい。勝れて易しいものを採ろうとするところに利己的な考えが入る可能性がある。親鸞聖人は勝易を使われていない。

 善導はなぜ「念仏申せの本願である」と言われたのか。善導の教化は『観無量寿経』による。
 『観経』は表面は定善散善の教である。定善は正しい心、散善は正しい行い、その定善散善の行を勧められている。定散二善の行をまとめてみると五種正行である。『観経』は五種正行を勧められているのだと言われたのが善導大師である。
 五種正行は読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養正行である。『観経』は悲劇にはじまるお経である。現代はまさしく悲劇の時代である。今から十年前には家庭内暴力という言葉があったか。あることはあった、十年前の家庭内暴力は親が子供を叩くというものであった。今日は子供が親を叩きけとばして、親が生傷が絶えないという有様である。どうしてこんな事を十年前に想像し得たであろうか。十年前は校内暴力といえば先生が子供を叩くとか、上級生が下級生を叩くというものであったが、今頃は生徒が先生に暴力をふるう。実に大変な時代がきている。実に悲しい時代である。悲劇を救ったものは『観経』であり、悲劇がその中心である。この悲劇の中で本当に人間が立ち上がっていける道を教えるものが『観経』である。
 五種正行は、読誦(正しい教を聞き正しい教典を読みましょう)、観察(そして考えましょう)、礼拝(頭を下げて合掌礼拝できるものを持ちましょう)、称名(南無阿弥陀仏と念仏申しましょう)、讃嘆供養(本当に感謝し得るものを持ち、その相手に私が捧げ供養しましょう)である。現代も真実に通ずる道はまず始めはこれしかない。これが『観経』の本文である。
 この『観経』の本文の終の方に大きな立て札が出ている。「まごころ」という札である。あなたはまごころであるか、あなたにまごころがあるのかという。これを頂いたらそこに五種正行の崩壊がある。しっかり聞きましょう、考えましょう、礼拝するものを持ちましょう、しっかり頑張らなくちゃというのが『観経』の本文であって、出発点なのである。そして、この立て札まで来なければならない。この立札を三心の教という。
 君にはまごころがあるのか。この前に崩れ去ったのが善導であった。その上に生まれたものが南無阿弥陀仏であった。前にも南無阿弥陀仏はあった。散善の中に南無阿弥陀仏もあった。が、それは我が頑張ってやって行かねばならぬ行であった。ところが、「汝まごころありや」という問いの前に、私の行はガタガタと崩れてしまうのである。そこに「ただ南無阿弥陀仏」が生まれた。
 私もそういう思いをしたことがある。まだまだ若い時だった。或る所で仏法のお話をして非常に喜ばれた。ところがその時控室にあるおじいさんが来て言われた。「あなたはなかなかいい話をしなさるが、あなたは仏法に命をかけておりなさるか」と。これは私にとって思いがけない質問であった。残念ながら私は答えることができなかった。命をかけていると言いたかったが言えなかった。そんなことを考えたこともなかった。よくよく思うと、自分は命をかけているというような所から遥かに遠い所におって、口先だけで仏法の話をしているとわかった。実に残念であったが、ウーンと唸らざるを得なかった。そのじいさんいわく「あなたは仏様にお詫びをしなさらなきゃいかん」。実にそうだと思って非常にこたえた。が、私も強情我慢で、そう簡単に人の言うことを聞ける人間でなかった。後にやっと仏様にお詫びをした。四十才位だったか。そこから少し変りました。崩れたのである。自分は一生懸命やっておるぞと思っていた。ところがお前まごころがあるのか、仏法に命がかかっているのかと聞かれたらガタガタと崩れて、「南無阿弥陀仏、申訳ありません」と懺悔せざるを得ない。
 この南無阿弥陀仏は五種正行の一つの南無阿弥陀仏ではない。この南無阿弥陀仏は私の行でなく、私自身の崩壊において私の上に成り立つ如来の行である。五種正行の念仏は私の行、自力の行である。他力の願行に立って善導は、念仏申せという教を出されたのである。それを受けて法然は勝易の論理を説かれた。弟子達にはそれがわからなかった。五種正行の称名も念仏、崩壊したところに届くのも念仏だが、我々の念仏は大抵前者の方、自力の念仏である。
 若い人達にしっかり勧める。しっかり聞きましょう。長い会座に出てしっかり聞きましょう。これは読誦正行。そしてよく考えなさい、礼拝しなさい。そして念仏しましょう。朝起きた時にすぐ念仏し、寝る時に念仏しようと。お花を供えお経をあげて念仏しましょうと、この称名を一生懸命勧めたい。これしか勧められない。それは皆自力である。頑張らなくちゃ、私がやらねば誰が頑張るのかと思って行ずる。それが大切である。しかしこれをやりとげたら本当の信心になると思うが、そうではない。けれども五種正行を勧めるしかない。それは、どうか聞きぬいていって、「君にまごころがあるのか」との問いに引っかかってくれよという願いが蔭にかくれている。
 勧め励ましは五種正行しかない。これを『観経』の表づらという。そしてその背後にあるものが南無阿弥陀仏。それにぶつかるのには、自分自身を教えられることが大切である。それにぶつかって崩壊したならば、そこに南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏とお詫びするしかない。またお礼を申すしかないのである。それが成り立つと今度はそこから南無阿弥陀仏に伴う助縁として読誦、観察、礼拝、讃嘆供養が生まれてくる。頑張らなくちゃという自力で生まれてくるのでなしに、念仏の内容というか念仏の展開というか、本当に読まざるを得ない、頂かざるを得ない、考えざるを得ない、そして本当に仏様にお仕えせざるを得ない。それらが念仏に随伴して生まれる。これを助伴の業という。助業という。
 法然上人の御教化はこのような基盤の上に立って念仏申せと言われている。それを弟子達は領解できなかった。五種正行の念仏に執われて、私の行としてとらえていた。私の行ということになれば念仏や信心は領解の深さ、修行の年限などで評価される。が、本当はすべて問題でない。南無阿弥陀仏は如来の行であるという所に至れば皆々同じである。
 如来のまごころに触れて自己の行が崩壊するというところを信心という。この信心は皆如来から賜ったもの。如来のまごころを知らされるのを信心という。この信心は自然(じねん)に念仏となる。この念仏は私の行でなく如来の行である。ここをしっかり解決しなくてはならない。五種正行の念仏でとどまってはならない。如来の行としての念仏にならなければならない。
 「ただ念仏」が法然上人の教学の中心であり『選択集』の中心である。具体的に「念仏申せ、いかなる者も救われる」というが、上人の生涯を通した教であった。
 上人の生活は、自らの教の通り朝起きて夜休むまで一日何万遍も「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏申された。又、人格円満であって、どんな人にも分け隔てなく接せられた。天皇や関白のような身分の高い人にも接し、学問の勝れた人達にも接しておれたけれども、平民のために分け隔てなく教を説かれて、おっしゃることは皆同じであった。法然上人には決定的な、そして単純明快な教と共に、非常に勝れた生活があった。

 そこで弟子達は考える。「凡夫の信はまこと少なし」と。「ただ念仏」と教の通りに実行しているのであるが、どうも純粋にならない。上人のおっしゃるように、何もかも全部投げ捨ててただ念仏一つという純粋な念仏は、純粋な信心から生まれるに違いないと考えた。

① 誤りは第一に、「上人のような純粋な念仏は、純粋な信から生まれる」というところにある。
 教を聞いて行ずる、即ち教行証というものが宗教の骨格である。教を聞いて信じて実行すると、そこに証がある。法然上人の教を聞いて信じて念仏行を実行しているけれども、その証、即ち浄土に往生するとか、迷いを断ち切るとかの確証がない。その原因は何かというと、信が足りないというほかない。信が深いと教を聞いてその信に立って純粋に念仏するということが成り立つ。純粋な信から純粋な念仏が出てそこに確証が生まれる。しかしどう考えても本当の念仏になっていない。それは信が足りないからであろう。「念仏申せ、いかなる悪人も救われる」と言われるが、私は救われていない。証が本当でない。これは信が不足している。あるいは信が不純だからである。このような考えが第一の考え方である。教信行証である。
 この考え方は、七百年前もそうであり、今もそうである。純粋な信というのは教を聞いてそれを本当に純粋に、まことこめて信ずること、その深い信をまってそこに深い念仏行が生まれるのだ。上人の念仏は南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と本当のものである。これは信があるからだと考える。ここに間違いがある。
 念仏してもよろこびがない。これを「専修にして雑心」という。
 「念仏一つ」と教えられた通りやっているのであるが、心の中に雑多な思いが交じる。も少し深い信が必要だ、純粋さが必要だと思う心を雑心という。又、念仏以外に善を欲する心が雑心である。
 私の心に純粋さがいると思う心が定心である。散は、もう一つ打ちこみ方が足りないというか、念仏が足りないというか、何か行が足りないと考える心である。これを散心という。定心散心、これを「雑心」という。雑心をすてると純粋な念仏になると考えるのが誤りである。
② 誤った考え方の第二は、「純粋な行ができないのは信が純粋でないからである」と考えること。
 人間の上に本当の信心があると、その生活、行為、言葉、思いは純粋になるはずである。言葉や行動や思いが不純であるのは信が不純だからであると思う。これは信火行燈という言葉を逆にとるのである。信の火が内に燃えていたならば外に行の煙が上がる。行とは日常生活、言葉、即ち身口意の三業をいう。信心が内にあれば行の煙が外に出る。だから本当に正しい伝心があればその人の言葉、行動、思いが純化されてくる。しかし私の場合はすべて行が不純で少しもよくなっていない。これではとても信心が純粋であるとは言えないと考える。しかし純粋な信が生まれても、身体には長い長い習気が残っていて、行は必ずしも速やかに純粋にはならない。その行の不純さが念仏の種となる所に信がある。誤った人間知性の思いで信を疑う。この二つが誤った考えである。
 信心一異の諍論がなぜ起ったか。先ず念仏房が「凡夫の信はまこと少なし」と言い始めた。その言葉の根本にひそんでいる考えは、信心も行も自己の行信であるという思いである。今、「南無阿弥陀仏と念仏申せ」という法然上人の教のとおりしっかりやってはいる。けれども、どうもそれだけでは物足りない。それはやっぱり信が足りないから行も充分でないのだ。法然上人のような充実した、「念仏一つ」と言い切れる行が行じられ、深い自証があるのは深い信による。その信は長年の修行の結果得られるのだ。法然上人は四十三才までに大蔵経を三回も繰り返して読まれた程の学問があり、長い長い求道生活がある。それを親鸞(今は善信)が、法然上人の信心も私の信心も同じだという。これはとてつもない話である。法然上人は長い長い精進の後にそういう深い信を得て、深い念仏に達せられたのに、あなたはまだ三十四才、しかもここに来てまだ四、五年しかたっていない。それが上人と同じ信心である筈がない。私でさえも本当にまこと少ないと思って慨嘆して悲しんでおるのに、あなたが同じだということがあるものか、というのが皆の考えである。この信心一異の諍論の起るのは、皆々にこのような思いがあるからであろう。
 純粋な念仏は純粋な信から生まれる。信は教を聞いて信ずるのであるから、信が足りないのはその聞き方が足らぬためである。それには大変な努力と年月と智慧、才能、ひらめき、そういうものが必要である。教を深く聞いて深く信じていくことが、深い行を生んでいくことになる。若い三十四才の弟子の信が七十四才の法然上人と同じである筈がないのに、とてつもないことを言うものだと反論が起ったのである。
 深い信から深い行が生まれ証が生まれる。しかし私にはなかなかできない。親鸞あんたもそうではないかしあなた自身は家庭を持ち子を持って、仏の教も戒律も保てないというていたらくで、行という点から言えば仏弟子らしからぬ生活をやっているのに、どうして上人と同じ信心があると言えるか。全然劣った生活しかしてないではないか。こういうこともあろう。
 この二つを知性派の主張という。人間の知性をもとにして考えるならば、純粋な聞は純粋な信から生まれ、純粋な行は純粋な信から生まれる筈である。人間は誰もそう考える。知性的宗教では仏の本願が無視されている。教を聞くということは弥陀の本願を聞き、南無阿弥陀仏のいわれを聞いていくのである。しかし、信ずるというのは人間に属することで、私が頑張らなくちゃならないという考えから出ることができない。それ故本願を聞いておりながら実際は、本願が領解されていない。本願の教は聞いているけれどもそれを行ずるのは自分である。それを深く信ずるのも自分である。と、こういうふうに、自分の方に問題を受けとめている。これを知性派という。これを自力の人々という。人間はここを出ることができないのである。この問題は七百年前だけではなく、現在も未来もずっと残っていく問題である。

 親鸞聖人はどうおっしゃるのかというと、「聖人の御智慧才覚ひろくおわしますに一つならんと申さばこそ僻事ならめ、往生の信心においては全く異ることなし」とある。聖人は「往生の信心」と言われて、知性派の人達や自力の人々が考えている信心というものと区別をされている。これを法然上人は、「如来より賜りたる信心」と言われている。『高田正統伝』には「自力の信にこそ智慧に随て浅深の替りはあんなれ。他力の信においては仏の方より賜らせたもう信なれば云々」とある。ここが問題の鍵である。
 自力の信とは何か。自力は仏教用語であって、自分の力というようなものではない。自己肯定、理性的信である。信というのは英語ではfeith(フェイス)という。信頼という意味である。神を信頼し神の言葉を集めた『バイブル』を深く信頼しているということを、キリスト教ではフェイスという。フェイスは、何を(相手)信ずるのか、どのように信ずるかという。相手と深さが問題である。けれども自分自身は何も変らないで私が主体となって私の知性をしゃんと立てて信頼していく。何を信頼したらよいかというのが訣題である。信が人間知性の範囲にとどまっている。

 往生の信、他力の信とは何か。人間はいうなれば卵である。厚い穀の中に入っている。この殻が理性、知性である。穀の中で考え殻の中で信じている。しかし、親鶏に育てられて卵からひよこになって広い世界に出た時に、始めて開ける信がある。この殻の中の信と殻を出ての信とは違う。殻を出ることによって得られるものを他力の信という。知性を超えて与えられるものである。知性を超えるとは知性を捨てたのではない。私自身が成長することによって知性が破られたのである。その時信の主語は知性の私ではない。
 自力の信では常に「私は○○を信ずる」となる。他力の信は私自身が変った。他力の信とは「彼、われにありて生きたもう」である。彼即ち大きな世界と我が一体となる。この一体を南無阿陀仏という。これを他力の信という。
 南無阿弥陀仏は私においては念仏、本で言えば、大きなものの働きかけが南無阿弥陀仏。阿弥陀仏に南無せよ、これが私に届いて、私において南無阿弥陀仏となる。それを念仏という、南無阿弥陀仏を与えられた。他力の信とは、何かを信ずるのではない。弥陀の本願を私が信ずるというのは、まだ自力の信である。「私は法華経でなしに弥陀の本願を信ずるのだ」というのは、殻の中で信じている信で、自力の信である。言葉で充分言うことができないが、私が、「南無阿弥陀仏」となったことを他力の信というのである。しいて言えば、「彼、われにありて生き給う、南無阿弥陀仏」である。南無阿弥陀仏をわが身に頂いたことを他力の信という。

 法然上人の『和語灯録(五)』に次のような言葉が出ている。「本願の念仏にはひとり立ちさせて助をささぬなり」。これは有名な言葉で、「念仏一つ」という上人のお言葉をよくあらわしている。「助と申すは智慧をも助にさし、持戒をも助にさし、道心をも助にさし慈悲をも助にさすなり」とある。
 助というのは補助である。木を植えたら倒れないように添え木をし、トマトやきゅうりは風で倒れないように支えをしてやらねばならない。植物を大きく育てるにはどうしても支柱が要る。
 本願の念仏は独立しており、決して助をさしてはならないし、助をさす必要もない。念仏は独り立ちである。それが「ただ念仏」である。求道心という助もいらない。又、ほかの行もいらない。智慧も助にはならないし、持戒も助にならない。歓喜も慈悲も助にはならないし、又必要もない。ここが非常にわかりにくい。けれども中心点である。
 宗教には心、行が二つの大きな柱である。心の思い、決心、自覚、認識、そういう心はそれだけでは不充分である。その裏付が要る。その裏付けとしては実行である。実行ができないような自覚、実行が伴わないような認識は充分でない。行が伴わなければならないと共に、行によって心が強まり、又、実行することによって自覚が生まれ、認識が新になる。継続一貫の実践と認識とが相補うようになっている。(相補関係)それと共に相互限定である。自覚が足りないと実行もはかばかしくいかぬ。実行がにぶってくると自覚の方もにぶってくる。このようにお互いがお互いに影響し合うという関係である。これが自力の信行の関係である。

 始めはどちらを頑張ったらよいか。先ずやらねばならぬのは継続一貫ということである。最後まで頑張ることである。それは自力ではないのか。自力である。とにかくやりぬくということが大切なのである。やりぬいていくと、そこからだんだんと自覚が生まれる。又強い決心、深い認識も生まれる。継続一貫を力杖にして頑張ると深い心が生まれ、心ができてくると更に実行ができるようになる。しかし一方が崩れると他の方も駄目になる。禅宗であろうと浄土真宗であろうと念仏であろうと同じである。継続一貫の聞法が先である。
 念仏申すということについても、智慧あるいは持戒、道心、慈悲、継続一貫の実行というようなものを支えにして頑張らなくちゃと思う。これを「助をさす」という。すべて始めは助がいる。一方を心、一方を行とするならば、両方が相補っているわけであるから、しっかり助け合っていかねばならない。
 念仏とは南無阿弥陀仏と口に称えることである。これは初めは私の行である限り、それをやり遂げていくためには何か補助が要る。それが助である。それは智慧即ち長く聞法しお経を読み色々な話を聞いて、深く理解する力、先を見通す力が要る。又、自分の生活を正して出来るだけ簡素な生活をし、つまらぬ所に首をつっこまないようにして生活を正していく。道心を奮い起して頑張らなくちゃという求道心が必要である。ほかの人の為にも尽していく。そういう利他行も支えとなろう。これを自力の念仏という。これが初めであり出発点である。が、遂に如来本願の南無阿弥陀仏となると、独り立ちして助は要らなくなるのである。

(3) 本願の念仏
 本願の念仏とは何か。それは、念仏が私の生活を貫く縦糸になって下さる、縦糸が南無阿弥陀仏である。この縦糸の南無阿弥陀仏に職り込む横糸が私の現実である。織物というのは縦糸がしゃんと張ってなければならない。で、横糸はきれいなきれいなものでなくてもよいのである。「助をさす」とは、私が縦糸の中にきれいな横糸を織り込もうとして努力することである。きれいな横糸でないと立派な織物にならぬと思う。そうではない。私の横糸はどんなに汚れたものであろうとポロボロの糸であろうと、縦糸さえしゃんとしていれば、その中に全て織り込まれて立派な織物になるようになっている。それを本願の念仏、助ささぬ念仏という。
 私の現実は貧欲であり瞋恚であり愚痴である。或いは名聞、利養、勝他である。或いは智慧のなさであり放逸無慚であり道心のなさ慈悲のなさであり、冷たさであり裏表のある二重性であり、その他色々の現実である。その横糸を立派にしようとする。それを助をさすという。きれいなものを織り込もうとする。そうではない。織り込んでいくべきものは現実である。この現実がすべて縦糸で支えられて南無阿弥陀仏になっていく。私の横糸で南無阿弥陀仏を支えるのではない。南無阿弥陀仏の方が縦糸であって、私の現実をみな支えてくれるのである。
 善導大師の玄義分に、「経(縦糸)よく緯(横糸)を持し以て匹丈の用あり」とある。縦糸が横糸をしっかり支持して、どんな横糸が織り込こまれてこようとも一つの織物にする。織物のことを匹丈という。横糸が織物として生まれ変わるのである。縦糸の方を自分が支持しようと思っているのを、助をさすという。南無阿弥陀仏が縦糸である。それに私の現実が織り込まれて南無阿弥陀仏になる。それを(すけ)ささぬ本願の念仏という。ただ南無阿弥陀仏である。私のお粗末な現実が織り込まれながら、それが全部南無阿弥陀仏に支えられて南無阿弥陀仏になる。それが信心であり、本願の念仏である。
 本願の念仏、即ち南無阿弥陀仏の縦糸を頂いたことが信心である。ほかに何もない。この縦糸によって現実が念仏になる。私の先生は、「心の中に起るほどのことを見つめて念仏申せ」と言われた。これが他力であり信心である。何が起きても念仏申すというのを、「本願の念仏には独り立ちをさせて助をささぬ」という。南無阿弥陀仏の本願名号は一貫したもうのである。私を貫いている縦糸である。私がやることはたった一つ、横糸を織り込むことである。経よく緯を持して以て私の人生を作って下さる。立派な横糸だけを織り込もうというのを廃悪修善といい自力作善という。善い糸も悪い糸もすべてが念仏になっていく。それを助ささないという。現実を保持して下さるのが南無阿弥陀仏である。
 本願の念仏とは、念仏の中に私の現実を織り込んでゆくことである。勢観房は持戒を勉強した人である、南無阿弥陀仏を持戒で補助していかねばならないと考えた。だからあなた(親鸞)のような生活では本当の念仏とは言えないではないかという。念仏房は智慧。智慧というのは教典に対する深い理解力、物を見通す力などを必要と思っていたのであろう。聖信房は道心というべきであろうか。道心が深くなければ本当の念仏にならない。本当の念仏は信心とか行の助を必要とすると考えている。すべて間違いである。
 本願の念仏は如来から縦糸を頂くことである。即ち南無阿弥陀仏の縦糸に私の現実が支えられていく。これは法然上人も親鸞聖人も同じでである。人間が偉いから本物の念仏になるのではない。私の助が立派だったからではない。助は何も要らないのである。如来より賜る縦糸を頂いたというところに他力の信がある。それを真実信心という。そこにはただ念仏がある。

 もう一つ、『口伝鈔』(25-4)に出ているお言葉を出して補っておこう。
 「然るに善機の念仏するをば決定往生と思い、悪人の念仏するをば往生不定と疑う、本願の規模ここに失し、自身の悪機たることを知らざるになる」。これは非常に勝れたお言葉である。
 善機とは善人、勝れた人をいう。善人については親鸞聖人が『愚禿鈔』に詳しく述べられている。善人とは求道の思いの勝れた人を言ってある。「又復善性に就いて五種あり、一には善性、二には正性、三には実性、四には是性、五には真性なり」とある。これは善導大師の法事讃からとられている。深い善根、宿善を持って生まれた人がある。敏感でよく理解する力があり、悪をやめて善に立ち直っていく人を五つに分類して言ってある。
 宿善に恵まれた人が南無阿弥陀仏すると、「全くあの人は素晴らしい人であり、往生決定疑いなし」と思うて讃嘆する。が悪人即ちお粗末なお粗末な根性のひねくれた智慧の足りない、実行力の乏しい人が念仏するのを見ると、あんな人が念仏してもとても助かるまいと思う。ここに善人悪人を問わず南無阿弥陀仏と呼びかけて下さる本願の広大さというものは失われて、善人だけしか救われず、悪人は救われないということになってまことに小さな本願になってしまう。人間の理性で本願の正しさをとり失ってしまう。そして自分自身が何であるかという自覚を忘れて、高い所にいて善人意識で他を見ており、自分自身が悪機であるということがわからない。それが厳しく戒められている。
 いつも申すように、耳四郎の信ということがある。念仏申しながら泥棒を続けた。こういうていたらくでは本当の念仏ではあるまいと疑う。そこには自己自身が耳四郎であるという現実が見失われている。従って本願の広大さがわからない。耳四郎の話がこの教に該当する。

 親鸞聖人を考える時、この人は世間的には非常に不幸な人であった。先ず幼少の折に両親に死別し、五十何才の時奥さんと生別なさった。聖人は娘さんを連れて京都に行かれ、奥さんは越後に行かれて、その後再び会われることはなかった。又、九十年の生涯の晩年八十四才、亡くなる六年前、善鸞を義絶して親子の縁を絶たれた。その手紙が現在残っている。親でもなく子でもないと言ってある。これも普通の情況ではない。非常にお気の毒なところがある。宗教家ともあろう者が子供の教育もできないのか。善鸞は「自分は深夜父から、皆が聞いていないことを教えてもらい、それを持って皆に教えに来ているのだ」と言う。それについては、「そんな事は絶対にない。自分が皆に教えていないことを、息子にだけ教えたということは絶対にない。」と言って、聖人はくどくどと手紙に書かれている。それを見ると、聖人が八十を越した老境でこんな事が起って、本当にお気の毒だと思わざるを得ない。そのあげく遂に義絶された。大変な事である。

 私の先生も不幸な事が多かった。その一つが前の奥さんを離縁されたことである。子を二人残して別れられた。これは先生にとって大きなショックであったと思う。新しい奥さんは年が大きく離れて若いお方であったため宗教家としてあるまじき事ではないかと、かなり多くの人によって指弾された。すぐれた人もこのように、色々な問題をかかえられたのである。

 念仏の縦糸にはきれいな生活の横糸を織り込んでいって、はじめて立派な念仏生活の織物ができるのではないかと考える。しかしながら善機悪機をとわず我々の持っている横糸はお粗末なものである。織り込んでゆく横糸はこれしかない。それがどんな醜い横糸であっても南無阿弥陀仏の縦糸に織り込まれると、本願の規模ここに失せず、善も悪も摂め取られて念仏となる。そこに如来より賜りたる縦糸の働きがある。これが助ささぬ念仏、独り立ちしている念仏である。そこに、いよいよ自身の悪機たることを知るのである。縦糸を与えられた者はお粗末なお粗末な自分の現実を知る。立派な横糸を織り込まねばならぬと思うところには落とし穴がある。何が出てこようとも縦糸を頂きぬいていくところに、手放しというか、飾らず、自身の悪機たることを知って、「私こそ耳四郎」と、縦糸を頂きぬいていくのが、法然上人の「本願の念仏には独り立ちさせて助をささぬなり」である。自分の悪機たるに目覚めて本願の広大なる規模を頂いていく。善磯の念仏が尊いのでなく悪機の念仏がつまらぬのでもない、まことに念仏の縦糸が尊いのである。これを知ることができるところに、この信心一異の問題の解決がある。
 私が本当に縦糸を賜うたかどうかが問題である。善い横糸を識り込んでいこう、悪い横糸は捨てていこうというところにはからいがある。すべてこれ、ただ南無阿弥陀仏。念仏を独り立ちさせて助をささない。横糸を選ばない。悉く現実が念仏になっていくところに他力の信がある。如来より賜りたる縦糸を持つかどうかが問題である。如来より賜りたる念仏を持たして頂くことが信心である。
 『歎異抄』の後序はその結論である。結論を仏教用語で「流通分(るずうぶん)」という。流通とは流布・弘道である。単なる結論でなしに流布し(宣布し)弘めたい、それを皆の人に本当にわかってもらいたいとの願いがこめられている。
 その結論はなにか、それは真実の信心ということである。『歎異抄』は真実信心を明らかにし、それをどうか弘めたいという書である。今日、信心という言葉は非常に誤られている。真実信心というものをはっきりしたいというのが『歎異抄』の結論である。
 それは三つの柱からなっており、いずれも親鸞聖人が弟子の人達に度々話をしておられた話が柱である。一つは、真実信は同一の信であるということ。親鸞聖人も法然上人も、そして私達もみな同じなんだということ。だがこれは簡単に容認されることではない。これには激しい言い争いがあった。それを「信心一異の諍論」という。
 これに決着をつけたのは法然である。もし法然上人がおいでにならなければこの問題は激しい言い争いのまま、恐らく結論は出なかったであろう。法然は皆の師匠であり権威である。その先生が「同じだ」と言われた。「私の信心も親鸞の信心もすべて如来より賜りたる信心であって同じである。もし同じでない人は、私が参る浄土へはよも参ることができないでありましょう」とびしゃり言われたから、これで決着がついた。
 もし今日、これを広く言ったらどうなるか。キリスト教徒は「キリストの信も私も同じである。パウロの信も私の信も同じである」と言えるであろうか。創価学会の人が「池田大作氏の信心も私の信心も同じであり、戸田城聖氏のも私の信心も同じである」と言えるだろうか。日蓮上人の信心も私の信心も同じだと言えるだろうか。これは非常に大事な問題である。そこら辺から却って「信心とは何か」という根本が問題となってくるでろう。

 信心とは普通、信ずる心であると思う。信ずる心ならば篤い薄いがあり、深い浅いがある。その人の経歴、学問、思索によって大きな差があって、初心の者は浅く、長く聞いている者は深く、偉い人は篤く、粗末な人は薄いと思われる。同じであるとは決して思えない。人も皆、信が同一などとは思ってもみないではないか。
 本当の信心は、その人の学問、経歴、年令、体験などで決定されるのでなしに、これらと全く無関係に、如来によって与えられるもの、賜るものである。それが是非ともはっきりさせなければならない『歎異抄』の結論である。同一の信とは内容でいえば、自己への深いめざめが同一であることである。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり」ということ、これが同一である。「親鸞一人」といえば一応ひとりである。独りといっても孤独のひとりがあるが、今は孤独ではない。又独善というひとりがある。お山の大将われ一人という。しかしそれでもない。ひとりは独立をいう。ひとり立ちである。自らへの深いめざめというのは、何物にも引きずられない、又何物をも超えて立つようなひとり立ち。このひとり立ちのできるめざめが、「そくばくの業をもちける身」というめざめである。これが同一なのである。
 最後に「ただ念仏のみぞまことにておわします」とある。これは、ただこのこと一つまことであるというものを持っていることである。これは単に持っているというだけでなく、現実人生への取り組みを意味する。この世、即ち「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界はよろずのことみなもてそらごと、たわごと、まことあることなき」この人生に、本当に取り組んでいく者の姿が、「ただ念仏のみぞまことにておわします」と知る。まことなるものを知ることが、厳粛に取り組む人生を持つことである。
 以上をまとめると、初めの同一の信というのが総結論であり、あとの二つが各論で同一の信の内容である。無量の悪業を内に自覚することである。それを「親鸞一人がためになりけり」という。更に「ただ念仏のみぞまことにておわします」と、仰ぎみるものを持っているということである。これが第二の内容である。

 親鸞聖人の信心は、地球上で独特の深さを持つものである。これを今日いよいよはっきりすることが、日本だけでなく世界中の人に貢献することになると思う。
 従来の浄土門は、未来往生というのが主であった。これは浄土門が庶民大衆の中に広がった時、その庶民大衆はいつの時代も哀れな存在であって、権力を持たず武器を待たない、いわゆる虐げられる階級の人達である。農民とか漁民とか商人とか、皆権力者の支配下にある人達で、その人達は大体悲惨な生活をしていた。これは中国も日本も同じであった。南無阿弥陀仏、弥陀の本願が盛んに説かれる時代はみなそうであった。その時に彼等を支えたのは、この世は不幸せで憎み苦しみが多いけれど、弥陀の本願を本当に頂いていくと死んだ後に、弥陀の浄土に往生して幸せな生活を送ることができる。この現実人生は耐え忍んで生きぬかねばならぬ、そのためには信心を持たねばならない。信仰がなければならぬという宗教であった。未来往生中心の宗教であった。これは日本だけでなく中国もどこも同じである。キリスト教の源であるゾロアスター教も、死んでから神の審判があって悪しき者は地獄へ、善き者は天国へ迎えられるという。未来宗教が中心である。今までの宗教の特色はこのような未来期待教であった。しかし戦後の新興宗教は違ってきている。それはこの世で幸福を得る宗教が大半である。神様にお願いして現実の幸福を得たいという利己一点ばりで、何とも浅い宗教になってしまった。
 伝統のあるよい宗教はみな未来往生であった。法然の宗教もそうである。法然上人全集を読んでみると、臨終間近い人を北側に頭を向けて寝かせる。そして右を下にして頭を西に向ける。その方に阿弥陀仏の像をかざり、そこから五色の糸を引いてこの人に持たせる。これは死ぬ人に対して深い安堵感を持たせるためであろう。そして念仏して来迎をたのむ。これについて色々問答が出ている。その糸はどんなのがいいでしょうか。「五色の糸で作る」。誰が作ったらいいでしょうか。「子供に作らせたがいい。」というぐあいに法然上人が答えている。このお方は偉い人だなと思う。そんな細かな所まで心を配って応答される。これを臨終来迎という。臨終に弥陀が迎えに来て下さるという宗教で、ある。法然上人が亡くなられる時はどうだったかというと、上人、五色の糸はいらない、とおっしやる。面白いですね。それを返って死ななくてもいいというところが法然上人らしい。偉い人ですね。

 親鸞聖人は臨終来迎を説かなかった。しかし、全く未来往生を説かなかったと言えば嘘になろう。聖人が説かれたのは必至滅度である。しかし注意深く『歎異抄』や『教行信証』を読んでみると、親鸞が力を入れて説かれたのは現実人生を生きぬく道である。これを現生不退という。
 現生不退とは、現実人生に一歩も退くことなくとりくんでいくことである。これが聖人の教の中心である。今から七百年も前にそういう宗教が説かれ、それを行じぬいたお方があるということは、まことにびっくりするほかないことである。未来において必ず涅槃に至るということが、単なる未来往生でなしに、同時に必ず現生不退という現実問題であることが繰り返し説かれている。
 現生不退とは、例えば磁石があるとき、磁石の一方が北をさすならば他の一方は必ず南をさす。北が涅槃、仏国土。南は人生。必至滅度のままが現生不退である。涅槃だけが強調されるならば人生逃避である。そうではない。本当に北を指すものは同時に必ず南をさす。正しく涅槃の方向をもっているという事が同時に人生への全力投球となる。家庭に於て職場に於て、或いは社会に於て全力発揮、完全燃焼となる。現実人生のどんな困難な問題にもぶち当っていく力を与えられるのである。これがなければ真の宗教とは言えないのではないか。聖人においてはそこがはっきりしている。

 なぜ「如来より賜りたる信」を持たない人があるのか。
 法然上人のお弟子達は皆、上人と貴方とでは信心は違う筈だという。同じである筈はないという。ということは自分も上人と同じでないのである。しかし親鸞は同じであるという。往生の信は如来より賜りたる信なのだと言われた。これが大多数の人にはわかっていなかった。お弟子は大体三百何十人ともいわれる。その中で本当に上人と同じような人は五、六人だったという。なぜ同じでなかったか。ここを申しておきたい。
 曾我量深先生はもう亡くなられましたが、このお方は国宝級の人といわれている。残された書物を読むと大変に示唆に富むところが多く、又今まで誰も言われなかった大事な所を沢山とりあげておられる。曾我先生は優れた多くの弟子を育てたお方である。その晩年には、人が訪ねてくるとその一人々々に厳しい批評というか、誡めをされたそうである。広瀬杲氏の書物によると、三十年来曾我先生の教を聞きぬいた常随昵近の人があり、どんな田舎までもついて行って身の廻りのお世話をし、目の悪い先生の手を引いて一生を捧げて先生に尽くされた立派な先生がある。この人が言っておられる。自分は曾我先生が亡くなられる前に先生から注意を受けた。「あなたはとうとう大無量寿経の世界に出なかったですね」と言われたという。これを私流に翻訳すると、「あなたは長い間私の世話をしてくれて私の言うことをよく聞いてくれた。話は聞いてくれたが如来には遇わなかったですね」。これは大変な話である。実に大変なことである。
 法然上人の弟子は三百何十人、上人の教を一生懸命聞いた。二十年聞いた勢観房という人もいる。優れた人も多い。聖光房弁阿上人は鎮西派の祖である。又証空上人といえば西山派の開祖である。そういう沢山の弟子がある。けれども大半は「如来に遇わなかった」と言うべきであろう。そこが問題である。
 先の人の問題も他人事として聞くと、世の中には奇妙なこともあるものだ、三十年も先生について聞いているのに如来がわかっていない人がある。如来に遇わなかったとは本当の信心ではなかったということですね。如来より賜りたる信を持たなかったということでしょう。「はあ、そんなこともあるのかねえ」と、他人の話になってしまう。しかしそれでは駄目なんです。仏法とは他人の話ではない。噂話をしているのではない。これは我々一人一人の問題になることが仏法です。
 前にも申しましたが、捨身飼虎という話がある。これは金光明経という経典に出ている。虎が飢え死にしそうになっていた。そこへ三人の王子が通りかかった。一番上の王子が言った。あの人食虎が死にそうだ。よかった、これで人が助かるだろう、と。二番目の王子が言った。あれは殺したがいい。三番目の王子が言った。私は助けたい、と。二人の兄がとめるのも開かず自分の身を横たえて食べさせようとする。けれども食う力もない。そこで頸動脈を切ってその血を飲ませたところが、虎が起き上がってその王子を忽ちかみ殺してしまった。その子虎達も元気になり山奥へ帰って行った。そういう物語がある。
 この話を聞くとみな三人の王子を考える。兄貴が言うのがよかったのではないか、いや次の兄のがよかったかも知れない。一番下の弟のはどうも解せないというようなことになる。この話は三人の王子が我々の行動の模範を示しているものとする。その限りこのお経はわからないと思う。この話の根本は我々が虎であるということである。これが一番大事なところではないか。我々はもう命も絶え絶えになって食べる元気もなく、沢山の問題を抱えて死にそうになっている。それが助けられた。助けられて自分を助けた人を食い殺す。感謝の心もなく、相手をしゃぶれるだけしゃぶって逃げていく。このような存在が私自身である。自分が何であるかを考えなければ仏法にならない。そのことはよく知っておかねばならない。
 先の詰も、すぐれた先生の話を三十年も聞いていて、話はよく聞いた。その人は『曾我量深随聞記』というのを書いて何冊も出してある。テープも無い時代によくも筆記しておられたと思う程である。
 しかし「あなたは如来には遇いませんでしたね」と、死の間際の先生から言われなければならなかった。「そういう人もあるかいなあ」、これではいけない。人間というものはそういうものなのだ。教には遇うが如来には遇わない。それが私自身の問題である。
 信の確立というものには二つの段階が必要なのである。第一は人との出遇いであり、第二は如来との出遇いである。
 ① 人との出遇い 人とはよき師よき友をいう、この出遇いが大きく求道の第一歩を占めるのであり、大事なところである。
 善導の『観経疏』の中の散善義に深心釈がある。善導はそこで信の確立への道を説いた。「決定して自心を建立せよ」という。「決定して自心を建立し教に順い行を修す」という。自心とは、自己自身で決断してわが心を打ち立てよ、確立せよ。心を建立して教に順い行を修すということ、その決心が先ず大切だと言っている。自己決断が大事である。信は自覚、又は真の認識とでもいうべきものである。信の確立にはよき師と出遇うことが大切である。が、しかし、よき師と出遇うというと我々は、その人によって励まされ、その人によって引っ張って貰って、そこで自分が前進するというように考える。それはぶら下がりである。ぶら下がりではいけない。自己決断が必要である。それを「自心を建立する」という。いかなる偉い師と出遇うてみても自分に決断がなければならない。何を決断するかといえば、言われたことに従って私が、わが身において実行していく。教に順って実行していくという自己決断がなければ、ぶら下がりに終る。又、そもそも出遇うということにならない。
 ところが「教に順う」ということには二つ問題がある。人ということが一つ、人がなければ具体的には教はない。今日、宗教における大きな問題は何かというと、教はあるがこの人というのがない。教は『教行信証』も『歎異抄』もあるわけだが、「この人に聞けば必ずわかる。この人に聞きなさい」というような人がいない。沢山いるようだが帯に短し(たすき)に長しである。学問だけでもいけない。広い視野に立って人を教育する力がなければいけない。教を乞う人の個性、環境に応じてそれを育てていく力がなくてはならないし、自分自身も人間的にシャンとしていなければならない。そういうことを考えると私を始めとして適当な人というのは本当にいない。実に少ない。その人の言うことなら大丈夫という、そのような人が要るのである。
 もう一つは、もし人がいても教に順うためには自己の謙虚さというのが要る。単なる謙虚でなく、自らの分際を知るというのである。自分自身がその人より劣って遥かに低い所に居るのだということがわかること。自分が本当にお粗末な低い低い所にいるのだということがわからないと、どんな立派な人がいてもそれに従うことができない。人が要るということ、もう一つは自分の分際を知らなければいけないということである。
 その例として『観経』をあげる。韋提(『観経』の女主人公)の願いである。それは「我いま阿弥陀仏のみもとに生まれんと願う。願わくば我に思惟を教え我に正受を教えたまえ」と釈尊に願う。これまでに色々の問題があるが、それは省路する。韋提希の心が決まった。彼女は色々のもたもたの後に決断した。私は釈尊の教に従って弥陀の浄土に往生していきたいと願った。そして、阿弥陀仏に対する考え方、受けとめ方を教えて下さいという。これが彼女の願いである。自ら決心して、「私に教えて下さい。教えて下されば私はその通りにやります」と、釈尊をよき師と仰いで一生懸命願った。「その行を教えて下されば実行します」と。実行といえば継続一貫ということであるが、その継続一貫やりぬこうという心構えをもって乞うたのである。
 それに対して釈尊は、直ちには思惟も正受も教えなさらぬ。なぜかというとまだ機縁熟せずである。そして言われることは、今弥陀の浄土に往生する者は皆世間善、小乗善、大乗善を実行して、それを成就するという。三福の行である。「汝今知るや否や、此の三種の業は過去、現在、未来三世の浄業の正因なり」と言われる。この三つの善をやった者が浄土ということを問題にし得る人達であるという。世間善というのは、第一に父母に孝養、師長に奉事し慈心にして殺さず十善業を修すという。小乗善は戒律ですね。三帰依を保ち衆戎を保ち威儀を犯さず、という。大乗善とは、菩提心を起し因果を深信し大乗を読誦し……人々の為に勧め励ます道を実行していくという。
 これらがなぜ説かれたか。決定して自心を建立してしっかりやっていこうと頑張っても、直ちに出来るのではない。先ず教に順わねばならない。教に順うには謙虚さがいる。自分がへり下らないと教を頂くことはできない。三福の善は自分を知らせる為に釈尊が言いなさる教である。父母に孝行というと我々はグッと胸にこたえるものがある。それはお前がよはど親不孝をしたからだろうということになるが、そうではない。私は自分で言うのもおかしいが、形の上では孝行者でした。けれども心根はどうであったかというと、全く頭が上がらない。実に親よりも上の方に自分は坐っていて、親を下に見て生きてきたのである。親孝行なんて言えたものではなかった。親孝行というのは親に孝行をしたかしなかったかを問われているのではない。自分の姿勢を問われている。実にこたえるものがある。韋提希はこれを聞いて、深く自分のお粗末さというものを知っていくようになる。
 ② 如来との出遇い
 法然上人のお弟子の中に親鸞のような人はほんの僅かであって、大半は信心の確立ができない人達であった。大半の人々にどうして信心の確立ができないかということが問題である。
 信の確立には先ず人との出遇いということが大事である。人と出遇うのには自分に謙虚な姿勢がなければならぬ。これは今申した通りである。人との出遇いを就人立信(じゅにんりっしん)という。就は就くという。就き順うのである。しかしながらこれだけでは、「あなたは私の教は聞いてくれたが、如来には遇いませんでしたね」ということになる。如来に遇わなければ「如来より賜りたる信」というのもあるわけがない。
 就人立信から如来との出遇いにならねばならない。『観経』の中に、如来との出遇いとはどんなものかということが非常に象徴的に説かれている。それを空中住立の仏という。
 先に申す韋提が具体的に教を請うのは「教我思惟、教我正受」を願うところからである。しかしその韋提の願いに対して答えられたものは三福の教であった。この三福即ち世間善、小乗善、大乗善の教が胸にこたえた。そして自分が親孝行もできない、三宝(仏法僧)に帰依するということも、形ばかりで本当にはできない。菩提心を起すなどというのはいよいよ遠い所にいることがわかった。そういう愚かな自己へのめざめをもって、はじめて謙虚さを取りもどした。これがよき人との出遇いの座である。
 こうして釈尊からはじめて思惟を教えられる。思惟とは考え方である。これを前六観という。十三通りの観のうちの前の六観をいう。日想観、水想観、宝地観、宝樹観、宝池観、宝楼観がこれである。先ず眼を閉じて太陽が西に沈むということは太陽の終りであり、それが人生の終りを暗示する。そこにだんだんと自分につれ帰されていくということがある。それから水、浄土の大地、浄土の樹、池、家と観じてゆく。心を静めてこれらを次々と思う。それが思惟、考え方である。心を静めて釈尊の教について進んで「教に順い行を修す」。そこに少しずつ心の転回ができてくる。どういう転回かというと宝樹観には、この浄土の樹を本当に観ることができたならば、八十億劫生死の罪を除くとある。宝楼観には、本当に観たならば無量億劫生死の罪を除くとある。これはだんだん自分の罪の深さ、自分の心の及ばなさ、尊いもの優れたものを見る度に、自分の心の汚れを知っていく。このように師に就き順って教えを受けているうちに、次第に深い自覚の上に立ってくる。よき人の教によってだんだん深い心に到達する。それならばこのまま進めば信ではないかと思う。が、そうではない。これは入口である。最後は如来に遇わなければ仏教にならない。これらは如来に遇うための前方便である。

 如来に遇うとはなにか。これが問題である。如来に遇うというと、如来をこの目で確めるとか見るとか、心の中で感じ取るとかという事であろうと思う。が、そんなものではない。
 我々人間の考えは大まかに言えば三つであろう。知性的発想、倫理的発想でありもう一つは打算的発想である。知性的とは、如来に遇うとは何かと頭で考える発想である。倫理的とは、善いか悪いかと考える。打算的とは、損か得か、ためになるかならぬかと考える。
 知性的に考えるという考え方は、物の本質を本当に理解するという考え方ではない。このことについてはすでに述べた。
 善し悪しというのをはからいという。人間がはからいで考え、打算で考えたものは本当のものにならない。今、如来に遇うといっても、知性でわかることでなく、感じ取るのでもない。又、功利心では到底わかるものではない。如来を知り、如来に遇うのは、如来心が私の上に生まれて、この如来心が如来に遇うのである。

 第六観が終って第七華座観の初めに釈尊は、「諦に聴け諦に聴け、よく之を思念せよ、われ当に汝が為に除苦悩法を分別解説すべし」と言われる。そう言われた時に釈尊の姿は消えて、空中に南無阿弥陀仏が立ち給うたとある。非常に象徴的に出ている。
 除苦悩法とは何か。苦は四苦八苦、悩は煩悩。苦は結果であり、煩悩はその因である。煩悩の果として苦は現われる。その煩悩を除き断ち切り除滅するものは何かというと、無量光(アミターバー)という。苦を除くものを無量寿(アミタユース)という。苦しみをとり除くとは何か。苦がとり除かれるのか。
 苦は、生老病死の四苦であり、その中心は生苦にある。生苦は人生苦である。人生に生きていく上に沢山々々の苦しみにぶつかるのである。それをとり除かれる筈がないように思う。しかし、教を聞き開けば色々なことにぶち当っても、その事が我々を苦しめることにならない。苦難や病気が苦しみになるのは、苦労や病気を苦しみに思う心があるからである。その心を照し破るものを無量光という。又、無量寿によって人生苦も老苦も死苦も、如来の命の中に包まれて念仏の種となる。
 無量寿、無量光を南無阿弥陀仏という。除苦悩法を南無阿弥陀仏というのである。大事な所を非常に短い時間で言うのでわかりにくいが、一応筋道だけ申した。
 韋提の心の進展を待って釈尊は除苦悩法を説こうと言われた。その時に釈尊の姿は消えてそこに南無阿弥陀仏が現われた。非常に象徴的な姿で出されている。

 如来との出遇いとは何か。私が心に感じとるものでもなしに、如来に照らされることである。善導は、「空中住立の仏とは、ただ廻心(えしん)、正念し、わが国に願生せしめ、たちどころに即ち生を得しむなり」といわれる。今まで韋提は釈尊の教を聞いていた。韋提が釈尊にお願いし、釈尊がそれに応えて法をされた。その話が進んで浄土の様子を説き終った。そして除苦悩法を説こうという時になって、釈尊の姿は消えて空中に如来が現われた。如来に遇うたのである。これは廻心正念をあらわすといわれる。
 廻心を信心といい、正念を念仏という。そこにはじめて「極楽世界の弥陀」に遇うという願いが満たされたのである。廻心とは何か。回心とも書く。深い心の転回をいう。
 就人立信とは、よき師と出遇い教を受けて育てられることである。これを教育という。教によって育てられるとは何か。どんぐりに水が与えられて胚芽が大きくふくらんでくることをいう。問題はその次だ。その大きくなった胚芽が遂に殻を破って出る。そこから、もはやどんぐりでなしに一本の苗木になっていく。自分の殻を破るところを廻心という。殻とは、人間が知性的に、又倫理的、打算的にしか物を考える事ができない執われをいう。
 それを破って広い世界に出ることを、わが国(弥陀の国)に来生するという。どんぐりは小さな殻の中に閉じこもっているから、小さいことしかわからない。しかし、彼を包む大きな世界があって、それはどんぐりの外の世界である。(にわとり)の卵は殻の中で外の世界なんか考えたことがない。が、もし羽化して穀を破って出てきたら、そこには太陽が輝やき風が吹き沢山の生きものがいるということがわかる。わかるのは広い世界に出た時である。それを如来との出遇いといい、信心という。それは教育でなく教化である。化と育とは違う。教によってだんだん自分を深く考えられるようになったのは教育である。教化とは、今まで全然わからなかった世界がわかり、そして自分の殻が見出せたことをいう。教育はどんぐりの世界、教化はどんぐりが発芽して苗木になった天地。教育は卵の世界、教化は卵からひよこになることをいう。
 学校教育、公民館教育、社会教育、その他みな教育までである。宗教の問題はそれから先、教化という世界、殻を破るという天地である。あなたを広い世界に出すものである。『観経』ではそれを空中住立の仏といった。それに遇わねばならない。それを就行立信という。就行立信、行とは南無阿弥陀仏の働き、如来の働きである。水と光になってどんぐりの発芽を起すのである。その働きが成就してそこに生まれた廻心正念、それを就行立信という。それは心で如来を見るというようなものではない。人間は如来を見る力はない。何かそういうものを心に思い浮かべる、そんなものは何の役にも立たぬ。そうではなしに、廻心正念である。就人立信のはてに就行立信、これを如来に出遇うという。

 廻心とは何か。聞法によってわれらの心は自分自身をだんだんと深く反省する。その時心の奥底に何が見えてくるかというと、仏法に反抗的なもの、攻撃的な批判など、変なものしか出てこない。これが心の現実である。この心の現実にぶつかると、これではいけないと私の心は現実を打破し、現実を取り替えて立派な心になり、勝ち名告りをあげたいと思う。これを理想主義という。かくあるべし、かくあるべからず、この現実を打ち破って……と思う。そこでもう一遍やりなおしと聞法をくり返すが、この現実が打破できない。ならばもう一遍やり直しというように、心の向きが理想主義になっている。この理想主義を仏教語で定散自力のはからいという。
 廻心とは何か。空中に仏が立つとは何か。それはその心の方向が変わるのである。だから廻心という。どう変わるのか。この現実に打ち勝つのでなく現実に負けていく。現実の前にひざまずいていく。現実の前にぬかずいてこれが本当の私と目がさめていく。これを廻心という「これではいけない」のでなく「これが本当の私の姿」となることである。
 こういうことは青年期には非常にわかりにくい。私はわからなかった。しかし世の中にはわからない話が沢山ある。これを聞く秘訣がある。それはわからないからつまらぬと捨てるのでない。自分が成長しないからわからないのである。そこで遠い雷を聞くように、はるかの遠雷の響きがやがて自分の真上にきて、ゴロゴロピカピカと鳴る時、自分の上によくわかるであろう。その時に備えて聞いておくことである。これが秘訣である。
 廻心の成立が宗教である。それは、これではいけない、も一つ頑張らなくちゃというものを持っているわれらの理想主義が翻される。現実の前にひざまずいて、これが本当の私、南無阿弥陀仏となって、この現実に直面してたじろがない。逃げていかない。廻心とはこういうものです。神様にすがるのではない。ぶら下がりではない。自分にぶつかるのだ。これを自覚という。自分に目が覚める。現実をやっつけてしまえではない。この現実にぶつかってたじろがない。
 これが本当の私とひざまずいてたじろがない。それを廻心といい仏教という。
 今からの時代は仏教を明らかにしなければならぬ時代である。神様が助けて下さるという時代は過ぎた。神の助けは絶望である。助けて下さいとたのむこと自体が間違いである。今から先は自覚の宗教です。現実というものが問題にならなければならない。現実が私のとり組むべきものとなっていくという宗教でなければならない。今こそ親鸞の教えを、どうしても世界にかかげなければならない時機である。そんな宗教はほかにない。私が寺の坊さんだったら商売上こんな話をしていると思われるかも知れんが、私は全然寺に関係ない。本当にこれしかないと、そう思うから申すのである。

 なぜ如来より賜りたる信を持たない人があるのか。答は就人立信で終ったということである。就行立信までいかなかった。ここまでゆくことが非常に難しいことだといわねばならぬ。
 それではこのどん詰めまで行く道はないか。
 信の確立の道、すでに申した通り先ず自分で決心しなければならない。何を決心するのか、継続一貫である。
 継続一貫というが、私は期限を切った方がいいと思う。まあ三年でしょうね。お前この前五年と言ったんではなかったかと言われそうですね。だんだん時代が変って期限も変った。五年は欲しいがまあ三年はやってみないといかぬ。三年やると大体わかる。相手が本物かどうかがわかる。人間というのは面白いもので、これが本物かどうかは自分が成長するとわかる。向こうを評価する力ができる。次に積極的聞法。まず質問をすることである。質問をすると非常に進む。なぜかというと、質問をするためには日頃考えねばならぬ。そのためには聞かねばならぬ。聞いたのを復習しなければいかん。聞いたのを復習し、色々な本も読み、また考えて、わかる所とわからん所がわかって、それを質問するのであるから、質問するまでにはかなりの前段階がある。だから質問ができる人は偉い人です。しかし初めは小さなことでも文字の意味でもいい。とにかく自分がいつも質問を持っているというのが大事なのです。そして偉い先生に会うたら質問する。それが大事なことである。なぜなら、その時に大きなプラスが与えられる。
 私も偉い人に会うたら出来るだけ質問するようにしている。質問事項をかねてから持っている。この間、大谷大学の学長になられた広瀬杲という先生に高倉会館でお会いした時に聞いてみた。あの先生は善導大師の大家ですからね。「善導は自分の先生の道綽禅師についてはひとこともおっしゃっていませんけれど、なぜでしょうか」と聞いたら、先生は答えられなかった。「はあ、どうしてでしょうかね」と言われた。それを聞いてこれは難しい質問なんだなと思った。これは誰に聞いてもわからないのかも知れんなあと思った。それはそれとして質問が大事である。
 も一つは時間と金を惜しまないこと。それを引きさいて聞法することを積極的聞法という。そして、できれば長い会座に泊り込みで出ること。
 そして最後に、足りないものが一つあるということを知っておかねばならない。それは次の問いに答えられねばならぬ。
 「君の心根は何か」
 「君にまごころがあるか」
 この問いに対する答がいる。これが人間の転回の大きな鍵になる問いである。この問いに答ができることが、信の確立のできる道である。
 世の中にこういうものを問うところはありません。誰も問わない。しかしこれが仏法の問いである。
 法然門下の人はこの問いを持たなかった。その限り人間は深い自己肯定と自己主張の真っ只中にいて、就人立信で終る。就人立信、就行立信、これは聖人は『略文類』に就人就行立信といわれた。
 そこに如来との出遇いがある。

 「露命わずかに」からこの文章までは、著者である唯円が、自らの思いを述べているところである。
 〔私は、はかない露が枯草に宿っているような、もはやいのちのほどもわからぬ身でございますが、ここにご一緒におります人々のご不審をも承って、それについて聖人が仰せになったことを皆さんにお聞き頂いたことでございます。けれども私が亡くなった後はさぞかし乱れがましくなることでございましょう。それが悲しく思われて、間違った事を言われる人達に出合った時に、そういう人々に言い迷わされることなどのないようにと念じています。しかし、もしそういう事のある時は、亡くなられた聖人のお意に叶って読んでおられました御聖教などをよくよく御覧なさって下さい。それには唯信抄とか後世物語などがあります。一般に申して聖教には真実権仮ともに交っております。その中で権仮のものを捨てて真実をとることが聖人の実意であります。決して聖教のこころを間違えることのないようにしなくてはなりません。そこで大切な証文をいくつかぬきいでてこれが目安になるように、この『歎異抄』に添えまいらせておきます〕。
 そこで、この大切な証文とは何であるのか。どこが大切なのかをたずねておきたい。

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