<下巻> 第四章 一生を貫く一つの言葉

443
名号六字が生きたみ親であり
信心であり 行であり
これを称えるままが自信であり
教人信であり 願作仏心であり
度衆生心であり 仏恩報謝である
南無阿弥陀仏の六字を
一生かけて称え続けさせていただく
それの真にできる人の幸せは
なかなか言葉にあらわすことはできない

一生を貫く一つの言葉…
一生を貫く一つの念仏行…
そこに至幸至福の人が存在する
若き人よこれを思え



80
如来のこころ大地に実現して
  念仏となり
念仏の人 念仏の人にとけて
  一味となる
一味の世界開けて
  限りなく我らの世界を成就す
我等の世界の彼岸に浄土あり
  浄土の力来たって一味の世界を成就す



86
子孫のために財物を残し
  一家の繁栄を願うというか
  これを人情自然の道というべし
しかるに時に巨万の富ゆえに子を堕落せしめ
  不徳放蕩の子によって一朝に失う
如来の正覚は功慧力によって成ず
  真の福徳は智慧と共にあり
  故に賢者は必ず不滅の法燈
  念仏相続をもって家憲となす



89
お念仏の子はどこでも光る
  お念仏の子はいつでも光る
お念仏の子はなぜ光る
  見られても見られなくても
  降る照るなしの道を行く
お念仏の子はだれでも光る
  お念仏の子は永遠に光る
  頭が低くて手足が軽い
  胸に不滅の燈が燃える



101
汝 一切の悲しみを棄てんとするか
  これ人生の実相を真に知らぬ者の徒労にすぎず
  智者は徒労を去る
汝 一切において楽しまんとするか
  これ愚なるものの徒労にすぎず
悲しむべきを悲しむ者のみ
  楽しむべきを楽しむ
仏智そのままの信眼 内に開けて
  初めて真実の悲喜を知らん



185
春来る!
恵みの春来る
大地の内奥にひそむ力
今 万物の上におどる
柳は緑 花は紅
春に相なくして 花の上に素裸を顕わす
釈尊をはなれて弥陀なく
弥陀をはなれて釈尊なし
常世の春 人に訪れて念仏合掌の浄華開く
対絶二妙 仏凡一体の境
願力の動く所 不退転の菩薩道生まる
春なるかな



231
如来中心の人格
如来中心の生活
如来中心の家庭
如来中心の社会
如来は遂に我をして 如来中心の世界のみの尊きことを知らしめたもう
一切の議論をぬきにして
汝の口に念仏ありや 汝の身に合掌ありや 汝の意に信ありや
家に仏殿あるも はたして仏は家庭生活の中心なりや
狭苦しき賎が伏屋も 如来によって樹つ家はありがたく尊し
いかに善美なる大廈高楼も 念仏なくばただ人間享楽のそらごとのみ
恵まれたる順境というも 釈尊三時殿の幸に及ばんや
悲しき逆境というも 親鸞聖人九十年の悲惨に較ぶべからず
されば順逆二境を超えて 如来廻向の金剛の真心を獲得し
汝の生存をして 如来中心の生活に転成せしめよ



232
「煩悩具足の凡夫火宅無常の世界は
万の事みなもてそらごとたわごと真実あること無きに
ただ念仏のみぞまことにて在します」
人は皆
夢のごとき希望を追い
幻のごとき欲望に生く
されどこれを得るも煩悩なり
これを失うも煩悩なり
無常の大火のがれ難く 生死流転やみ難し
如来は金剛の真心なり 何ぞこれに徹せざる
念仏もまた金剛の真心なり 何がゆえに求めざる
如来金剛の真心 汝の胸中に燃えて真実信心の聖火となる
この聖火 無明の大夜を自照して
生死無常 煩悩業苦のただ中に無碍金剛の道を開く



244
待ちに待ちたる聖会は 遂に来りぬ
同胞は今 華に乗じて
歓喜に満ちて 聖会さして帰り来ぬ
尊き聖会は 今静かに開かれんとす
「ああ 弘誓の強縁は 多生にも値いがたく
真実の浄信は億劫にも獲がたし
遇行信を獲ば遠く宿縁を慶べ」
遙かなる六道 九品位はかわれども
我らは今 平等なる大悲のみ胸にあり
同一念仏は 大乗善根界に通いて 寂静の光一味なり
恒沙の諸仏は 我らの聖会を護念したもう
恭敬合掌して謝せん 霊鷲山上の会座を
五体投地して聞かん 如来久遠の本願の名告を
不幸の二字我らより去りぬ 永久に召されたる我らの幸よ



240  
聖会は果てたり涙の裏に
華に乗じて 念仏の子は
今 出で行くよ 西に東に
火の粉降る巷に 闇深き旅に
さはあれ 胸に燃ゆる信の燈は
必ずその行手を照らさん
行け! 与えられたる持場持場に
輝きあらしめよ 如来本願の真実を
もし人の世の苦しさに泣く日あらば
遙かなる山また山のおちこちに
尊き使命に生ききれる 同胞あるを憶念し
無碍の大道を展開して
世の光となれよかし
道の行者となれよかし



247   
大地の矛盾を
大地のものによってのみ解こうとしてはならない
今日の問題を
今日のうちに解決しようとしてはならない
わが心事を
常に万人に知らしめ 万人に称讃せしめんとしてはならない
常に如来聖人 善知識の教えに忠実なれば
紛紜たる雑音の中をも 悠々として超え得るであろう
常にわが胸中の真相を深信凝視すれば
金剛の大信自らに貪瞋二河の間に現行して
波瀾万丈の人生にもよく安穏なるを得るであろう
無漏常住なる名号は 彼岸のすべてである
彼岸のものを此岸に生きる人
これを正定聚不退の念仏行者という



249 
光明仏身より出でて万象を照らし
光回って再び仏頂に帰る
凡夫三毒の劇毒をはいて一切を汚し
無明の穢悪再び報いてその身に帰る
しかるに念仏の行者
如来の本願力廻向によって大善に生かさる
自然法爾の徳その身に輝き
無量寿のいのち内に満つるに
己を語らざること老松のごとし
齢千年変わらぬ縁に颯颯の声あり
一貫相続白道の行歩に ただ称名念仏の声あり
智慧光いつしかにその周囲を照らし 回ってその身に帰る
不滅の燈 暗の世を照らす
念仏行者の尊きかな



283
苦しいことが次々に起こって来て 行き詰る
複雑な事件や こみ入った声の中に立って 行き詰る
生きることに疲れ果てて 行き詰ってしまう
何ゆえに行き詰るのか どうすれば開けるか
浅い心が行き詰る 善知識を忘れ 如来を忘れた心が行き詰る
行き詰った時 静かに念仏の心に立ち帰れ
教主聖人の忍苦の御一生を憶え
このくらいの苦しみが何か このくらいの辛苦が何か 何がうるさいのか
五劫思惟の御意 兆載永劫一貫忍苦大悲誓願の御意
静かにその御意を憶念する時 道は自然に開けるではないか
苦しむまいとする貪欲 暗いままで立ち止まっている愚痴
その浅い心に行き詰りがある
静かに大悲に帰れ しこうして念仏して立て
必ず朗かに道は開ける



329 
どんな人間苦の中にも 私をして立ち上らせた力は唯念仏であった
わが泣く時 如来は我の内に泣きたもう
わが苦しむ時 如来は我の内に苦しみたもう
わが悦ぶ時 如来はわが内に悦びたもう
わが身心の何処 みじんの内にもしみつきたもう如来は
我と共に起き 我と共に寝ね 我と共に働き 我と共に叫びたもう
万人悉皆私のほんとうを見てくれない時
我の全部をそのままに 飾らず 偽らず ありのままに見たまいて
悪しきを叱り 善きをほめ
正しさを慰め 悲しさを励ましたもうもの
ただ彼 如来のみである
我はいかなる迷路にわけ入るとも
必ず 我に来たりて 離れたまわざるは彼如来である



345  
一物に執着する者は 万物を失い
無一物に徹する者 無尽蔵を獲得する
凡智に囚わるるもの 如来を失い
小善に囚わるるもの 大善を知らない
一切のはからいを奪われたる一瞬
南無阿弥陀仏の純粋行を廻向せられる
一切のうたがいを打ちくだかれたる一念 大信海を獲得する
大信海は自由絶対意志の天地であり
自然法爾の必然の世界である
この天地
まず合掌によって開かれる
信は合掌である



357 
大地に合掌してみ法を聞き
信心決定して念仏申す者の上にのみ
一如法界への平等の真智と 生死界への差別智とを
大信のうちに統融して
正定聚不退の位にあらせたまう

二乗は恩愛を無視し 凡夫は恩愛に泣く
如来の大悲光明のみ
恩愛の中に菩薩道を廻向したもう

念仏申すべし
ありのままの中に
大法 頂戴すべし



358  
貪欲は 明日を錦の上に座せんと望んで今日を泥土に委ね
念仏者は 今日一日を錦の上に合掌する
今日一日を除いては 万劫にも尊い日はない
本願の名号は 信心の行者のいく最勝無上の錦の大地である
仏法者には明日はない
しかるに貪欲は またしても明日への幻影を追う
 老人あれば老人と共に念仏すべし
 若人あれば若人と共に念仏すべし
 善人あれば善人と 悪人あれば悪人と
 智者あれば智者 愚者あれば愚者と共に
 唯 念仏すべし
すべてこれ この錦の大地に生じたる浄華ではないか
現前の一人を軽んじて 名利の描く所の大衆を求むるは 念仏の意ではない
貪欲である 妄想顛倒である



426
念仏申せ
肩に微塵の荷物もなくなるまで念仏申せ
念仏申せ
富士の山より重い荷物の肩にあるまで念仏申せ
恩に生きる者は輝き 恩を知らざる者は濁る
恩を知る者は歓喜し 感謝して光り
恩を知らざる者は 灰色に曇る
恩を知る者は満たされる
満たされるがゆえに報謝す



435
自分の心の中にどんな煩悩が見えようと
それにまむきになって念仏申すべきである
わたしのような悪人ではと思う心
自力のはからいである
わたくしのような悪人なればこそである
如来の正覚華は 泥の中に咲くがゆえに
游泥華と言われる
蓮華は泥の中に咲く
南無阿弥陀仏の蓮華は
煩悩の泥の中に咲く
ゆめゆめ泥をつくねて
蓮華にしようとしたり
泥をなくして蓮華を咲かせようとしてはならない
泥のまんまに念仏の華は咲くのである



441
われわれは
少しでも割り切れぬことに出くわせば
何とかしてこれを割り切ろうとする
割り切ろうとするとは
白黒をはっきりして自分がよいものになろうとする
しかし 人生は
矛盾そのものであって
決してそのすべてを割り切ることはできない
そこでついには行き詰まる
矛盾に出会っても 割り切ろうとする そのままを
内に転じてお浄土へ流して
お念仏申すこと
これもまた わたくしが
一生涯言いつづけたことの一つである



479
信は力である
しかしいつしかに我慢が力となり
念仏は他力である
 しかしいつしかに他力は無力となり
本願は絶対の救済である
 しかしいつしかに 救いはあさましい自分と如来とのなれあいとなり
念仏は絶対善である
 しかしいつしかに 絶対善は凡夫相対の自力念仏となり
如来大悲は善悪共に摂取する
 しかしいつしかに 大悲が反倫理の弁解に持ち出される
一切自力相対の迷妄を 如来大行の大鉄槌によって粉砕された端的に
無碍の大信海が顕現する
ただ 如来本願の裏にのみあり得る



480
念仏行者は 十方無量の諸仏に護念証誠せられる
護念とは 念力をもって覆い護りたもうことであり
証誠とは 虚偽をはなれたる誠実をもって証拠に立ちたもうことである
念仏の人とは 如来の真実を生きる人である
ゆえに諸仏は 覆護加念し 証明誠実したもうのである
人間の多数決が必ずしも真実ではない
人間の声よりも諸仏の護念証誠に生きなくてはならない
信に生きて自己を偽らない者にだけ
諸仏の護念証誠が聞こえる
魂の声 衷心の願いを見失わないで生きることである



483
念仏しつつもなお
 不平愚痴をその善知識に訴えて 慰撫されんとするがごときは 未だ教法に徹せざるものである
念仏しつつもなお
 他人との忿怨を その善知識に訴えて ひそかに知識をわが主張に賛同せしめて
 その味方とせんとするがごときは
 法の尊厳を忘れて 法によって煩悩の立場を求めんとする我慢である
 大法未だこの人のものにあらず
念仏しつつもなお
 身の不幸を嘆じて その知識に本尊に 同情を求むるがごときは 大法を忘れたる者である
如来は常に現在に説法獅子吼したもうとともに 永遠の沈黙者である
大法は一大事因縁なり 唯一絶対の事実なり
真に大法に値う者は 本質的不幸を永遠に捨てたるものである



487
時どき我われは
自分の過去に通ったところからところへ
線を引いて考えてみるがいい
だれが 流転 宿業 そうした言葉を
自分の上から消すことができようぞ
宿業によって なるがままに流転したのではないか
しかし その宿業の展開のままが
念仏道に出されていることは ありがたいことの極みであった
大悲のみ胸のうちに
宿業の子のままが抱かれはぐくまれていたのであった
宿業を背負うて 念仏することが
私に許された たった一つの生活であった
たった一つの道であった



502
今日も悪く 昨日も悪く
明日もまた いよいよ悪いのである
三世の悪業
今の一念の信に転悪成徳せられ
今の一念に 如来の功徳大宝海を全領して
現前の一念に満足し
生かされるもの
念仏の信である
これを宗教というのである



520
病床のあけくれは静かである
ものを思うにふさわしい
凡夫には 病ほどいやなものはない
法然上人は
「浄土をねがう行人は、病患を得て偏にこれを楽しむ」
と仰せられたが
わたくしども凡夫には病を楽しむことはむつかしい
蓮如上人すら
「しかれども強ちに病患をよろこぶ心さらにもっておこらず
 あさましき身なり 慚ずべし悲しむべきものか」
と述懐しておられる
しかし 病を得て病を喜ぶことはできないが
病によって 静かに御法を喜び
お念仏を喜ばせていただくことはできる



540
名号は
あなたを救うという如来本願の表現です
如来の誓いは
あなたを救うの誓いです
本願の名号は
あなたをありのままで救うという
如来大悲の表現であります
名号の中にのみ
救いは成就されてあります
そして 現実の具体的動きが本願です