<下巻> 第三章 終生の師友

308 
我はまたしても 巌上の松をいう
巌上の松こそ 終生のわが師であり わが友である
彼かって 苦悩を他人に告げて同情を求めず
彼かって悲観 絶望 厭世して 天地に反逆せず
彼かって 自力小我に囚われて功を他人に誇らず
堅き巌上に創造進達の一道をとってたじろがず
冷たき海辺の嵐に荒らされて屈せず
彼 彼なりしことに満足せるか ただ黙々として続けられた幾十百年の苦闘
満月清く彼の上に懸る時 彼の感慨や果していかに
変わらぬ緑の節操には 自らなる気品あり
松籟 波と和して消える処 大自然の親の聖容 彼の上に光る
寂々として老樹巌上に聳えて 天地と彼と一枚
声なき声 我に教ゆ
聖人の一生にも似たるかな 彼の生きる領域を憶う



64
雪まばらに残れども
  すでに蕗の薹は出て
風寒けれども
  春の精力すでに大地の上に現わる
極寒の冷氷 山野を包む時
  雪の底 この力ありて忍ぶ
人生行路 苦心惨憺の裏にも
  無限絶対の願力ありてひそみ
  聞法の春に値うて汝の上に顕れ ついに
大信の華と咲きたもう



121
一切の苦悩人の胸に捧ぐ
苦悩の根源をつきつめよ
苦悩の内からは宝玉が生まれる
人間苦のどん底につき落とされて火炎のルツボで焼かれてこそ
そこに永劫に輝く如来は誕生あそばす
妥協すな そらすな
苦悩に痛む胸を抱いて
一切三宝の前に合掌して 他力本願の悲涙にふれよ
欲しいものは力ではないか
如来は金剛の力にてまします。



132
    忍
それは決してあきらめたのでもない
それは断じて愚痴の暗い心でもない
忍ぶとは 精進することである
心の裏に広い世界の開けたことである
忍ぶとは 力の生活をすることである
一切を負うて立つことである
忍ぶ所に道がある
忍ぶ我に人知れぬ悦びがある
忍ぶ者のみ向上する
忍ぶ者のみ大きくなる
忍べよ 忍べ 苦を忍べ 疑謗を忍べ
一切を忍べ
与えられたる唯一の力は忍ぶ世界にこそ表われる



215
汝 教主善知識を発見せりや
しこうしてその教主善知識の教えに忠実なりたるか
教主に対する態度の不真面目は 如来に対する態度の不真面目である
教主と仏とに対して 忠実なる者のみ
法を法として我の上に生かすのである
師を無視するに至っては 言語道断 無間の底に沈む者
師にあまえる者
師をかつぐ者
師を利用する者
共にこれ師の模倣 師の利用を出でず
いずくんぞ 師を超えて 出藍の栄光に師を生かすことを得ん
合掌して親鸞聖人の態度を学ぶ
七高僧によって導かれつつ 七祖をして七祖たらしむ 噫


 
216 
今日 四月八日
天上天下唯我独尊と大聖生れましぬ
人間性の偉大の証明
底なき文化の源泉
全人類の前に理想の燈炬は示されたり
涅槃の自証
無我の実践
仏陀の胸底に源を発したる
真理の大河 生命の巨流 
人格より人格を流れ流れて二千有五百年
大乗菩薩道の華
この島国に咲き匂う
我ら今日生きることの至幸を憶う(花祭の日)



246 
人の至って賢きは
合掌恭敬して無我の心に住し
如来聖人の真実教を聞信して生きるにあり
人の至って善きは
己の愚悪に覚めて頭を大地につけ
如来本願の真心に救われて生きるにあり
人の至って尊きは
広大なる恩徳にさめ 不退に求道して
念仏無碍の道味を人生に顕現するにあり
一念の信不淳にして 内心智慧光のメス至らざる自力心あれば
その心不正直にして一心ならざるがゆえに
やがて求道退転して横道にそれ
一貫真実の行歩乱れて 哀れ臭き屍を横たえん
行者心して正法に忠実なれ



280 
自利満足する者にのみ 利他の大用おこる
苦難に遇わば精進せよ
周囲に不徳我慢をみれば 沈黙して精進せよ
汝の上に不幸おこらば ますます精進せよ
人より侮辱悪罵せらるれば 己を見つつ精進せよ
人に尊敬讃嘆せらるとも 念仏一道を精進せよ
精進のみ 汝の上に自利成就せしめたもう
汝の精進にして御冥見に叶わば
必ず 計わずとも 任運自然に利他成就して
汝の周囲には 清浄なる人格の華が咲くであろう
この鉄則を無視して生まれたる一人の聖賢なく 社会なく 国家なし
御恩の大地に頭を垂れて この念のみいよいよ滋し



288 
思えば過去のすべでが死んでいる
悲しい思い出や あいそのつきた失敗や ただ愚悪そのものである
しかるに一度念仏道が廻向される時
悲しい経験も嫌な思い出も失敗も無駄も残らず活かして
念仏道の内容として下さる
あきらめられぬ悲しみをそのままにあきらめさせ
一番嫌であったことまでが今では自然に念仏させる
人生行路の失敗者が一念に成功者となる
大悲本願とは実にかくして価値なき我に価値を与え
闇に苦悩に泣く子に光を与え
あるがままの人生をあるがままに生きつつ
しかもそのすべてを本質的に生かして下さる不可思議力であった
南無阿弥陀仏とはすべてを生かす久遠の御いのちである



300 
感謝なき人生は貧困である
真の感謝は念仏である
懺悔なき人生は荒凉である
真の懺悔は念仏である
恭敬なき人生は邪見である
真の恭敬は念仏である
精進なき人生は無意味である
真の精進は念仏である
願なき人生は無価値である
願とは即ち念仏である
信なき人生は暗黒である 白道なき人生は流転である 念仏なき人生は地獄である
念仏即ち南無阿弥陀仏 白道即ち南無阿弥陀仏 信心即ち南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏即ち尽十方無碍光 この光明この名号 人に廻向顕現して大信となる
大信心は真人格のすべてであり 人生の意義のすべてである



306 
老いの身に何がある
病の床に何がある
死の時に何がある
その若き日に何を求めたか
その健康の日に何を求めたか
死の一呼吸まで何を願ったか
一生を貫いて 汝は真に汝を知り得たか
一生を貫いて 汝は汝になりきることができたか
一生を貫いて 汝は汝の使命に生き得たか
若きも 老いも 病む人も真実教を聞いて
この出世の一大事の解決を得よ
憶念弥陀仏本願 自然即時入必定
唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩
横超無碍の天地がそこにある



307 
生きることは苦悩である 苦悩すること以外に人生はない
しかし苦悩あるがゆえに人生の意義が生まれる 
苦悩の無いところに人生の意義は生まれない
宗教の意義もまたしかりである
念仏によって苦悩を無くするものではない
苦悩の中に念仏して 苦悩を受け取れば
苦悩こそ 如来本願大悲真実の功徳大荘厳を発せしめたる現実の根拠であるがゆえに
苦悩こそ 誠に如来の真実大悲の大荘厳を 現実に具体的ならしめる契機である
であるがゆえに 苦しみこそ幸なるかな 悩みこそ福なるかな
苦悩無きものに大悲無く 煩悩深きものに功徳多し
されば 罪悪深重にさめて念仏申す者は 永遠なる功徳荘厳を人生に顕現し
如来の大悲を生活の上に具現立証して世の光となるであろう
汝 苦悩多しとて悲しむなかれ 
直ちに 苦悩を抱いて教えを聞け 苦悩のみが汝が汝となる汝のための契機であり
真実教のみが汝が汝となる汝のための生命である
「苦悩多きものよ教えを聞け」



355 
秋が来れば
木の葉は紅葉して 親木を去って散ってゆく
 
落ちる葉を追うことなかれ
人間の情実によって回顧することなかれ
山の奥 谷の間 街の中 島の影の念仏の希有華を拝んで 名利のために動かざれ
尊きは
如来廻向の慧命であり 大法であり 道義であり 宗教である

宗教は 自覚である
強いて人を得んとすることなかれ
追従を用いず 妥協を要せず 教権にあらず 弥縫にあらず
唯 正直に教法のごとく聞き
あるがままに合掌して
直ちに進んで止まることなかれ



394
愛欲と名利 それなくして人生はない
しかしながら 愛欲や名利は描かれたるまぼろしであって
決して光ではない
釈尊はむしろそれらを無明の心の動きだと教えた
真実の光とは智慧である
智慧の本源は如来であり 涅槃である
痛ましい輪廻の子よ 私と一緒に如来の聖座に合掌しよう
痛む心 汚れた心は決して痛む心 汚れた心によりては救われない
高い世界から光が訪れる
その訪れた光が煩悩に狂う心の上に顕現して そのままを救う
合掌の日 愛欲と本質を異にした清浄願心が御身の上に動くであろう
大地の上はかぎりなく寂しい 愛欲や名利に傷ついた心を抱いた者は殊に寂しい
生命の揺籃 春の日の心にかえろう
かすかにも静かなる光が
おん身の上に平和をあたえるであろう



397
静かに考える
考えない世界には 詩もなければ、宗教も 道徳もない
そうだ 静かに考えない世界に深い人生はない
「謹んで按ずるに… …」
それが親鸞聖人の筆の書き出しであった
偉大なる哲学も 偉大なる宗教も
この謹んで考える世界から生まれた
静かに冬の森林のような静けさ
その中に謹んで先覚者の教えを聞く時
我らの世界は高められる
平凡なる我らの現実があまりに騒々しくはないか
もっと静かに もっと静かに
鉄びんの湯の音が静かに聞こえる



416
人間の思想も 信仰も 人格も 生活も 徳も 罪悪も
すべては言葉となって現われる
ゆえに 言葉が人生を生み 社会を造る
大聖には大聖の言葉あり
悪逆には悪逆の言葉がある
ゆえに 言葉のレベルが その人の品格を決定する
人ひとりとして
一日中言語を使わないでは生きられぬ
言葉について反省し
修養することは
我自らを成就することである



417
時は念々刻々に移る
諸行無常を観ずる時 人ははじめて襟を正す
一日の日を尊ぶべし 一時間の時を尊ぶべし
時を粗末にすることはすなわち 汝自身を粗末にすることである
人を尊ぶとは 他人の時間を尊ぶこと
我ひとりのために いかに多くの人の時間を費やさしめることよ
時の尊さを知らぬ者に 人生に対する感謝あることなく
時の尊さを知らぬ者に 精進努力あることなし
無益の雑談の半日は短く 有益なる勉強の二時間は長い
汝の今日までの時は
その何割が真に有効に真剣に使われたか



444
あなたの御意はどうなのか
あなたの真意はどうなのか
師の御意はどうなのか
師の真意はどうなのか
それがわたくしの
たった一つの永遠の問題である
それを忘れると
名利が心のすわりとなって
御恩を尻の下にしく



445
「このみちや行く人なしに秋の暮れ」
芭蕉ならずとも旅の心はわびしいものである
人はみな旅人だとつくづく思われることである
そして昔から覚めた人ほど寂しい旅人であった
私もまた旅人である
何のための旅なのか心に問うてみる
すると私の心のおく底の声が
『それはたった一人の人を求めているのである』という
お前はもう長い旅をつづけているのにそれが見つからないのかと問うと
もうそのたった一人の人に出会った気もするし まだ出会わない気もする
私が旅を続けているのは その一人の人に会いたいためであり
私が微笑むことができるのは
そのたった一人の人に会った気がするからでもある



450
大悲に相応して柔軟心に住し
生死に随順して 苦悩を逃避せず
静かに全一なる如来本願の願意を念じて 全我を投托して
広大なる恩徳を報じ 罪悪深重を懺悔して合掌に生きる
誠に懺悔と報謝こそは 自力をすてて如来に帰し
円融至徳の名号を生命として生きる者の全てである
如来本願に帰る時 一切の罪悪 苦悩は
彼岸の徳に転じられ
円融にして自在なる大道を行歩することができる
人生は矛盾にみち 矛盾の中にいつつ
しかも信心の行者が
よく 平和と統一とを保つことができるのはこの故である



455
現実の生死は彼岸の浄土の声によって否定せられなくてはならない
われらはこの彼岸よりの声によってのみ
現実の煩悩生死を迷いと知り
自己心内の一切を顛倒の妄見と知り得るのである
平等なる大悲 悪人をこそとの大悲
怨親平等の智慧光
逆悪の衆生を悉く一子と観じたもう仏心にふれて
いかにわれらが怨むべからざるに怨み
憎むべからざるに憎み
求めべからざるに求め
疑うべからざるに疑っているかを知らしめられて
遂に正しい信心に住し 念仏一行に乗托して
正しく浄土へ欲生するのである



464
自ら光を発し
自ら香をはなち
自ら色を清くせんとする者は、聖道門である
国土の光に、国土の色に
国土の香に生かされ
光をその身に受け 目にその色を覩
耳にその音を聞き
鼻にその香をかいで生かされるものは浄土門である
しかしてそれによって菩薩の上に成就するものは法忍である
されば
浄土の国徳をおいて 菩薩の徳はあり得ないのである



470
身施とは われ自らを献じて生きることである
人生には お金を出せば得られるものがある
人生には 口の先で得られるものがある
人生には 少し小知恵を動かせば得られるものがある
けれども
人生には 自己の全身全霊をなげ出さねば
得られないものがある
釈尊はそれを得られたのである
親鸞聖人は
自力以上の自力
一生をかけて このものを獲得し
生活せられたのである



476
科学を真に研究せよ
されど科学には科学の領域がある
精神偏重の世界は 釈尊のとらぬところ
宗教にもまた その領域がある
科学を無視して精神界に囚わるれば 迷信に陥り
科学を偏重すれば 科学は 悪魔殺人の武器となる
自転車製法の説明 運転する車輪のたおれない理論の研究は 科学に属する
しかし実際自転車に乗ることは 理論の領域ではない
体の細胞の一つ一つが自転車に乗ってくれねば乗られはしない
宗教は正しい論理を求める
しかし こと全身全霊の問題である
細胞の一つ一つの問題である
これを精神界という 行という



477
天道おそるべし 恵み感謝すべし
放逸懈怠誡むべし 言行慎むべし
真理尊ぶべし 愚昧愧ずべし
欲望制すべし 願全うすべし
不徳悲しむべし 聖賢敬うべし
ただ戦々兢々として己を省み しかも大胆に念仏する
これ宇宙を背景として生きる
我の領域を信知せる者の生活である



500
「人生とは」と問われたら
私はいつも「教化である」と答えて来た
生まれた日のあるわれらは 死なねばならない日がある
いつそれが来るか知れない
それを思う時厳粛な声として
如来聖人の教えがせまって来る
もとよりわれらは微粒大の存在であるが
たった一つ
み教えに生きさせていただくというだけは 許されている
ありがたいことである