<下巻> 第二章 無碍の一道

299 
夜来の雨上がって東雲の空 横雲金色に輝いて動かず
群星の光 紺碧の空に消える処
日輪将に出でんとして 金箭雲を貫いて走る
荘厳なるかな 清浄なるかな 偉大なるかな
そもそもこれはこれ 何の象徴なるかこの旦
我は今明けゆく空に向かって合掌念仏して立つよ
「専らにして復専らなれ……念仏者は無碍の一道なり」
天地もまたこの荘厳相を顕現して 正法を証誠したもうか
やがて太陽東天に登りて 紫金色の色は消え
我もまた美しき感傷の夢よりさめて現実にかえる
本願一実の大道 念仏易行の白道 希有最勝の直道
雨降らば降れ 風吹かば吹け
外に八万四千の無明動乱 内に八万四千の煩悩業苦うずまくとも
金剛不壊の本願力に乗托して 正法に終始せん
「念仏者は無碍の一道なり」祖聖の大宣言の真実なるかな (正月二日)



52
花の咲く日 君を憶うて名をよぶ
  再び起つ能わざる君が病床の窓辺にも
  この花や咲くか
咲くを見るもこれが最後なり
  散るを見るもこれが最後なり
寂しきかな 大地の実相
  されどこれ 君一人の世界にはあらざるなり
  偽らざる実相にさめてなお
微笑みつつ念仏する君を知る 噫



66
宿業に泣く子に親がある
  親の御心に大慈悲がある
  大慈悲のみ一切を知りたもう
遥かなる旅路に迷う子に親がある
  親の御心に大慈悲がある
  大慈悲のみ切々として招喚したもう
念仏に蘇る子に親がある
  親の御心に大慈悲がある
  大慈悲のみが摂取して一道に生かしたもう



67
暗深くして光弥々輝き
  業苦重くして 大悲弥々深し
永劫流転の子は今
  流転のままに大悲のみ胸に帰る
我計らわずして 自然に
  無量寿の会座にあり
  み名のみ実在します
  恩徳のみ全し
五体投地してみ光にゆだぬ



81
時に堂々幾千万言の雄弁も
  人の心を動かすに足らず
時に巨万の富を費やせる施設も
  人の心を得ること能わず
しかるにわが心の琴線何故に高鳴るぞ
  いわく 一老婆感謝念仏してわが前にあり
  いわく 一青年懺悔念仏してわが前にあり
ただ 真実のみ人を動かす これすなわち千古の断言なり



99
清旦の法話を終わって客室に帰る 
  白壇の香 秋気にゆらぐあたり
  一服の苦味に寂々の趣あり
集うもの五六輩 黙々として語らず
  ただ念仏の声にこの心通う
思い遠く馳せめぐりて同胞に会い
  馳せめぐって念仏のこの胸に帰る
本願の白道を念じて 思いを悲喜に托す
  念仏の朝 大寂の御胸に通う



119
恩を知る者は報謝す
恩を知らざる者は貪る
恩を知る者は生き
恩を知らざる者は死す
恩を知るものは輝き
恩を知らざる者は乱る
無条件に血と汗に生きる これを報謝という
尊きかな 報謝の人
報謝の人に与えらるる歓喜の微笑 
尊きかな 恩を知る者の法悦



129
秋の田園に稲が豊かにみのる
露しげき垣根に虫の音楽が聞こえる
気清き野山に千草の花が咲き乱れる
念仏の家庭に感謝の笑顔が見える
念仏の人に懺悔の生活が営まれる
念仏の道場に求道の妙好人が集まる
国土荘厳の喜悦!
秋来たって万物蘇り
念仏して人 永遠に生く
空晴れて月いよいよ高く
妄念翻って真如の月いよいよ清し



133
人の行く手には 恐ろしい事件が待っている
平和を求めてやまぬ我らに 一度魔の手が下った時 
我らの平和は一度に破壊される
また一つまた一つ
かくて人生は永遠に苦悩である
静かに念仏する時 
人間苦はそのまま浄化され
如来によって
ここに人生至高の価値が創造される



173
よせてはかえす生死大海の大波小波
船なき者は 怒涛狂乱をおそるべし
仏なき者は 煩悩をおそれよ
地獄も餓鬼も畜生も煩悩より生まる
されど仏を得たる者よ
生死をおそるるなかれ 煩悩をおそるることなかれ 苦悩をさけることなかれ
親鸞聖人は 自ら進んで肉食妻帯の煩悩底に沈んで
そこにおどる法蔵の本願を信楽した
煩悩をおそれる者は小乗なり
煩悩のみに無自覚なる者は凡夫なり
仏心に生きて生死煩悩になり切る
これを菩薩道という
仏凡一体の境
南無阿弥陀仏



178
苦を喜ぶにあらざれども
苦悩を忍従の中に超克し
生死動乱を好む者にあらざれども
千波万波の波間に久遠の月のゆらぐを楽しむ
怒涛なくして何らの大船ぞや
暑さなくして何らの涼味ぞや
大地はこれ永遠の苦海なり
生死はこれ衆生海の永遠の事実なり
苦海に弘誓の大船あり
生死無常の彼岸に常恒一如の風光あり
我この大船に乗托し
我この風光を合掌の裡に呼吸す
密雲わずかに破るる所
そこに不滅の微笑あり



179
時に天日曇る
失望することなかれ
時に晴天続く
放縦なるなかれ
太陽に変わりなし
冬来りなば春遠からず
絶望の彼岸
永遠の太陽輝く
現実に即して彼を拝す
悲観の中に 微笑あり
楽観の中に 緊張あり



203
生きることに喜びがある
そこには必ず創造の生活がある
真実の創造は まず汝が汝であることによって始まり
充実せる内部生命の発露によって成就されてゆく
氷雪かえって万有の生命を充実せしめ
痩土岩壁かえって松を風致あらしめる
充実せる生命を碍ぐる何物ありや
創造の根底はただ生命の充実にある
充実せる生命の相
これを大信といい 自覚という
自覚の内奥に君臨する先験的実在
これを如来という
生命とは如来である
如来に生きることによって創造の生活は可能である



213  
汝の生涯五十年
何を一番喜んだか
何を一番悲しんだかを聞けば
汝の一生が何であったかがわかる
祖聖親鸞は
法を聞き道を獲たこと以外に慶の文字を使わず
内省における悲嘆以外に悲しみの文字を使わず
悲しむべからざるに悲しみ 喜ぶべからざるに喜ぶ時
人生真実の慶びは逃げ 小苦にも大悲観おしよせん
汝! 信の活眼を開け
大いなる慶び汝にあり
大いなる悲しみ汝にあり
如来の真実
この悲喜一体の至境に光る



242
ああ 法界を一筋に貫いて 悪逆の胸に徹したもう招喚の声
八億四千の雑音を超えて 明澄至純に響きたもう招喚の声
我合掌して大聖の真実教に其の名号を聞き
我涙にぬれて今日
「祖師聖人の化導に依りて法蔵因位の本誓を聞く」
生まれてここに四十二歳 我また何をか求めん
恵まれたる同胞の純なる願生の信にふれて
かえってわが内心の不純に泣く
哀れなるかな 常没常流転のわが相
ただ 倉皇として 宿業に追われて今ここに至る
何すれぞ 悪逆煩悩の子に この恩徳の深き
ああ また何をか求めん
仰ぎ願わくば ただ世尊の教えにより深くわが我慢を打ちのめしたまえ



257
愚痴に泣いて世間を責むる前に 汝を見よ
明日のことを思い煩う前に 汝を充実せよ
限りなく外に求めて 不平と愚痴を増長するより
無援孤立を悲観して 自暴自棄に陥るより
空虚なる自己を偽装して 浅薄なる繁栄を求むるより
如実に 真剣に 明確に 正直に その本心に帰り
合掌して 真に教えを聞き 道を求めよ
如来金剛の真心 内に汝に直入満足して真実功徳を成就す
桃李もの言わざれども下自ら径を成し 花招かざれども人自ら集まる
来るを拒まず 去るを追わず
ただ 天真の法の華に咲いて 独り微笑む
至善の教命に信順して 順境に驕らず
現前の一念に満たされて 逆境に亡ばず
念仏者は無碍の一道なり



269                                      
一切衆生 煩悩の泥濘にあえいで 出離を求めず
煩悩の中に煩悩を求めて ついに底なきぬかるみに足をとられ
道を知らず 光を得ず 眼を持たず 耳を得ず 歓喜あることなし
しかるに何たる幸ぞ 大法に値いたる念仏の子
宿善有難くも この大法に値うことを得たり
宿善有難くも 真実教主 如来聖人の法流に遇うことを得たり
宿善有難くも よき時と処に生るることを得たり
因縁有難くも 尊き希有最勝の同胞に値うことを得たり
因縁を泣きし子が今 因縁を慶び 宿縁を喜ぶ
如来大悲 因縁の上に生きたもうて因縁の上に救いを成就し
念仏の子 因縁の中に合掌し因縁に随順しつつ彼国に願生す
因縁を感謝することによって 因縁を超えて光の世界にあらせたもう
されば 因縁に闇に泣く子よ 大法を聞け



290  
正法を戴いていつしかに過ぎゆきし三十年
夢の間に過ぎて何物も無き苦悩の旅路
ただ ほのかに彼岸の招喚を聖人に聞き
ただ わずかに水火二河の間に願力の白道ありて
歩々声々 念仏に生かしたもう
今日聖筵を敷いて記念感謝の式典を挙げ
三仏賢聖一切三宝の前にこの大恩を謝す
逆謗の死骸に何ゆえにかくも大慈悲の重き
生死波荒くとも大悲本弘誓願の船はゆるがず
罪業深重なれども仏智の光明は無碍なり
より純粋により純粋に
念仏道を生きて往かん 永遠の浄土まで
           (二三、四、一)



298 
「念仏者は無碍の一道なり」
この金言こそは聖人の果しなき生死動乱のただ中にあって
如来金剛の大信心願往生の白道に生きぬいて
全身全霊をもって体解体感したまいし不滅の大宣言である
二種深信というも無碍の一道である
宿業の諦観というも無碍の一道である
金剛心というも 白道というも 柔軟心と言うも 願往生心と言うも
すべてこれ如来本願力廻向の無碍の一道である
この無碍道すなわち本仏の尽十方無碍の威徳に外ならず
この無碍道 我らが順逆二境貪瞋二河の間に廻向顕現して
行者を水火二河群賊悪獣より護って横超せしめたもう
行者誤って順境に貪欲の満足する日を無碍道となすことなかれ
行者疑うて逆境火の河の日に無碍道を失うことなかれ
行者錯って小才に得々として名利に満足するを無碍道と思うことなかれ
ただ二尊の教命に無我に信順して絶対超越の無碍道を念仏のうちに自証せよ



309
  金   色  
山も村も紫に黄昏れて 金盆 西の山の端に赤し
金色の雲 色うすれゆく時 明星次第に輝く
悠揚なるかな 荘厳なるかな
地上の生の終焉は永遠の生への出発である
噫 君在りし日の黙々の精進 水火二河の間を貫かれた一道の行歩
その時 たれかこの静かなる一道の行歩が 
恒沙の護念証誠の中にあるを知ったであろう
たった一人 泣くに泣けぬ日を念仏に忍び
たった一人 氷雪の野をほのかなる招喚の御声に生きぬき
あるいはまた 春風駘蕩の順境にも一道を失わず
一生相続不退の歩みはついに今の今
大千応感動の盛儀を展開して み親のみくにに帰りたもう
蓮華蔵界 弥陀法王 久遠の一子を携えて屋門に入り
檀林宝座に寂静涅槃の本際を極めたもう
我ら五体投地して唯尊容を仰ぎ奉る



342
愚禿とは僧にもあらず 俗にもあらぬ者の姓名であった
北越の天地になげ出され 御師匠と別れたまいし聖人のみ心や如何
逆境は常にその人物の赤裸々なる相をよびさます
真信仰に至りて このせっぱつまったる人間悲痛の涙の底にこそ その輝きを増す
すべての妥協も よそおいも間にあわぬ人間裸形の痛々しさ
聖人はこの内観されたる御自身に愚禿の名をつけたまいぬ
非僧非俗の愚禿 何ぞわが腹の底をつくお言葉ぞ
すでに僧に非ず
聖道自力によりて成仏せんとする賢善精進の僧にあらず
されど道を道とも思わずして生きる俗も 御年九歳でおわってしまった
妻をもち子を養い 肉を食うの身
唯々 如来によって生かされてゆく
一介の愚禿 それこそ聖人の全部であった



343 
南無阿弥陀仏 念仏しつつ静かに合掌す
そこに哲学なく そこに宗門の対立なく 
そこに異安心なく そこに正安心なく
我なく 無我なく
ただ合掌のみあり ただ如来のみ在す

哲学を超えよ その他一切を超えよ
信は 実に絶対自由意志の獲得である
信は あらゆる鉄鎖 牢獄よりの完全なる解放である
一心の生活者のみ 無碍の白道をゆく



432
人生の広野に大行の華を拝む
これに過ぎたる喜びはない
親鸞聖人は一切の殻を破って自由の虚空界に出られた
学問するものはいつしかに懈慢の殻の中に入る
しかし 失望するなかれ
一文不知の最勝人に同ずる道あり
いわく 全我をあげて教法を受け取れ
必ず仏の智慧力 大悲力は
この我の城を粉砕して下さるであろう
学問を捨て 大愚大悪にさめる時
はじめて学問が生きるであろう
インテリは広野の菩薩を拝まねばならない



434
お浄土すとぬけの御念仏
本願そのままの御念仏
如来廻向の御念仏 無根の信の御念仏
何もないままの御念仏 非行非善の御念仏
数の多少によらぬ念仏 声の大小によらぬ念仏
理屈の入らぬ念仏 賢い人に用事のない念仏
悪人愚者にのみ有難い念仏
念仏が念仏で喜ぶ念仏
てばなしの念仏
これはこれ如来の正覚華
高原の陸地には咲かず卑湿の淤泥の中に咲く淤泥華
弥陀の身代限りが
そのままわたくしの身代限りの御念仏
ただ念仏申すこと ただ念仏申すこと



440
おどろいては念仏し
悲しんでは念仏し たまげては念仏し
念仏するより外には 何らの能のない人間である
ただこの世をこの世の如く領解し
我を我の如く領解し 今日を今日の如く領解し
会う人を会う人の如く領解して
念仏申させていただくことが 私にできることのすべてである
悲しい時には泣くがよく うれしい時には喜ぶがよく
誤解は誤解でよく 正解は正解でよい
人間はよくよく子供っぽくできている
善く誤解されたら喜び 悪く誤解されると腹を立てる
それで誤解された時 一番正体が現われる
とにかく
あるがままを受け取って念仏申す
これより外には 古の聖賢といえどもできなかったのである



449
私は旅をしながら「不思議」な気がする
せんじつめていえば この不思議ということが私の旅に得たたった一つのことだ
私のふむ道はこの「不思議」で満ちているといってもいい
なんと不思議な道であることよ
ふみしめればふみしめるだけ不思議である
大きな坂が見えてくる
しかしおくせずふむと坂は坂ながらに平地になるし
平地だと思っていても 私の心に旅をあやぶむ心が出ると急に坂になってしまう
坂をいとう心が坂をつくり
平地に執着する心が谷をつくる
平気でしかも全身を打ち込んで歩めば坦々たる大道がつづいてゆく
しかもわたくしは多くの山坂や谷を越えなければならなかった
わたくしの心の台のために   (闡提庵)



475
寒月 沖天に輝いて 梅花を照らす
梅花 霜雪の中ににおうて 人を待たず
無相の自然 梅花と月と霜雪の中に体露堂々
何すれぞ人間の技巧末梢の装い
偽装成って笑い 虚飾失われて泣く
全的否定の大行 鉄槌下って 第三世界の打開されるところ
法爾自然の月 常住の光に輝く
「善知識 もとの阿弥陀の命へ帰せよと教うるを聞いて
帰命無量寿覚しつれば わが命無量寿なりと信ずるなり」
生きることの尊いかな
如来のみ 善逝にてまします



478
無碍の一道とは
人間得意の日を言った言葉ではなかった
逆境のどん底にも 感じ得る道であった
欲の満たされた快楽ではなくて
満たされない現実に立って
大いなる者の心に満たされたよろこびであった
外から支えられて苦悩を分かつのではなくて
内部生命の燃焼に立ち上がるのであった