<下巻> 第一章 本願一実の大道
385
私も今確かに生まれて来て 今生きておる
やがて死ぬ
生も死も一旦であるけれど 時は永遠である
永遠をおもう時 涙ぐましい感激を感ずる
永遠をおもう時 わがほんとうの姿を知る
永遠をおもう時 淋しさを感ずる
永遠をおもう時 悲哀を感ずる
永遠をおもう時 ひとりを感ずる
永遠をおもう時 魂の躍動を感ずる
永遠をおもう時 一道の光を感ずる
永遠をおもう時 真の微かなる喜びを感ずる
永遠をおもう時 感謝の恩にひたる
永遠をおもう時 合掌したい
永遠をおもう時 遂に生の勝利を感ずる
32
真の信仰とは永遠の生命の上に立つ事である
如来の願心のみ永遠である
如来の願心の上に立つ者もまた永遠である
火にもやけず
貧苦にも消えず
老病死にも失わず
善も要なく 悪にもさえられず
その他一切のものみなに亡ぼされぬ如来願心
その願心の中にのみ
永遠の微笑と真の自由と浄土への往生がある
40
大地を掘れ 清水がわく
み法を聞いて汝を掘れ
至純なる大信心の流れが
煩悩底を貫流する
この信の流れにこそ
仏あり菩薩あり真の同朋あり
真実人生の根底
ただこの仏心の中にのみあり
48
悪馬にくつわなく
猛犬に鎖なきがごとく
五根五欲に戒なくば
汝はついに罪悪の火中に引きずられて
無限の苦悩に焼かれなん
汝 五根に御者ありや
如来は調御丈夫なり
よく煩悩の悪馬を調伏したもう
南無阿弥陀仏
57
心疲れ 身も疲れ
孤影悄然として
人生行路に泣く
足にはめられたる重い鉄鎖
手に持ったる重い荷物
ああ 何がゆえの重荷ぞや 因果ぞや
汝をここに至らしめたる悪魔汝の内にあり
一切をそのままに直ちに光をあびよ
悪魔正体を暴露して汝解脱を得ん
61
一人喜べば万人喜び
一人泣けば万人泣く
大悲を根底とするがゆえである
もし一度貪欲ものを言えば
喜ぶといえども人随わず
悲しむといえども人動かさず
いわんや 我執をや権力をや
心せよ念仏の子
道は 如来 如来を実現したもうに尽きたり
76
清白の大法
その本源を浄土に発し
世尊の金口より流れ出でて大河となり
ゆくゆく七高僧を生みつつ
我が聖人に至る
合掌して無我にこの流れに入るべし
自見の覚悟をもって
自損損他の迷路に入るべからず
金剛の真心は無我の信順によってのみ生まる
79
噫 何故に微塵大の我に
我という意識があるのか
これがあるゆえに悩み苦しまねばならぬのではないか
これがわが若き日の問題であった
しかるに仏の教えはこれを解きたもうた
心あるがゆえに仏を知り
心あるがゆえに衆生を知る
諸仏の無上正真道も
心あるがゆえに成就するのであった
92
黄河は その塘堤を切って
流れを変更せしめ得べし
されど流れを止むべからず
常恒真実なる行信の流れ
何者かあってこれを止め得べき
しかるに 流れに水枯れたるを知らず
これを碍ぐる若干の岸壁に泣く
何故に水源を培って巨河とならざる
せかれて淵となり溢れて滝となるは
ただ 水あるがゆえなり
97
死の幕降りなんとす
戦々競々として薄氷をふむがごとく
深淵に臨むがごとくすべし
師訓にあり 念仏者に明日なしと
聞かれる時に真に聞き
今日一日念仏申せ
大道 今 現前せずば
汝の一生は 無意味ならむ
彼の遺骨の前に思い深し
100
人は我執嫉妬によるがゆえに間違いを繰り返す
間違いを根底とせる行動は間違いである
されば我に正しき法の領解を与えたまえ
人に誤解されて悪罵嘲笑の中にあるは
かえってわが身を誡むるの鑑となる
されば行者
「信順を因と為し疑謗を縁と為し」の祖訓を体し
永遠に第一義の問題を放棄することなかれ
107
大無量寿経の会座将に終わらんとするや
世尊 名号の無上大利の功徳を嘆じて
たとい大火の三千大千世界に充満する有れども
要ずまさにこれを過ぎて経法を聞き歓喜信楽すべきことを説きたまい
この経のみ尽未来際に滅びざることを明かしたもう
真実の大行 永遠に 現在に名告り
真実の本願 永劫に 一切衆生を浄化して
無明の広野に 不滅の智慧光を燈火となし
水火二河の間に 清白の真実道を顕現して
不退精進の菩薩道を常住せしめ
彼岸のすべてをこの世にあらせたもう
道光を獲得して歓喜に住し 報恩無我の大行に生きるもの
これを永遠の同胞となす
154
抱きあいたい
すなおな心で抱きあいたい
一家内の者が 一社会の者が 国家全体が いいえ全人類が…
魂と魂とがいかにしたら結ばれ得るのか?
それが上下数千年 人類の上に課せられた問題であった
あまりに我執が強い 私の魂の我執が強すぎる
そのたった一つの我執が万人の間に溝をつくる
痛い胸 我執の心 それを抱いて 本尊の前に合掌する
万人に通ずる世界がここに開ける
腐れた一切を法界になげ出して静かにみ名をよぶ
169
一切衆生は
みなもて世々生々の
父母兄弟なり
この仏教の第一提言が
我はいかに生くべきかを教える
親鸞は愛縁の両親のために念仏を廻向せず
弟子一人も持たず
一切衆生悉皆同胞の大慈悲に生きた
一切衆生と共に救わるる道義の上に生きたのだ
ああ 我らの生活のこだわりぞ 囚われぞ
彼岸は一切衆生の一なる世界である
彼岸は彼らの現実の指導原理である
彼岸の光をぬきにして
我らの世界の成就はあり得ない
170
右にむけと言われたら 一斉に右をむき
左にゆけと言われたら 人形のごとく左にゆく
そうした無自覚な世界を 善と名づけた時代がある
何を見ても 何を聞いても
ことごとく反逆して万人を敵にしても強さを誇る人もある
我らは 盲目的な善人になってはならない
万人に対立した化城にたてこもってはならない
汝は 忠実に汝の道をゆかねばならぬ
時にはそれが万人の行き方と違うかも知れない
しかしその真意は万人と融けた心であり
正しい道を歩む強い生き方である
親鸞は
信の中にこの独立した世界を歩み
念仏の中にその世界の無碍を体感した
176
黒雲 天をおおうも
太陽の燦たるに変わりなし
太陽 一物のために笑わざるも
万物 これによって生く
如来は永遠の太陽なり
彼 一衆生のためにせずといえども
一切衆生の上に輝く
これを無視して 真実の生なし
これを忘却して 永遠の生なし
これに反逆して 大楽の生なし
220
右するも迷路であり
左するも闇路である
何ゆえの黒闇であるか
善と名告るも人を殺し 賢と誇るもまた人を傷つく
劫初より尽未来際に
殺し殺されて その涯を知らず
かかる三悪道の苦患を裏に抱いて
永遠の解決を求めたまいしもの すなわち大聖釈尊である
大慈悲の光 全人格の上に輝きて世の燈炬となり
大慈悲の力 無明の黒闇を滅して金剛不壊の信力となる
仏心とは大慈悲これなり
南無阿弥陀仏の大行となって 一切群生を彼岸に度す
ああ 大慈悲なくして何等の道ぞや
大慈悲なくして何らの光ぞや 南無阿弥陀仏
227
世界は無常に燃えつつあり これに滅ばざる何物ありや
世界は罪悪煩悩虚仮不実に満てり これに汚れざる何物ありや
金剛にして不壊 清浄にして真実
無常の火にも焼けず 煩悩泥濁にも染まず
この心 長遠にして尽未来際をつくし
この心 広大普遍にして 尽十方に無碍なるもの
ただ ただ 如来廻向の大信心を外にしてあることなし
信心のみ無上道を成就し 菩薩道を示現す
大信心のみ仏性なり 真実なり 如来心なり
信は道の元なり 功徳の母なり
ああ 慚愧よ 感謝よ 歓喜よ 帰依よ 礼拝よ
恭敬よ 尊敬よ 智慧よ 慈悲よ 光明よ
力よ 忍従よ 柔軟よ 大和よ 大道よ
ついに 大信心を外にしてあることなし
230
人間が人間であることを忘れて
動物本能のままに生きてゆくことも
人間が人間であることを忘れて
生仏のごとく自ら高上りするのも間違いである
一は 聖なる尊いものを拝むことを知らず
一は 人間の心の暗の深さを知らない者である
人間が正しく人間を領解すること
そこに如来を正しく領解する者の道がある
この如来と人間との交渉を正しく領解するところにのみ
人生の深さへの歩みがある
ありのままをありのままに見開いてゆく信心の智慧の世界こそ
尊ばるべきである
239
いずれの世界にも必ず悩む人がある
汝の念仏が真実なら
汝が救われたことが事実なら
導け友を み法の園に
如来本願の真意より外に
人生の究竟的解決のないことを知るならば
誘え友を み法の庭に
かくして一基の正法燈が生まれた時
汝は真実報恩の行者として
更に より深い感謝と歓喜と信心の泉に遡るであろう
人は必ず人に教え 人は必ず人を導く
故に 人を善事に誘うことなくんば悪事に誘う
念仏の子よ 汝の周囲の一人を動かせ
しこうして 一本の白蓮華を咲かしめよ
265
み恵みによりて 我 大法に育まれること二十年
今さらに讃えまつる如来の名
大法の広大なること虚空のごとく 恩徳の深きこと大海のごとし
無限の宝蔵たちまちに開いて 衷心の願いを満たしたまい
寂照の光ほのかに照らして 久遠の闇を破り 光かえって行手を照らしたもう
微かなれども白道現前して 常住真実の御声 念々に喚びたもう
何をか求めて生死の迷路にとどまらむ
法に奉えてこの生平を終え 畢竟を期として寂静の城に入らむ
一切諸仏大海衆 無量の菩薩賢聖 我をして護念し証誠したまえ
網極の鴻恩を日域に受け 至重の慈恩を父母に享く
捧げまつる鴻毛一旦の浮生
国家千万年の大計は 正しき思想精神の樹立にあり
同胞と共に大法に終始して 日本国土の底に埋もれむ
273
泡沫のごときこの身に囚われて進退するを我といい
不滅の聖業に全我を托して計らわざるを無我という
我に囚われて己を惜しむ者 名を道に借るともついに私欲を出でず
しかるに世に我見をもって大我無量寿の実在を信ぜず
不滅永遠の大行大善に乗托せずして
なお 己に道あり 徳ありとなす者あり
邪見?慢の独善 大我不滅の領域を知らず
懺悔感謝の一道あるべからず
言を左右に飾るも内心貪欲を出でざるべし
絶対の信念は 至れる謙虚と共にあり
至れる謙忍は 不滅の真実顕現して我を粉砕全否定する処にあり
普遍の大行南無阿弥陀仏 個我に廻向顕現して金剛心となる
泡沫のわが身を不滅の光懐に托して無我なるを仏教といい 真宗という
279
唯一絶対の大行 転悪成徳の救いを成就しつつ普遍の歴史を創造せしめ
億々恒沙の衆生 七高僧を中軸としてその歴史を荘厳す
わが聖人に至って その巨流を恵まれざる衆生の広野に導きたもう
茲において大悲誓願の大河 自力差別の塘堤を切って広野を潤し
人間群落の山野に 美しき菩薩大士を如来浄華と咲かしめたまい
無碍の光を微塵世界に輝かしめて 不滅の法燈を賎が屋にあらせたもう
我また 祖師聖人の御正忌に遇い
感涙とめどなく如来本弘誓を聞くことを得たるを慶ぶ
難信金剛の信楽に住したもう希有最勝の人
歓喜に満ちて百重千重わが周囲を囲繞したもう
ああ 何ゆえの大悲ぞこの御恵み
今宵師教によって難信の義を語れば 同侶悉く感動して祖恩に泣く
ああ祖恩なるかな 祖恩なるかな
永劫に大行界裡にこの高恩を謝せん
281
心と心 どうしても通ぜぬ心と心
人生のさびしさが そこにある
家庭の暗も 世間に生きる悲しさも そこにある
心と心 み教えによって 古の聖賢に通う心と心
生きる喜びがそこにある
彼はその時 人生における単独孤立の淋しさから救われる
彼の悲しみが大慈悲の線に添い
彼の喜びが大慈悲の廻向である時に
やがて彼の周囲には 彼と同一の道に生きる人が自然に生まれる
大心海に通う心と心
彼はその時 生きることのうれしさの本質にふれる
ああ 生きることのうれしさありがたさ
今日もまた我この幸に泣く
282
清々しい若葉が天地を包んで 溌剌たる生命が躍る
生命! 生命の流れているものにのみ
薫りと力と光の輝きがある
古ぼけた生命の枯れた塵まみれの因襲の殻
いかに形が大きかろうと 人数が多かろうと
生命の流れが絶えた時
そこにはただ名利煩悩の悪臭のみが存在するであろう
我らの歩みに生命が躍る
それはただ 釈迦親鸞の意に帰る日に
生命の流れは熱い 生命の流れは新しい
新鮮にして熱い生命のたぎるものにのみ進展と喜びがある
浄土の真宗とは 如来無量寿のいのちの流れに外ならない
291
人の心の移り変わること雲のごとく霧のごとし
善も続かず悪も続かず 順境も続かず逆境も続かず
一度風来らば天空の荘厳も一瞬に消えて黒闇となる
大風雷雨過ぎ去れば日本晴れの晴天となる
さればわが心に囚われて止まるよりは
悲愁の胸をいだいて正法を聞け
いかなる業苦の雲 心を覆うとも
正法に 浄土の風に遇いなば
たちどころに歓喜を獲るであろう
「晴れてよし曇りてもよし富士の山」
貪瞋順逆の中にありつつ貪瞋順逆を超えて
清浄願往生の一道にあらしめたもうは正法である
されば正法に信順するもののみ横超の一道にある
297
亡びゆくものには 熱がなく力がなく行がない
新たに興るものには 熱があり行がありしたがって力がある
亡びゆくものには 貴族的封建的な高上りがあり
新たに興るものには 庶民的な大衆的な親しさがある
亡びゆくものは 名利権勢享楽等を求めこれを失うことのみを恐れ
新たに興るものは 苦難の中に光を求めいのちを求めて生きる
亡びゆくものは 勝手な小田原評定に明け暮れして決断を欠ぎ
新たに興るものは 身をもって直ちに事に処してたじろがない
亡びゆくものは 常に内部分裂によって弱者となり
新たに興るものは 強固なる団結によって一丸となる
亡びゆくものは 毀誉褒貶のみに囚われて死力を尽くす精進なく
新たに興るものは 一心奉行の誠と全我的な精進がある
亡びゆくものは ただこれ苦難を恐れ非難を恐れ忠言を恐る
新たに興るものは 苦難を避けず非難迫害を恐れずして一道に立つ
ああ 我らの歩みをして亡びゆくものたらしむることなかれ
念仏していざ往かん 強き団結のもとに
305
地球の全表面が 不安と動揺と焦燥と憂慮の中に包まれる
科学発達して功罪共に増大し 思想学問進歩してかえって騒乱を深める
人類はたして進歩か 退歩か
仏かねて 五濁悪世と説きたもう
世界を挙げて この言の如実を立証するのみ
ああ 痛ましきかな 人類の宿業
ともに無明邪見我慢の闘争によって滅亡の深淵に入らんとす
大道あり 何ぞ願わざる
光明あり 何ぞ求めざる
人類にして今 反省なく懺悔なくばついに滅亡に至るであろう
この人類最大未曽有の苦悩の中
この苦悩を受け取り この苦悩を超克して大道に生き
この苦悩の闇を照らす不滅の光の実在を立証して
歴史的使命に生きるものすなわち念仏の同胞である
336
救いとは苦をさけることではない
汝の罪も 苦も 一切を汝自身が背負って立つことである
誰も負うてくれる者のないことに目覚めるのである
如来の救済ということを、やせたじれ馬に重い荷を背負わせて
嫌がるのを 無理に強い手綱をつけて引いて行かれるように考えている者がある
それで安心があろうか
光明があろうか
もし如来の本願ということを、私の外から私が知らぬ間に加えられる力とするならば
如来の本願ということも 如来の救済ということも 私には関係のないことである
然り 如来の救済ということは、大きな石を力の強い男が横抱きにして走るのとはちがうのだ
救いとは 力を獲ることである
然り 力である
永遠に生ききる力である
苦悩の中から生まれる力である
337
誠に久遠の仏心 廻向の仏心をおいて どこに真実があろうぞ
そもそもわれわれの罪悪煩悩の姿も
それが廻向されたる絶対の光明なくして
どうして見ることができようぞ
無限の生死海こそ 彼の長時永劫の仏心が
その無限の活動を表わしたもう舞台ではなかったか
見よ 如来は悪人正機とよびたまい
その長時永劫の大慈悲心をば われら無辺の生死海にのみ、その姿を表わしたもうのであった
誠に聖親鸞は「煩悩具足の凡夫 火宅無常の世界は 万のことみなもてそらごとたわごと
真実あること無きに ただ念仏のみぞまことにて在します」
との全否定のまま 全肯定される念仏の世界に出たではないか
349
病の日には 病になれ
病む日に病になりきることこそ 大精進である
病む時 健康体の真似をし
病を敵として対立し これを追いはらわんとすれば
病はますます我を苦しめるに至る
不平 煩悶 愚痴 無理 疑い等々は いよいよ病の味方となって地獄を展開し来る
痛む手を抱いて 全身 痛む手に融合する時
痛む真唯中に 大寂定がある
噫 病床すでに道場
観じ来れば 人生のあらゆる生活相 全て
宗教ならざるなく 大道ならざるはない
衆禍 業障 全て転じて 絶対功徳に一味なる
これを大乗菩薩道という
しこうして
南無阿弥陀仏は その真実易行の大道である
350
汝 汝に還れ
汝 汝に還る時 汝 汝を超越せん
我らは教育者であるより先に人間であった
司法官 軍人 政治家 奥様 博士 小使等々であるより先に人間であった
人間が人間に還る道 それが釈尊の宗教であった
人間が歩かないで高等官が歩き
人間が生きないで小使が生きる
人間が笑わないで肩書が笑い
人間が泣かないで肩書が泣く
これ人間の堕落である
これ以上の堕落はない
361
同心一体
男よ入るなかれ
女よ入るなかれ
善よ来るなかれ
悪よ来るなかれ
智よ入るなかれ
愚よ入るなかれ
僧よ来るなかれ
俗よ来るなかれ
貴よ入るなかれ
賎よ入るなかれ
富よ来るなかれ
貧よ来るなかれ
唯南無阿弥陀仏を志求し行歩する同胞よ 帰りませ!
388
道ばたの一茎の花
それはいと小さいかもしれぬ
しかし彼の上には春がおどっている
小さく生まれた恵まれた一人の人間
それはいと小さいかもしれぬ
しかし愚者の上にも凡人の上にも如来はおどる
桜の上におとずれた春も
小さきすみれの上におどる春も
春は春である
高僧聖者と名もなき老婆と形こそちがえ 太さこそ変われ
如来廻向の春には寸分の差異もない
そこに平等の世界がある
414
我らが知るに先だって
天地の間に「法」が厳存する
法を体得するものは智慧である
信心とは智慧であり 念仏もまた智慧である
法に反逆して 我執我慢を通さんとし
小我の欲望に立てこもって 法を無視するを罪悪という
ゆえに罪悪は無智より生まれる
無智なるものは 道義を知らず
法を離れて大道の自覚はないからである
法を聞き 法を信じ 法を生活する これを大道という
法は則ち道である
されば汝の一生をして 聞法精進不退ならしめよ
433
ほめられたら ほめられて自己を肯定し
そしられたら そしられて自己を肯定し
正法を聞かねば 聞かぬで肯定し
聞けば聞いて肯定し
宗教家として売れれば 売れて肯定し
売れなければ 売れなくて肯定し
善をすれば 善を肯定し
悪逆の淵に沈めば 沈んで自己を肯定し
遂に自己を肯定して
始末がつかぬのが凡夫である
454
祖聖にあっては
信心とは如来の智慧を廻向せられることであった
寂静の楽より流れくる一道の光明は
千古の暗室たる衆生の胸中の疑惑の扉を開いて
その暗黒を照破するのである
一切群生は 自然の母のふところをはなれて
遠く六道の旅路にありつつも
なおその無明の遥かなる旅路にあることさえ知らぬものである
まことに無明は無明を知らず
煩悩は煩悩を知らず
迷いは迷いを知らぬものである
一切群生ははてしなき無明海を出現しつつも
しかも自らの運命について知らぬがゆえに
はてしなき流転をつづけるのである
458
生死に随順しつつ涅槃に超越する
超越するとは 反逆することではなく
随順とは妥協し囚われることでない限り
生死を超越するがゆえに 生死に随順するのであり
生死に随順するがゆえに 生死を超越するのである
しこうして涅槃は 生死動乱無常苦楽を超越せる絶対界である
この超越せる彼岸に飛躍するもののみ
生死界を生死界として知るのである
この慧眼なくして どうして生死の超越があろう
この超越の世界があってのみ
生死界の意味を発見して
生死に即せる涅槃を生きるのである
468
懺悔を語って懺悔せず
喜びを語って喜ばず
道を語って道をふまず
悪人を語って悪人ならず
自己を偽る者の灰色の流転
汝 何がゆえに素裸に直接せざる
471
本願の心は柔らかな心である
だが 弱い心ではない
凡夫の心は 堅くて弱いこころである
いかに強いようでも 圧制や反逆の心は真に強い心ではない
いかに弱く見えても
真の忍従や 合掌は 一番強い相である
仏心より流れ出る
智慧と慈悲の行者でなくては
忍従も合掌も
生きては来ないからである
498
信じながら信じた心に用事がなく
領解しながら領解心に用事がなく
歓喜しながら歓喜心に用事がなく
安心しながら安心心に用事がなく
称えながら称えた念仏に用事がなく
全く弥陀のみ心とわが心とがとけあって
後生の一大事に手がはなれたのが他力の安心である
505
正法に忠実なれ
汝 順境の日に正法に忠実なれ
順境五欲のほしいままなる日に
正法に忠実なるを忍という
汝 逆境の日に正法に忠実なれ
逆境悲愁の日に正法に忠実なるを忍という
正法の綱格に一体に生きずして 何の忍ぞ 何の精進ぞ
苦悩の中 正法に忠実なれ
必ず苦悩こそ汝をして不退金剛の人たらしむる尊き資糧たりしことを
必ず涙の中に感謝する日のあることを断言す
汝をして無意味に人生を徒食せしめ 汝を後悔の淵にあらしむるものは
「正法なき順境」と知れ
されど正法なき逆境は 汝を無明愚痴の迷路に殺す
死活の岐路は ただ 正法の有無にあり ゆえに 正法に忠実なれ
514
万人を集めることは易い
しかし真に一人を救うことは難い
観経は韋提希夫人一人が真に救われた経である
万人も救われなければ一人におとる
一人も真に救われれば尽十方無碍光の正覚をその身に体現するもの
一人即一切衆生である
万人をどうしようというのは野心であり名利心である
一人を真に救いきる
そこに浄土真宗がある
516
大聖釈尊に発したる
真実教一河の流れは
七高僧 聖人 上人
億々の念仏の浄華を咲かしめつつ
今 現に悪逆のわれを召したもう
召して悪逆の上に念仏を廻向し
善悪浄穢なき本願大悲によって
悪逆を転じて不退転の身とならしめたもうたではないか
521
頭を大地につけ合掌して
仏の教戒を受けとらしていただかねばならない
何も悲しむな 何もおそれるな
問題はただ内にある
邪見?慢 高き頭よりほかに恐るべきはない
頭は大地についてあるか
大悲の御心は頭が下がった者にだけ領解できる
533
すでに如来は浄土にいてしかも浄土にいたまわぬのであります
しかし如来は決して生死に迷いたまわぬのであります
生死にいてしかも生死にいたまわぬのは
如来は智慧の体得者にてましますからであります
如来や菩薩が 生死に住せぬのは智慧の力であります
如来の大慈悲は利他の心であります
光より暗に来って苦悩に随順するは大慈悲のみよくするのであります
誠に如来は涅槃におって涅槃におらず
生死におって生死にいたまわぬのであります
一切苦悩の衆生に随順したもうがゆえによく生死を越え
生死を解脱したまい
よく生死を解脱したもうがゆえに
よく生死を救いたもうのであります
543
説く心も仏の心であり
聞く心も仏の心であります
助ける仏があなたに宿善を成就し
求道心をおこさせ
やがて合掌して三宝に帰依せしめるのです
そのままが助ける仏の心そのままの廻向です
仏にむかって生きさせようとする仏の心以外に
仏にむかって生きようとする心はありません
信ずる心 念ずる心こそ
仏の心そのままのあらわれであります