<下巻>はじめに
山田 政治
住岡夜晃先生は明治二十八年(一八九五)二月一五日ご誕生になり、昭和二十四年(一九四九)一〇月一〇日五十四歳でお亡くなりになった。この一代五十四年間の興業は、光明団を創設して親鸞精神の自信教人信に生命を捧げられたことである。大正八年(一九一九)二十四歳のとき光明団を創設されて、この僧伽を根拠として大法の宣布に邁進されたのであった。戦後、私がいただいたお手紙に
「まだ体じゅうぶんならねども、忘れられぬ祖国の二字、起って正法を宣説聴聞すべし。祖国に報ずるの道、すなわち祖国復興の道、ゆめゆめ『念仏して己を充実し、日本国土の底に埋もるるを本懐とすべし』の覚悟を忘るべからず」
とある。御晩年は病躯をひっさげて巡講されていたのであった。
昭和六年七月、『真理への道』と題する本が公刊された。これは昭和三年から四年にかけて『光明』誌に連載された善導大師の『二河白道』の講話をまとめられたものである。その序文に
「善導と我らとはあまりにも長き時代の隔てをもち、その社会生活を異にする。現代の我らはあまりにも学ばねばならないものを強いられる。我らはすでに燦然たる文明の中に生まれ出で、科学文明の世界におかれた。科学の価値はこれを無視することはできない。科学は人間生活の迷妄を洗除し、正しい事実の関係を教える。しかし、科学は科学であって、人間生活の全部ではない。われらは科学を超え、哲学を超え、倫理を超えて、さらに我らの全的生活を本能的に決定しようとする。……現代の我らが善導の世界から何ものかをくむためには、あまりのも超えなければならぬ雑音を受けすぎる」
と述べられている。
夜晃先生は浄土の徳の廻向顕現ということばをよく使われたが、他力とは浄土の徳の廻向によって生かされることである。その生かされるところに浄土の徳が顕現するのである。お浄土は「科学を超え、哲学を超え、倫理を超え」た世界である。そうした世界の実在したまうことに眼が開かれるのが、浄土真宗の信心である。その信心の内的風光を表白されたのが真実の教えである。
(島根大学名誉教授、元九州国際大学学長)