仏 語 解 説

【ア行】
悪逆 あくぎゃく 十悪と五逆(尊い五つのものがらへの反逆)。十悪とは、殺生(せっしょう)邪淫(じゃいん)偸盗(ちゅうとう)悪口(あっく)両舌(りょうぜつ)妄語(もうご)綺語(きご)貪欲(とんよく)瞋恚(しんに)愚痴(ぐち)。
阿弥陀 あみだ 阿弥陀仏の略語。弥陀とも略す。梵語アミータの音訳。ミータは量るの義。アはその否定。アミータは無量の義。アミータブッダは「無量寿仏」の義。
安心 あんじん 他力の信。善導は、安心起行と対句にいう。起行は、読誦正行観察正行礼拝正行称名正行讃嘆供養正行の五種の正行とする。
易行 いぎょう 龍樹(古代インドの高僧、親鸞は浄土教の第一祖とする)は諸々の仏道の中、阿弥陀仏に帰する仏道を水路の船旅に喩え、陸路の難行に対し「易行」とした。
一期一会 いちごいちえ 一生におけるただ一度の出会い。
一実真如 いちじつしんにょ 一実とは絶対の真実の義。真如とは真実如常をいい、形や相を越えたありのままな究極のあり方、法性。一実真如は、阿弥陀仏の功徳を現すことば。
一念 いちねん きわめて短い時間、一刹那。親鸞は、一念を「これ信楽開発(しんぎょうかいほつ)の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰わす」とする。如来の大慈悲は時を超えたはたらきであるけれども、一刹那として具現して行者の上に信を成就したまう。その信は悠久の時においては極めて短い時の具現であるけれども、同時に広大にして思い及ばざる如来心のひそかな彰れであるとの意。
因果業報 いんがごうほう どのようなことをしたかによって、それに応じた結果が現れてくる。(「業」参照)
因縁 いんねん 因縁業果報を略して因縁という。
廻向 えこう 回転趣向の義と廻思向道の義がある。自己の善行によって得られる功徳を他に廻らし向けること。また自力の廻向と他力の廻向があり真宗で語る廻向は専ら他力廻向である。(「如来廻向」参照)
依正不二 えしょうふに 正しく過去の報いとして得た身を正報(しょうほう)といい、その身が依りどころとする環境を依報(えほう)という。正報と依報は異なる意味を持つが、互いに深く関わるため不二という。
往生極楽 おうじょうごくらく 往生極楽は往生浄土に同じ意味で、浄土に往き生まれること。(「浄土」参照)
横超 おうちょう 横は本願他力、超はすみやかに迷いを離れるの義。四暴流(しぼる)を超断するの義。欲暴流(よくぼる。欲界の惑)、有暴流(うぼる。色界、無色界の惑)、見暴流(けんぼる。見惑)、無明暴流(むみょうぼる。仏智疑惑)を四暴流という。
憶念 おくねん 憶は憶持、念は明記不忘で、心にたもって、常に明らかに覚えて忘れないこと。即ち、信心相続の相を表す語。
怨親平等 おんしんびょうどう 怨みに思う人も親しき人も、仏の心より見れば平等なものであること。
恩徳 おんどく 恩とは受けた恵みをいい、恩徳は恵みの功徳をいう。
【カ行】
餓鬼道 がきどう 六道の一つ。六道とは、地獄餓鬼畜生修羅人間天上の六つの世界。餓鬼は梵語プレータの訳。むさぼりの心による行為のむくいとして受ける境遇。(「輪廻」、「業」参照)
火宅 かたく 人の世を火事に燃える家に喩えて、火宅という。
願往生 がんおうじょう 浄土に往生することへの願い。
歓喜 かんぎ 信心をえた者の深いよろこび。
観経 かんぎょう 『観無量寿経』の呼称。『大無量寿経』と『阿弥陀経』とを併せて浄土三部経という。
願作仏心 がんさぶっしん 仏になりたいと願う自利の願心で、菩提心の内容。
帰命 きみょう 梵語ナマス(南無)の訳。阿弥陀仏に帰依すること。本願の真意に信順すること。
獲得 ぎゃくとく 信を得ること。因位の時にうるを獲、果位の時にうるを得という。
教行信証 きょうぎょうしんしょう 親鸞の主著『顕浄土真実教行証文類』。(「親鸞」参照)
教主善知識 きょうしゅぜんぢしき 師主善知識(ししゅぜんぢしき。仏道の師)、同行善知識(どうぎょうぜんぢしき。仏道の友)、外護善知識(げごぜんぢしき。間接的な仏道の守護者)が説かれるが、教主という場合は釈迦を指す。
敬信 きょうしん 敬い信ずるの義。(「信」参照)
行信 ぎょうしん 阿弥陀仏のはたらきを「行」、それによって開かれる深い心を「信」という。
弘誓 ぐぜい 弘く一切の衆生を救わんとの誓い。『大無量寿経』に説かれる法蔵菩薩の四十八願。一々の願に「若し生まれずば正覚を取らず」との誓いの語があるため弘誓の願という。
九品 くぼん 『観無量寿経』に説かれる九種の人々。衆生の機類について、先ず上中下の三に大分し、さらにその各々を上中下の三種に細分して九種とする。随の僧浄影寺の慧遠(えおん)は、大きく大乗善の菩薩、小乗善の菩薩、世間善の聖者、遇悪の凡夫の能力差と解釈したのに対し、唐の僧善導はいずれも出逢った縁の相違から生じた違いとし、すべて凡夫と釈す。
群生 ぐんじょう 生きとし生けるもの。。一切衆生。(「衆生」参照)
希有華 けうげ 『観無量寿経』の結びに、無量寿仏の名を口に称する人を、釈迦は「人中の分陀利華」と呼びたもうた。念仏の行者を希有華、たぐいまれな華という。
希有最勝人 けうさいしょうにん 『観無量寿経』の結びに、無量寿仏の名を口に称する人を、釈迦は「人中の分陀利華」と呼びたもうた。分陀利華は梵語の音訳。訳は蓮華。煩悩の泥土に咲く花。これから、信心念仏の人を仏道におけるたぐいまれな最も勝れた人という。最勝人とは無碍人と同義。(「無碍人」参照)
希有人 けうにん 希有最勝人に同じ。
下下の凡夫 げげのぼんぶ 九品の中、最下の人。経では、下品下生(げぼんげしょう)段に「五逆十悪、かくの如き愚人」と言う。
懈慢 けまん 懈怠(仏道行脚のおこたり)と?慢(おごり)。
御一代聞書 ごいちだいききがき 『御一代記聞書』。蓮如の言行録。後の人の複数の日記を集めた。(「蓮如」参照)
ごう 梵語カルマの訳。行為。また行為が未来に苦楽の結果を導くはたらき。(「三業」参照)
広大勝解者 こうだいしょうげしゃ 広大な法に対し優れた領解を持つ者。
後生 ごしょう 後に来るべき生涯のこと。生きていることの奥にある真実の生。
御正忌 ごしょうき 親鸞の亡くなられた日。旧暦十一月二十八日。新暦の一月十六日に当たる。
後生の一大事 ごしょうのいちだいじ 今生の終焉すなわち死を真正面に見据えて、生の意義を問う根源的問い。
金剛大寂静 こんごうだいじゃくじょう 何ものによっても破壊されないさとりの静かな境地。
【サ行】
罪悪業報 ざいあくごうほう 罪と悪の行いの報い。罪とは道理にそむき禁断をおかすこと。苦の報いをまねく一切の行為。悪とは十悪をいい、道理にそむき、自他をそこない、現在と未来に苦の果をまねく因となるもの。罪悪業報とは、罪悪の業が現在と未来に必ず報いをまねくこと。
三界 さんがい 迷いの衆生が流転する三つの世界。欲界(欲の盛んな世界)、色界(欲界は越えているが色や形の善美に執着する世界)、無色界(色界は越えているが精神に執着する世界)。
懺悔 さんげ 懺は、梵語クシャマの音訳。龍樹は懺悔章で「みほとけの知ろしめす所尽くさざるなし。みほとけのみ前に、もろもろの黒悪を発露したてまつる」とうたった。
三業 さんごう 身業(しんごう)口業(くごう)意業(いごう)。身口意の行為と未来に果を結ぶはたらき。(「業」参照)
三時殿 さんじでん 釈尊のシッダルタ太子時代の宮殿。暑季雨季寒季の三時の館があったと伝えられる。父王はこの館を建てて太子の苦悩を和らげようとしたという。
三世 さんぜ 過去と現在と未来のそれぞれの世。
三毒煩悩 さんどくぼんのう 身を煩(わずら)わし、心を悩ますものの中で三つの根本的なもの。貪欲(とんよく。自分の心にかなうものに愛着しむさぼり求める心)、瞋恚(しんに。憎しみ怒ること)、愚痴(ぐち。愚かで分別がないこと)の根本煩悩を毒に喩(たと)える。
三宝 さんぽう 仏と仏の法とそれを伝える僧は、人のいのちの宝の故に三宝という。
自然、自然法爾 じねん、じねんほうに 自はおのずから、然はしからしむ。法爾は法の徳のしからしむをいう。自力のはからいをすてて、如来の法則に順ずる他力の奥義。
寂静無為の楽 じゃくじょうむいのみやこ 寂静とは煩悩にわずらわされない静かさ。無為とは、有為に対する語で、さまざまな原因や条件によって生成されたものでない世界。煩悩に煩わされない静かな心真実である涅槃の世界。(「涅槃」参照)
釈尊 しゃくそん 釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)。釈迦は梵語シャーカの音写で、種族の名。牟尼は梵語ムニの音写で、智者の意。仏教の開祖。ヒマラヤ山脈の麓のカビラ城のスッドダーナ王を父に、マヤ夫人を母に生まれた。生年には紀元前四六三年、前五六〇年、前六二四年の諸説がある。出家の前の名をシッダルタ太子という。二九歳(一説一九歳)のとき出家。苦行六年の後、ガヤの菩提樹の下に坐し、さとりを開いて仏陀となった。五人の比丘の求めで初めて法を説く。これを初転法輪という。以後、八十歳の入滅まで北インドの各地を巡化した。
邪見 じゃけん 因果の道理を無視する見方。五つの間違った考え(見惑)の一つ。
宿業 しゅくごう 宿は過去の義。業は行為。遠い昔から繰り返されてきた行為の義だが、転じて繰り返された行為によって蓄積された内因(行為の可能性)を指し、晩年の親鸞においては念仏者の深甚の自覚を言う。
宿善 しゅくぜん 遠い昔から繰り返された行為によって深層意識(アラヤ識)に蓄えられた善根(漏れることのない種子)。(「宿業」参照)
衆生 しゅじょう 梵語サットバの訳。衆多の生。生きとし生けるもの。
出世の本懐 しゅっせのほんかい 仏が世に出現なさった本来の願い。
正覚華 しょうがくけ 正覚とは仏の真実のさとり。『観無量寿経』の結びには、無量寿仏の名を称する者を分陀利華と讃える。これを承けて念仏者を如来の正覚華という。
招喚 しょうかん 善導の二河白道の喩えに現される如来の呼び声。(「白道」参照)
荘厳 しょうごん 身や国土をおごそかにかざること。仏は、自らの功徳をもって自らの身と国土をかざりたもう。
生死、生死海、生死流転 しょうじ 生老病死を生死という。一生を生死の苦海に喩え、生死海という。また、一生はその海を虚しく流転する故に生死流転という。この釈迦の第一義諦(ぎたい)の認識を喩えて、生死の巌頭に立つという。
生死の一大事 しょうじのいちだいじ 一生において最も大事なこと。人は死に臨む時、大概は大事でなくなる。
正定聚 しょうじょうじゅ 往生が正しく定まり必ずさとりをひらくことができるともがら。真実信心を獲得した仲間。『大無量寿経』の第十一願成就文には正定之聚とある。
清浄心、清浄願心 しょうじょうしん、しょうじょうがんしん 清浄な願心。衆生を救わんと願う仏の心をいい、またその仏心が衆生に徹到して、浄土に往生せんと願う衆生の心をもいう。
精進 しょうじん 梵語ビリャの訳。勤行とも訳す。ひたむきに善をつとめ励む心のはたらき。親鸞の左訓に「もはらすすむ」とある。善導は、大きく分けて安心(あんじん)訓と起行(きぎょう)訓を著したが、起行訓に精進を重んじ、「人生れて精進せずは、喩へば樹に根無きがごとし」(往生礼賛)という。
浄土 じょうど 清浄な国土。仏のさとりによってかたちづくられた国土。阿弥陀仏の国土を、安養浄土、西方極楽という。親鸞は、阿弥陀仏の本願に酬報した国土であるから報土という。西方は、夕日の沈む彼方を表す。
聖道門・浄土門 しょうどうもん・じょうどもん 門とは、人をしてさとりに趣かせる入り口の意。この世で聖者の位に入り仏果を得るのを聖道門といい、弥陀の浄土に往生して涅槃をさとるのを浄土門という。道綽は、釈迦の教法をこの二門にわけた。
聖人 しょうにん 親鸞の尊称。(「親鸞」参照)
正法 しょうほう 仏法。縁起の理を説く法。
自力自力心 じりきじりきしん 自力のはからい。親鸞の定義では、「身をよしと思うこころ」(善人意識)、「身を頼むこころ」(自己過信)、「身を賢(さか)しく顧みるこころ」(自己卑下)、「ひとを善し悪しと思うこころ」(他人の上げ下げ)を言う。
自利利他 じりりた 自らさとる歩みを自利、他をさとらせるはたらきを利他という。また、六度の行の中、布施(ふせ)を利他の行とし、持戒(じかい)忍辱(にんにく)精進(しょうじん)禅定(ぜんじょう)智慧(ちえ)を自利の行とする。
信、信心 しん、しんじん 第十八願の如来心に出遇った人に開かれる甚深の心。仰ぎ見る世界を持つ心と、それによって身を照らされる心。二種深心(にしゅじんしん)。他力の安心。
信楽 しんぎょう 『大無量寿経』の四十八願の中、第十八願の如来の大悲心をいう。疑を除き証を獲しむる真理。また如来大悲を信じて疑無き心、真実信心。
真宗 しんしゅう 浄土真宗。真実の宗教。
信心 しんじん 第十八願の如来心に出遇った人に開かれる甚深の心。二種深信。他力の安心。
真の仏弟子 しんのぶつでし 親鸞は、主著「教行信証」の信の巻に真仮偽の三種の仏弟子を説き、自らを偽の仏弟子と懺悔なさっている。
親鸞 しんらん 一一七三に生まれ、一二六二に没。愚禿と名のる。浄土真宗の開祖。主著に『顕浄土真実教行証文類』(教行信証)。弟子唯円の著『歎異抄』に晩年の言説が伝えられる。
水火二河 すいかにが 善導の二河白道の喩えに現れる。(「白道」参照)
世尊 せそん 釈迦。世の最勝尊。(「釈迦」参照)
摂取不捨 せっしゅふしゃ 『観無量寿経』に「光明遍く十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」とある。衆生の闇を照らし一切をおさめとる阿弥陀仏の大悲のはたらきをいう。
絶対人格 ぜったいじんかく 仏陀のこと。自覚と覚他との二つの覚行が完成した人格。
善根 ぜんごん 根となってもろもろの善を生ずるものの義。貪欲瞋恚愚痴を三毒といい、無貪無瞋無痴を三善根という。
闡提 せんだい 梵語イッチャンティカの音訳、一闡提。断善根とも信不具足とも訳す。
栴檀樹 せんだんじゅ 香木の名。口称念仏の功徳を香木のはたらきに喩える。
善知識 ぜんぢしき 師主善知識(ししゅぜんぢしき。仏道の師)、同行善知識(どうぎょうぜんぢしき。仏道の友)、外護善知識(げごぜんぢしき。間接的な仏道の守護者)が説かれる。とくに仏道の師をいう。
祖聖 そせい 浄土真宗における親鸞の尊称。
触光柔軟 そっこうにゅうなん 『大無量寿経』の四十八の願の中の第三十三願は触光柔軟の願と呼ばれる。阿弥陀仏の光明に照らされて身心が柔軟になることが誓われている。
【タ行】
大円鏡智 だいえんきょうち 人間の迷いの心が転じられた仏の智慧。一切を映ずる大きな円鏡のごとしと讃える。
大経 だいきょう 『大無量寿経』の呼称。
大行 だいぎょう 阿弥陀仏の名号。また名号を口称すること。(「名号」参照)
大慈悲 だいじひ 大きな慈悲。一切の衆生の苦しみを救おうとする仏の慈悲。無縁の慈悲。
大寂定 だいじゃくじょう 大涅槃の境地である静かな禅定をいう。『大無量寿経』を説かれる釈尊の境地を大寂定という(如来会)。
大乗 だいじょう 梵語マハーヤーナの訳。教法は衆生をさとりに向かわせる乗物であるから乗という。釈迦の言動に拘泥し、その真意を問わないために自己中心の救いに留まるものを小乗(ヒナヤーナ)という。釈迦の説法の真意を深く尋ねつつ時代にダイナミックに関わる自利利他の菩薩道を、大きな乗物に喩えて大乗という。(「二乗」参照)
大乗善根界 だいじょうぜんこんかい 阿弥陀仏の善根力で大乗の世界。安養浄土。
大乗菩薩道 だいじょうぼさつどう 菩薩は、梵語ボディサットバの音訳。自ら仏果を求め、他の衆生を教化する者の意。古代インドに貿易商人が仏舎利塔を中心にして求道集団を形成し、菩薩団(ボディサットバ・ガーナ)と称したと伝えられる。ここに大乗仏教の興起を見る人もある。釈迦の説法の真意を深く尋ねつつ時代にダイナミックに関わる自利・利他の菩薩道。大乗の仏道の別称。ここでは、以上のような素朴な意味で用いられており、仏道五十二位の最高位である十地の菩薩の意味ではない。
大信、大信海 だいしん、だいしんかい 阿弥陀仏の願力を信ずるこころ。如来より賜る心であるため大信といい、穢悪(えあく)を功徳に転じ宿さない故に海に喩えて大信海という。
大悲 だいひ 大慈悲。大いなる慈悲。一切の衆生の苦しみを救おうとする仏の慈悲。
大法 だいほう 大いなる法。『大無量寿経』に説かれる教法。
大無量寿経 だいむりょうじゅきょう 親鸞は、この経に説かれる教えを真実の教とし、その大意を「弥陀、誓いを超発して広く法蔵を開きて、凡小を哀れんで選んで功徳の宝を施すことを致す。釈迦、世に出興して道教を光闡し、群萌をすくい、恵むに真実の利をもってせんとおぼす」となさる。『観無量寿経』と『阿弥陀経』とを併せて浄土三部経という。
他力 たりき 本願力。(本願、参照)阿弥陀仏の自力心砕破のはたらき。(「本願」、「自力心」参照)
智慧光 ちえこう 心のはたらきを慧(梵語プラジュナ)という。慧には推測する見、認定する忍、断定する智がある。また、事象や道理を見分ける精神作用を智慧という。如来の智慧のはたらきを光に喩えて智慧光という。
畜生道 ちくしょうどう 六道の一つ。(「輪廻」参照)
勅命 ちょくめい 絶対なるものの相対有限なるものへの命令。善導は浄土往生の道を「二河白道」に喩えたが、この喩えの中に阿弥陀仏は行者に向かい「汝、一心正念にして直ちに来たれ」と呼びたまう。この言を、親鸞は「招喚の勅命」と言った。(「白道」参照)
同行善知識 どうぎょうぜんちしき 仏道の友。(「善知識」参照)
燈炬 とうこ ともしび。大きなともしび、弥陀の御誓をともし火に喩えていう。
度衆生心 どしゅじょうしん 一切の衆生を済度したいという利他の願心をいう。菩提心の一面を表した語。(「願作仏心」参照)
貪瞋二河 とんじんにが 二河白道の喩えの水火二河。貪欲を水の河に、瞋恚を火の河に喩える。(「白道」参照)
貪欲 とんよく 自分の心にかなう対象に愛着し、むさぼり求める心。
【ナ行】
南無阿弥陀仏 なむあみだぶつ 梵語ナーモアミータブッダの音訳。親鸞は、天親の『浄土論』に説かれる「帰命尽十方無碍光如来」をも用いた。
二乗 にじょう 声聞乗と縁覚乗をいう。声聞は、師の教えを直接聞いてさとる人。縁覚は、理法を体得して自らさとる人。共に自利(自らのさとり)に止まり、利他(他へのはたらきかけ)に欠ける。(「大乗」、「自利利他」参照)
柔軟心 にゅうなんしん すなおに真理に順うやわらかな心。本願第三十三願に、心身柔軟の成就が誓われる。
如来 にょらい 梵語タターガターの訳。仏の別称。真如法性より、衆生を大悲して来生し教え導くの義。
如来廻向 にょらいえこう 法然は不廻向といい、明恵(みょうえ)はこれを仏説に非ずと批判した。親鸞は、法然の不廻向の義は如来廻向の義と『教行信証』を著して証した。他力の信は、如来本願の功徳の廻向によって成就するの意。(「廻向」参照)
涅槃 ねはん 梵語ニルバーナの音訳。滅度、寂滅の義。大般涅槃(だいはつねはん)、大涅槃とは、煩悩の火が吹き消され、さとりの智慧の成就した境地から、さらに衆生利益のはたらきを展開する。無上涅槃。
念仏 ねんぶつ 南無阿弥陀仏の六字の名号を口に称えること。称名念仏。(「名号」参照)
念仏者 ねんぶつしゃ 他力の信をえて、浄土往生の念仏道を歩む人。
念仏の浄華 ねんぶつのじょうけ 正覚華(しょうがくけ)に同じ。
【ハ行】
彼岸 ひがん さとりの世界。涅槃の別称。到彼岸は、梵語パーラミータの訳。
非行非善 ひぎょうひぜん 称名念仏は自力作善の行に非ず、自力作善の善根にも非ずということ。衆生のはからいを自力作善という。「念仏は行者のために非行非善なり。ひとえに他力にして自力をはなれたるゆえに行者のために非行非善なり」(歎異抄)
白道 びゃくどう 善導は、その著『観経疏散善義』において、正しい信心を伝える(信心守護の)ために二河白道の喩えを説いた。行者の清浄な願心は、渦巻く貪欲(水の河)と逆巻く瞋恚(火の河)のただ中を貫く白道に喩えられる。白道を歩む行者は、二河に身を滅ぼすことを畏れて、進むも死帰るも死止まるも死(三定死)の恐怖をくぐり抜けて、釈迦の発遣の声「仁者、ただ決定して此の道を尋ね行け。必ず死の難無し」を聞き、阿弥陀仏の招喚「汝、一心正念にして直ちに来たれ。我よく汝を守らん」を聞き、白道を前進する。この聞を信という。
不退転 ふたいてん 梵語アヴィヴァルチカ。音訳は阿毘跋致(あびばっち)。仏道の行者が、悪趣や二乗に退堕することがないこと。
仏凡一体 ぶつぼんいったい 仏心と凡心とが一体になること。
法蔵因位の本誓 ほうぞういんいのほんぜい 法蔵菩薩の四十八願
法蔵菩薩 ほうぞうぼさつ ある国王が国と王位をすてて沙門となり、法蔵比丘と号して、世自在王仏のもとで浄土の因を見そなわし、永い思惟の後、一切衆生の救いのため四十八願を立て、その成就を誓いたもうた。そして、永劫のご修行の結果、阿弥陀仏となり、現に浄土に在すと、『大無量寿経』に説かれる。
法然 ほうねん 源空の房号。一一三三に生まれ、一二一二に没。親鸞の師。著書に『選択本願念仏集』。
謗法 ぼうほう 誹謗正法の略語。正しい教法をそしること、またはそしる者。
菩薩 ぼさつ 梵語ボディサットバの音訳。自ら仏果を求め、他の衆生を教化する者。元来は大乗の仏道の求道者の意味であるが、親鸞は七高僧の中の龍樹と天親にのみこの尊称を捧げた。
法界 ほっかい 梵語ダルマダーツの訳。すべての存在の真実の本性、根源。あるがままの真如の世界。(「一実真如」参照)
本願 ほんがん 『大無量寿経』に説く法蔵菩薩の四十八願。または、その中の第十八願。
本願の正機 ほんがんのしょうき 本願の救済の対象となる根機。
本願力 ほんがんりき 本願のはたらき。
煩悩 ぼんのう 煩憂悩乱の意。心身をわずらわし、悩ます精神作用。貪欲(とんよく)瞋恚(しんに)愚痴(ぐち)の根本煩悩と、その他の枝末煩悩が説かれる。
凡夫 ぼんぶ 梵語プリタンヤナの訳。ただの人、つねなみの人の義。聖者に対していう。煩悩具足の凡夫とも、煩悩成就の凡夫ともいい、仏の衆生を見そなわす眼差し。
【マ行】
弥陀 みだ 阿弥陀仏の別称。
名号 みょうごう 仏の尊号、嘉号。南無阿弥陀仏とは、阿弥陀仏に南無(帰命)せよとの仏の名のりであるから、名号と言われる。
名利 みょうり 名聞(よく思われたい)と利養(損をしたくない)の世間心。
無碍の一道 むげのいちどう 『歎異抄』第七章に「念仏者は無碍の一道なり」との親鸞のことばが伝えられる。人生を仏道として生きるとき、罪障がさわりとならない。親鸞は和讃に「罪障功徳の体となる こおりとみずのごとくにて こおりおおきにみずおおし」とうたう。
無上正真の一道 むじょうしょうしん このうえない最高のさとりに至る道。仏のさとりを無上正真と讃える。その成就のたった一つの道。
無上菩提 むじょうぼだい この上ない仏のさとり。
無明 むみょう 真理にくらい世界。愚痴のすがた。四暴流(しぼる)の一。(「横超」参照)
滅度 めつど 涅槃。煩悩を滅却して生死をわたりきったさとりの世界。
【ヤ行】
唯我独尊 ゆいがどくそん 天上天下唯我独尊のこと。「釈尊伝」に、シッダルタ太子はご誕生になって直ぐ七歩歩まれて、右手で天を指し左手で地を指し「天上天下唯我独尊」とのべられたという。一切のいのちの尊厳の成就を出世の本懐としたまうとの意味である。
【ラ行】
霊鷲山上の会座 りょうじゅせんじょうのえざ 霊鷲山とは釈尊が最も多く居住され、説法された所。そこで説法された会座のこと。『大無量寿経』はここで説かれ、『観無量寿経』はこの地より王舎城に現れて説かれた教を伝える。
輪廻 りんね 車の輪が廻るように、迷いを繰り返すこと。地獄餓鬼畜生修羅人間天上の六つの世界(道)をめぐること。バラモン教では六道を魂が転生するとし、これを六道輪廻と言った。釈尊は、そのような実体論そのものを無明とし、「業」の六道輪廻を教えた。
蓮華蔵界 れんげぞうせかい 阿弥陀仏の浄土の別の名。蓮華は泥土に咲く。念仏者は、煩悩の泥土に咲く華に喩えて白蓮華と讃えられる。阿弥陀仏の浄土の功徳は、泥土のごとき一切世間にはたらいて次々と白蓮華を生む。浄土は、そのような功徳を蔵する国土であるが故に、『浄土論』に蓮華蔵世界という。
蓮如 れんにょ 本願寺第八世。一四一五に生まれ、一四九九に没。親鸞覚如等の教えを継承し、直截明快な教えで伝道に当たり、今日の本願寺教団の礎を成した。著書に、『御文(御文章)』、『正信偈大意』。行実の伝記に『御一代記聞書』。
六字 ろくじ 南無阿弥陀仏のこと。
六道 ろくどう 地獄餓鬼畜生修羅人間天上の六道。バラモン教では六道を魂が転生するとし、これを六道輪廻と言った。釈尊は、そのような実体論そのものを無明とし、「業」の六道輪廻を教えた。(上巻仏語解説の「業」、「輪廻」参照)

(参考文献)一、岩波書店『仏教辞典』  二、法蔵館『真宗新辞典』