『仏の教えに出あうということ』 寺岡一途
ドングリの旅(朝の法話)


 おはようございます。昨日までの天気がうそのように今日は本当にいい天気になりました。みんなの生き生きした姿を見ていると、そのまま今日の空を見ているような気がします。今回の錬成会のテーマは「100%生き生きっ!」です。そのテーマについて昨日まで先生方がいろいろ話してくださいましたが、わたしもそれについてお話します。
 仏様があるときお弟子たちと森の中を歩いていて、一個のドングリを拾い、手にとってなつかしそうに語られました。
 あるとき一個のドングリが地面に落ちました。落ちた所はかたい岩の上でした。ドングリはその岩の上をあっちへコロリ、こつちへコロリところげ回っていました。ドングリはころがるだけで楽しかったのです。ドングリにはなんの悩みもありませんでした。
 ところがある日、もう一個のドングリが落ちてきました。するともう思うままにころがってゆくことができなくなりました。気をつけないと、もうひとつのドングリとゴツンとぶつかるからです。けんかにもなりました。でも、何回かそういうことがあった後、仲直りし、一緒に遊ぶようになりました。それから、その岩の上でお互いにコロンコロンと仲良くころげ回っていました。
 でも、それからも、ドングリがつぎつぎと落ちてきてますます自由にコロンコロンところがることが出来なくなり、けんかをすることも多くなりました。それにつれ、ドングリはだんだんと元気がなくなりました。
 いろいろなドングリに出あうようになって、大きなドングリを見ては「あのドングリはどうしてあんなに大きいのだろう、自分はこんなにちっちゃいのに」と落ちこみました。でも小さなドングリを見ると「あのドングリよりも自分は少し大きいぞ」と気をとりなおしました。
 高い岩の上に目をやると岩の上にのっかっているドングリが目にとまりました。「いいなぁ、あんなに高いところにあがれたら他のドングリとぶつからず、遠くまで見れるのになぁ」。どんぐりははいあがろうと努力しましたがそのたびにころがり落ちました。
 ある日、いつものように岩の上をコロンコロンしていると腐りかけたドングリに出会いました。「あのドングリはどうしたのですか」と仲間のドングリにたずねると、仲間のドングリは「ドングリは、やがて、みんなあんなふうに腐って死んでしまうんだ、今まで腐らなかったドングリはないんだ」と答えました。だれに聞いても同じ答えでした。ドングリは自分もやがてそうなると思うと悲しくなって、落ち込んでゆきました。
 あるときこのドングリがいつものように岩の上を転がっていると岩から飛び出て、コロコロと転がってやわらかい土の上に出ました。ドングリは土にふれたとき、今まで感じたことがないようなやすらかな気分になりました。それで、しばらく土の上に横になって休んでいました。土はドングリを温かく包んでくれました。
 そこに雨が静かに降ってきました。ドングリの殻の中に、水が少しずつ染み込んできました。次の日は雨も上がり太陽の光がいっぱいふりそそぎました。あたたかい光はからだの奥ふかくまでとどきました。ドングリは大地と水と光を得てその中でゆっくりと休らいました。
 ある日、ドングリの厚い殻が破れて小さな芽が出ました。そのとき、ドングリは初めて自分と離れない大きな世界があることに気づきました。石の上をコロンコロン、コロンコロンしているときはそれだけが自分の世界だと思っていたのです。ところが殻から出てみると、そこには高さと深さのある大きな世界があったのです。
 ドングリはうれしくてうれしくてたまりませんでした。見上げるとそこには太陽が明るく輝き、さわやかな風が吹きわたり、仲間たちが青い葉をしげらせて空高くのびていました。木の梢からはきれいな鳥の歌声が聞こえてきます。ドングリは根を大地に深くおろしながら、光へ向かって一心に伸びてゆきました。
 いいことばかりではありませんでした。伸びていこうとすると、草がおおいかぶさってきました。でも、ドングリはあわてませんでした。自分が伸びてゆく方向がわかっていたからです。だから、草たちと争うことをせず、横にのび、また光の方向にのびてゆきました。強い風が吹き、伸ばした枝を折られることもありました。虫たちに葉を食べられることもありました。でも、ドングリの木は愚痴をいいませんでした。ただひたすら光の方向へ伸びてゆきました。ドングリは同時に大地に深く根を下ろしてゆきました。地下に根を下ろせば下ろすほどドングリの木は高く高く大空に伸びて行ったのです。
 そして大きな木になったとき、下を見ると小さなドングリが、あっちへコロリ、こっちへコロリと転がり、ぶつかりあってケンカしている姿が見えました。ドングリはその姿を見て「ああ、自分も昔はあんなふうに岩の上をコロリコロリと転がっていた、あのドングリたちはこの高さと深さのある広やかな世界を知らない。なんとかしてこの世界のことを知らせてあげたい」と思ったのです。
 お釈迦様はこういうお話をされた後、遠くを見つめながら「このドングリは、わたしの昔の姿なのだよ」と静かに語られました。
 最後にもう少し時間があるので二人の仏様ということを言っておきましょう。仏様に二人あるのです。まずひとりはお釈迦さま。お釈迦様は「君たちよ、大きな世界があるのだ、どうか小さな自己中心の殻から出て高さと深さのある広い世界に生まれなさい」と教え、勧めてくださる方です。
 もうひとりの仏様は阿弥陀様といいます。この阿弥陀様は「どうかわたしの名前をとなえてくれ、もしわたしの名前をとなえるドングリがあるなら、そのドングリがどんなドングリでも、わたしの力で、その殻から出し、広やかなわたしの世界へ生まれさせる」と願いをかけられておられる仏様です。そういう願いを持ち、そういうはたらきをされる仏様です。
 「どうかわたしの名前を呼んでくれ。もし、わたしの名前を呼んでくれたら、あなたを必ず私の世界に生まれさせてあげます」、それが阿弥陀様の誓いです。阿弥陀様の世界を浄土といいます。この会に来るとこの二つの勧め、「どうか殻から出てくれよ」というお釈迦様の勧めと、殻から出す阿弥陀様のはたらきに出あうのです。もし殻から出たら、そこに大きな世界が広がっているのです。

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