十八、他力の悲願

『歎異抄講読(第九章について)』細川巌師述 より

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「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」。他力とは如来の本願の働きである。悲願は悲しみの願。慈悲喜捨の四無量心の中で、悲だけをあげてある。そこに如来の切なる願いがある。如来の本願を最も明らかにしようとすれば、悲願というのが一番適切な表現である。

(1)『教行信証』にあらわれる大悲の願

聖人は四十八願のうちで三つだけを大悲の願と述べられている。第十二願、十三願、十七願の三つをいわれている。

その理由を述べておこう。十二願は光明無量の願といい、十三願を寿命無量の願という。「光明寿命の誓願を大悲の本としたまえり」と和讃にある。光明無量をアミタユースといい、寿命無量をアミターバーという。この両方をもって阿弥陀という。阿弥陀となろうというのを光明無量寿命無量の願という。

如なる世界は無相、無為である。即ち「心も及ばず言葉も絶えたり」という如なる世界が、小さな小さな私を大きく包んでいる。その接触面においてこの如なるものが、私にかかわり合いを持つ姿を如来というのである。絶対なるものが相対なるものを包んで、そこに働きかけをする。これを絶対なるものの自己表現という。

絶対と相対はただ単に並んであるのではない。並んでいるのならばその絶対も相対にしかすぎない。絶対の中に相対ははらまれ、絶対は相対を包み、必ず働きかけているのである。そこに如は具体化してくる。その姿を如来という。

なぜ具体化するかというと、願いを持つからである。願いとは絶対が相対になろうとする。そして相対を絶対ならしめようと願う。自己を届けようとする願い、働きをもつ。今ここに親と子がいる。母は子に乳を与え、大きくしようという願いを持つ。それが母の願いであり、母の願いは具体的には、母のすべてが乳となって子に届くのである。

私の保育園でこの頃やっと母親の会を持つことができるようになった。三十才前後の母達を対象に月一回私が話をする。題名は「幼児教育について」というのがいい。これなら目を輝かして聞いてくれる。「仏教について」というと目をしょぼしょぼさせる。私は仏教が話したいのだが子供の教育を中心に話す。この頃は参加者も大分多くなった。わが子の教育という事になれば母親は一生懸命である。

親は必ず子を抱いている。如は如来となって自分を届けようとする。それが如来本願である。絶対が相対になろうとする。これを廻向という。光明無量となって光明を届けたい。寿命無量を届けたい。阿弥陀となろう、阿弥陀になそう。これを南無阿弥陀仏という。これが十二願、十三願である。まず自らが阿弥陀仏となろうという願である。何のために光明無量、寿命無量となるのかといえば、如なるものが遂に私の中に生きて南無阿弥陀仏となろうとする。これを大悲の願という。だから大慈悲が届くというのは、南無阿弥陀仏になることである。私に念仏が、南無阿弥陀仏が生まれるところに大慈悲の成就がある。如より来って如来となって私に届こうとする。衆生私を光明無量、寿明無量、即ち阿弥陀とならしめようとする。これを大悲廻向という。これが大悲の願の根本である。何もできないで一人ぼっちで残された私に対して、南無阿弥陀仏になって如を届けようとするところに他力の悲願がある。これを十二願、十三願という。

それを具体的に届けるのを十七願という。諸仏咨嗟の願という。咨は痛み、嗟は悲しみ。南無阿弥陀仏はストレートに私に届くのでなしに、十方無量の諸仏の咨嗟讃嘆となって届く。十方諸仏とは具体的にはよき師よき友。よき師よき友の痛み悲しみとなって南無阿弥陀仏を届けようとするのである。私に届けんがための施設、おはからいが十七願であり、届けられるもの自体は十二願十三願である。よき師よき友がよってたかって痛み悲しみ、勧め励まして私に届けて下さるのである。南無阿弥陀仏はこのようなていたらくの私のためである。これが「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」である。よき師よき友が私を痛み悲しんで下さって、南無阿弥陀仏を届けて下さったのは、このようなていたらくの私のためである。

物事は内容を砕いてみるとよくわかるということがある。大悲を砕いてみると二つある。一つは南無阿弥陀仏となって下さったということ、も一つは私のために諸仏大悲して南無阿弥陀仏を賜うたのであるということである。

私はかって申したように大学二年の時にはじめて仏法を聞いた。当時は化学科で、そもそも仏教などというものは考えたこともなかった。しかしながら先生にお遇いする機会に出会って、先生は私に南無阿弥陀仏を伝えようとされたのである。私は南無阿弥陀仏などは夢にも考えたことがなかったが、私の相を見て悲しみ痛み、そして願って下さったのであって、どうしてもこの南無阿弥陀仏がなければ救われないことを見通されたのである。実にその通り其の他のものではどうしようもなかった。私は本当に理想主義のかたまりであった。しかし理想主義でかくあれ、こうすべきだということは、本当は私には不可能であった。私はもう駄目だと投げるしかなかった。が、「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」と、念仏だけを頂くことができた。私に頂けるものはこれだけであった。それがわかると、そこに大悲の願いがこもっておったと深く感謝するほかない。

大悲の願というのは以上の三願である。つづめていえば二願である。

(2)悲願

この他に悲願というのがある。十九願と二十願である。内容とすれば、十九願は理想主義への出発を願われたものである。即ち我々は低い低い所に埋もれている。この私に「君はそれでよいのか」と呼びかける。私が無反省な生き方をして、これでいいのだとそっくり返っていたものを叩き起して「君はそれでよいのか」と呼びかけて下さった。そしてしっかりやらねばいけないと、理想主義への出発を説かれた。.それが十九願である。理想主義が人間の最後の解決ではない。が、第一の出発はこれしかない。この理想主義を出発点として、私を眠りから覚まして下さった。出発点を与えるこの十九願は大悲方便である。

方便はウパーヤ、到達である。向こうから私に届いて下さるのである。私の現状を見届けて、私が納得しうる所まで降り立って、私の出発点を具体的に与えて下さるところに大悲方便がある。これを悲願という。これにくらべると上の三願は大悲真実の願である。大悲真実に至らしめんがための大悲方便の願が十九願、二十願である。

二十願は私が理想主義のゆきづまりにおいて念仏一つと決心することを誓われた願である。即ち「君はそれでよいのか」を出発点として、「念仏申せ」という到達点を願われたのが二十願である。しっかり念仏申しましょうというのが二十願であるといえよう。念仏ということを教えられている。これが悲願である。念仏は大悲真実、自分のすべてを衆生に与えようとする願である。それを人間の心の転回を待って届けようとするところに大悲方便の願がある。

「他力の悲願」の悲願は大悲の願である。が、悲願の方も含めてこの両方を合わせて「悲願」と頂くことができよう。即ち、我々の一番出発点から考えるならば、そのお粗末な私に働きかけ働きかけて念仏申すまでお育て頂いた。そしてその念仏が遂に光明無量、寿命無量を私に成就して下さった。これがすべて大悲の願である。それが成り立ったのはよき師よき友のお蔭である。これらすべてが他力の悲願である。「かくの如きのわれらがためなりけり」である。

一生の間にこれを我々は何回も何回も頂かねばならない。自分が深い谷底に落ち込んだ時、願いごとが叶わない時、これでいいのかと思案せざるを得ない時、「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」と頂く。一生貫いて頂くべきみ教である。

『歎異抄』の中心はどこであろうか。これについて色々な人が色々にあげられている。

曾我量深師は後序の「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり」を釈するところで、このお言葉があるために『歎異抄』が生きていると述べておられる。これはここに本抄の中心があるということであろう。なるほどそこが大変大事なところでもあるし有難いところでもある。

が、私は『歎異抄』の中心は次の二つであると思う。一つは「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて往生をば遂ぐるなり」。これは第一章の一番はじめにある。試みにこの言葉を繰り返し繰り返し口に出して頂いたならば、深い深い感銘をもたざるを得ない。我々の決心、努力、作為、造作によって広い世界に出るのでもなければ救われていくのでもなく、まことに弥陀の誓願不思議に助けられまいらせて往生をば遂ぐるのである。実に感銘深い言葉であって、『歎異抄』の中心はここにあると言わねばならない。ここをあげれば尽きていると言ってもよい。が、も一つあって、それは第九章である。「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」である。これがまた非常に大事な文章である。「こういうていたらくの私」、私ごとき者のために他力の悲願がある。ここに大きな感動がある。この二つで『歎異抄』は成り立っていると言えると思う。

二つで成り立っているけれども、それは一つである。今一本の釘がある。この釘が真直ぐになるためにはハンマーで打たねばならない。ハンマーが弥陀の誓願である。ところがハンマーで叩けば釘は真直ぐになるかというと、そうはならない。釘が砂の上にある限りハンマーの力は力にならない。釘が金床の上になくてはならない。この金床こそ「かくの如きのわれ」である。ハンマーと金床があってはじめて釘は真直ぐになる。ハンマーと金床で一つである。「弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて往生をば遂ぐる」私は「かくの如きのわれ」である。この二つで一つ、『歎異抄』の中心はこの二つであると思う。

考えてみると『歎異抄』を本格的に頂き始めたのは昭和二十四年頃であった。大学で学生に話すために読みはじめたのであるが、その時から通算すれば既に三十年余になる。それだけたってみて、『歎異抄』の中心はここだと思う。「かくの如きのわれ」の内容が「久遠劫より流転せる苦悩の旧里はすてがたく」「未だ生まれざる安養の浄土は恋しからず」「よくよく煩悩の興盛に候」ということである。唯円の問いからいうと喜びのなさと意欲のなさである。が、親鸞聖人の答からいうと、「煩悩の所為なり」。喜ばせざる煩悩、意欲を失わせていく煩悩、せっかく教を聞きながら世間に心引かれ、安養の浄土は恋しからずという、「かくの如きのわれ」である。


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