二、念仏申し候えども

『歎異抄講読(第九章について)』細川巌師述 より

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「念仏申し候えども踊躍歓喜の心疎に候うこと」。 (おろそか)にとはなおざり、続かないこと。


(1)歓喜

歓喜とはよろこび、明るさ、明朗さ、生き甲斐、感謝というようなものをいう。

「念仏申し候えども」というところに、この人の長い聞法生活が出ている。念仏申す人というのはかなり聞いた人である。あまり聞かない人は念仏を申さない。聞法し合掌礼拝はあっても念仏申すということはなかなか出来ない。念仏申すというところにはかなり長い聞法生活があると言わねばならない。試みに、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と申してみなさい」と勧めてみても、若い人は殆んど申さない。合掌まではする。いや合掌もなかなか出来ない。やむを得ずする時は膝の間で手を合わせる。初めから胸の前で手を合わせることが出来るには、家庭とかその土地の土徳とか、宿善というものがなくてはなかなかできない。家で父母が仏様に参るとか祖父母が寺参りをするとか、その土地が熱心な仏教徒の多い地方で、土徳としてそのような空気がある処に育ったとか、とにかくそういうことがある。

私はどえらい世の中になったものだと思う。この頃、厚生白書とか青年白書とかいうものが出て色々と言われている。子供達はだんだん減ってきている。そして子供が興味を持っているものとか健康の具合だとか、テレビをどれだけ見ているとか好みとか、身長がどれだけ伸びたとか、色々発表されているが、あの中に出てないのが一つある。合掌できる人が少なくなったというのがない。どこかが合掌できる人というのを調査したら、殆んどなくなっているでしょう。厚生省は大事な所をぬかっている。合掌できる子をパーセンテージで示したならば、本当に慄然とするだろうと思う。小さい時にそのしつけをしておかないと、中学以上になって自我が発達してくると益々やらない。小さい時からでないとなかなかできない。

私は0才から五才までが大切だと思う。せめて自分の所の保育園で一人でも二人でも、五人でも十人でもいいから合掌できる子を育てたいと思う。それがやがて大きな意味を持つ。あの小さい子供達が二十一世紀の日本を背負うのである。僕等はその頃はもう生きてはいないだろうが、今そのような子を育てることが、やがて社会へ世界へと大きな意味をもってくる。その子供達がひ弱で過保護で考える力も持たないということになるならば一体どうなるだろう。

逞しくて考える力を持つと共に、一番大事な合掌のできる子供に育てておかねばならないと思う。念仏申すということが大変に大事なことなのである。念仏はどこからくるのか。読誦(どくじゅ、仏教に関する書物を読む)、観察(かんさつ、広い世界、永遠の世界を考える)、合掌礼拝(がっしょうらいはい)、称名念仏(しょうみょうねんぶつ)、讃嘆供養(さんだんくよう、お礼を申し仏様にお花をあげ香をたく)。この中で一番難しいのは称名念仏である。読むのは好奇心でも読める。考えることもできる。しかし合掌して頭を下げてお礼をしなさいということになるとなかなかできない。いわんや南無阿弥陀仏と念仏することは大変な事である。これを抵抗なくやるには、小さい子供からでないとできない。小さい時からそれを強制的にやらせるのはよくないという声もあるかも知れないが、善いも悪いもない。その時でなければできないのである。

井深大という人がある。ソニーの名誉会長のこの人が『幼稚園では遅すぎる』(ごま書房)という本を書いている。この方は日本幼年教育研究会の会長をしていて、色々な体験を重ねて書かれた本である。なぜこのような人が小さい子達の教育を考え始めたかというと、この本によると井深さんの子供の中に一人智恵おくれの子があって、どうしてこんな子になったのか、自分が仕事ばかりして少しもかまわなかったからではないか、子供の小さい時の教育を誤っていたのではないかと考えて、この研究会を作ったとある。この書は世界的な反響を呼んで外国語に翻訳され、世界各地からたくさん問い合わせが来るそうである。この方のも一つの著書は『0才から三才までの母親作戦』。乳児教育ということである。この中にかなり具体的に、人間の教育は0才から三才までにやらねばならないこと、また、そこでやるべき内容を書いている。

アンドレ・モロアは『結婚、友情、幸福』の中で子供の教育を論じている。彼は、子供は生まれた瞬間から教育しなければならぬと言っている。その教育は、人生にはルールがある、そのルールを守ることから始めなければならないという。このお二人に共通なことは、人間教育の最も大事な時期は0才から三才までであって、この時期に教えるべきことをしっかり教えておかねばならない。この時期ならば海綿が水を吸うように色々なことを吸収し、それが大きくなってからの根本になるのだ。その時を誤ってはならないと力説していることである。

私は「わが意を得たり」というわけで、0才から五才までの一貫教育をやろうと考え、独力で今保育園の建築中である。何を教えておかねばならないかということについては、この人達はルールを守るとか自分のことは自分でするとか、美しい音楽を聴かせるとか、色々言っておられる。私は少し違う。私は小さい時から仏様に手を合わせて南無阿弥陀仏と念仏を申す練習をさせたいと思う。このための保育園を作っている。

念仏申していくならば必ず喜びがある。それを信心歓喜という。仏法は聞いていったならば必ず喜びがあるようになっている。私共の先生はそれを、「歓喜は花、生活は青葉、念仏は幹、信心は命、内観は根」と、植物に譬えて言われた。ちょうど一本の木のように、生きているという事は花が咲くことである。それが歓喜である。花はやがて散って青葉になる。それは生活である。生活の中にいきいきと生きるものがある。生活を支えている幹が念仏、その全体に流れているものが信心、これが命。そして深い根が内観である。「歓喜は花」と言われた。花は散る。歓喜は必ずしもいつもいつも感謝感謝というだけではない。散って青葉の生活となり念仏となり、信心、内観となるのだという事を言おうとして、歓喜は花生言われた。大いに喜んだその喜びが、必ずしも続かなくてもかまわない。それは生活の中に生き、深く定着してくるのである。

蓮如上人の『御一代記聞書』に「信の上は一人いて喜ぶ法なり」とある。信心は必ず生活の中で、たった一人いて「南無阿弥陀仏」と喜んでいくということになる。が、逆に私が一人喜んでいるから信心があるとは必ずしも言えない。喜びを自分の信心の証明にしてはならない。しかし信の上は一人居て喜ぶのである。私も長い間一人居て喜ぶということができなかった。しかし今は「南無阿弥陀仏、有難うございます」と言うことができる身にさせて貰った。歓喜は無くなるともいえる。また、歓喜は散って生活の中に青葉になるのだとも言える。生活の中で南無阿弥陀仏、有難うございますというものが出るようになっている。

龍樹は「歓喜の故に初地を歓喜地(かんぎじ)という」。歓喜は信心を得たところに顕われてくるから信心の初めを初歓喜地という。歓喜はまた、二地三地四地、全ての世界を貫くのである。即ち歓喜は菩薩道において一貫している。初めの歓喜はやがて生活になっていく。その生活の中で一人居て喜ぶということが貫いている。

それであるのに「念仏申し候えども踊躍歓喜の心疎」であるという現実、これは一体どうしたことでございましょうか、どうしたらいいのでございましょうかというのが、この第九章の先ず大きな問いである。

歓喜とは何かということを論じたのは龍樹の『十住論』である。聖人はその入初地品から『教行信証』の行巻に引かれている。初地(広い天地を得た世界)をなぜ歓喜地というのかという問いから出発して「何の故をもって歓喜するのか」ということを長々と引いてある。

なぜ歓喜するのか。「諸仏を念ずるが故に」仏、如来、大きなおおきな世界を憶うからである。憶うべき大きな世界を持っているからである。それを憶念弥陀仏本願という。本願を憶う時、まことに感謝せざるを得ない。仰ぎみる世界をもっているから歓喜するのである。

「大法を念ずるが故に」。私に賜わった教を憶うからである。「必定の菩薩を念ずるが故に」。よき師よき友を憶うが故である。「希有(けう)の行を念ず」。御苦労の歴史を念ずるが故に、即ち私にまで届いて下さった御苦労の歴史を憶う時に、私はどのような逆境の中にあろうとも感謝せずにはおれぬ、喜ばずにはおれぬというものがある。これらに共通しているのは念の一字である。念ずる世界を持つのである。仰ぎみる世界、頂かずにはおれぬ世界を持つが故に喜びを持っているといえる。

なぜ喜べないか、それはこの逆である。憶う世界、仰ぐ世界を持たぬからである。金のこと名誉のこと、人のこと、ああ言うたこう言うたというような小さな事ばかり考えて、大きな憶念世界を持たないから喜ばない。

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(2)異質なものとの出合い

第九章の中心は「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」の言葉に尽きる。「かくの如きのわれら」というものが明らかになるところに第九章の意味がある。普通の言葉で言えば「このようなていたらくの私」である。このようなていたらくの私のための如来の本願である。「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」。まことにこれはすぐれた言葉であり中心である。何回となく頂かねばならぬ言葉である。

「念仏申し候えども」という言葉でこの章は始まる。頭もなければしっぽもないような言葉で、誰が言っているのかもよくわからないが、後の方に唯円房という名が出ていることからそれがわかる。唯円房が尋ねた、それに対する聖人の答が第九章である。

「念仏申しておりますが」というこの問いは、唯円房が求道における初心者でないことを示している。初心の人は「念仏申しておりますが」というようなことは言わない。「念仏申し候えども」というところに、長い求道がにじみ出ている。初心の人は「念仏申す」ということは夢にも思わない。南無阿弥陀仏などということはさっぱりわからず、なぜ称えなければならないのかと反問する位で、何もわからないのである。従って念仏申すようになったという所には深い求道歴があり、色々の宗教体験があり、多くの努力が積まれている。この人において「念仏申し候えども」という問題が出てくる。この問題は異質なものとの出合いから起るのである。

異質なものとの出合いとは何か。ものとは現実である。一応教に順って念仏している。教法を聞いて念仏している。法が理解できて、今まで教を異質なものと考えていた違和感がなくなったのが念仏申すということである。しかし今、「念仏申し候えども」というところには、教法と現実がつり合わないものになった。現実が教法と対立して教法と調和しないものとなった。そこがこの章の出発点である。

聞法は遂に必ず信心歓喜となる。広い世界に殼を破って出た所には必ず喜びがある。深い宗教感であり明るさである。これを「聞其名号(もんごみょうごう) 信心歓喜(しんじんかんぎ)」といわれている。教の示すところ信心は歓喜である。踊躍歓喜である。また、宗教は願往生心(願心)であって、意欲的なものである。「いそぎ浄土へ参りたき」という表現になっているが、そこに願生彼国(彼の国に生まれんと願う)というものが示されている。これらは頭の中で考えている限り、この通り信心歓喜、踊躍歓喜であって何も異質的なものはなく、そういうものだろうということになる。また、実際に深く聞いていくならば、そこに喜びがあり意欲がまき起ってくるということが経験されるのであって、「よかった、この次も頑張るぞ」というものが出てくる。こういうことがなければ聞法は続かない。初心者は初心者なりに胸を打つものがある。このような経験から見ても歓喜と意欲があるのが当然と考えられる。

しかしだんだんと時が経つと、この提言が現実とマッチしない。教の示すところが私の実際と違う。私の現実とかけ離れている。ここに我々は異質的なものを感ずる。米の中に石が入ったように、何かしら「そうだ」と言い切れないものが出てくる。それがここにいう異質という問題である。

元来、文化というようなものは何か異質的なものに触れることによって進展していくとも言える。日本の民族も最初は惟神(かんながら)の道という、神様に柏手を打って「(はら)いたまえ清めたまえ」と言ってすましている時代があった。そこに仏教が入ってきて、全く異質なものと触れ合った。祓いたまえ清めたまえでない、理解出来ない教に出遇って考えていくところに、日本民族の深まりが出てきた。それは古代の話であるが、今の私共もその体験の中で異質的なものに出遇って苦しみ悩むところに進展が生まれる。「念仏申し候えども」という問題にぶつかって深い転回が生まれる。

始めは喜びがあり意欲がわいていたのだけれど今は違う。今はそうならない。そのような現実がある。教法の示す所では信心歓喜であるのに現実には歓喜がなくなった。これが第九章の問題であり、そこから転回、進展が出てくるのである。教法と異質な現実が私に感じられるということがなければ、進展とか転回は出てこない。教は理解できるけれどもどうしても私において事実として納得できない「候えども」と一言わずにはいられないものが出てくる。「念仏申し候えども」しかし喜びがない。「念仏申し」ているけれども意欲がわかない。この「しかし」が出てこなければ進展はない。

私は小さな保育園をやっていて、幼い子から預かっている。時々話をする。その時大事なことは子供にわかる話をすること、も一つ、高い位置から話をしてはいけないこと。できるだけ低い姿勢で話す。子供の椅子に座ったり床にしゃがんで話すと、子供達は落ちついて聞く。なかなか面白い。子供にわかる話をするには難しい言葉を使わないことが大切である。子供にわかりにくい言葉の一つはこの「しかし」である。子供達の考えはストレートであるから、「あれが欲しい、頂戴」という。「あれが欲しい、しかしながら」とは考えない。「しかし」という所には非常に屈折したものがある。「あれが欲しい、しかし今は言わぬ方がいいのではないか」というのは大人の考えである。従って我々は単純な子供から深まりを持った大人になるには「しかし」ということがなければならない。これを異質なものにあうという。

仏法でも「ああそうか、わかった、なる程そうだなあ」と言っている間は、本当はまだわかっていないとも言える。「しかし」「しかれども」ということが出てこなければならない。その教が私において頭では理解できるけれども実際生活ではそうはならない。そこに「しかし」ということがある。この「しかし」から始まっているのが第九章である。「しかし」ということを初めて言われたのは曇鸞大師である。曇鸞は『浄土論註』というのを書かれた。これは天親の『浄土論』(詳しくは『無量寿経優婆提舎(うばだいしゃ)願生偈』という)を忠実に注釈されたものである。その中で「彼の無碍光如来の名号は能く衆生一切の無明を破し、能く衆生一切の志願を満てたもう」と述べてある。南無阿弥陀仏を訳すると帰命尽十方無碍光如来という。帰命尽十方無碍光如来即ち南無阿弥陀仏の御名を称名するとそこに、一切の無明が破れ一切の志願が満たされると天親菩薩は言われた。ところが、「しかるに」と出ている。曇鸞は「無明なお存し」、無明がなお残って心がさっぱりせず、願いが満たされて「よかった」ということにならないという現実があるという。論に書いてあることと自己の現実とは異質である。現実は無明(迷い)が残り心が満たされず不満である。そこに「しかれども」ということが出ている。それを今は異質と申している。単に論を註釈するだけならば、天親菩薩はこう言っておられる、それを解釈するならばこうである、ということで済む。「しかし」は出てこない。それなら幼稚園の子供と同じくストレートである。何の問題も出てこない。が、「しかし」が出てきたそこから「不如実修行相応」ということが述べられ、信心の問題が明らかにされた。それが曇鸞大師の偉業である。念仏申すならば、有難うございますという感謝や意欲がわいてくる筈である。「しかし」と、ここから第九章が始まる。観念的に頭で受け取っている限り、ああそうか、そういうことになるのかということで終って、「しかし」にならない。『教行信証』の信巻もこの「しかし」「しかれども」が中心となっている。

曇鸞は「しかし」の次に何を言っているのかというと、問題は私にあると言っている。問題は私の信にある。問題は私の信の不純にあるという。「不如実修行相応」という問題が出てきて、信心即ち私自身の自覚の問題であるという。私の心の据場所に問題があると追求されたのが以下の文で、それを「一者信心淳からず、二者信心一ならず、三者信心相続せず」という。私に本当の自覚がないということを三不信と指摘された。これは曇鸞大師の転回である。「しかし」という所が転回点である。教は、教を記憶したり理解したりしている間は深まりがない。浅い所にとどまっている。「しかし」という所から問題は始まる。

大乗仏教の中興の祖といわれる龍樹菩薩は『十住論』において、「菩提心を起して不退位を得る」と言われた。不退の位とはもはや一歩も退かない、前進また前進の人。これを正定聚の菩薩という。菩提心を起すならば正定の菩薩位(不退の位)に直に到るのであると経に説かれている。即ち『華厳経』十地品には「衆生ありてもし菩提心を起すならば、直ちに阿耨多羅(あにょくたら)三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)を得」とある。が、「しかし」実際に私がやってみたができない。「しかし」実際は難行道である。これが『十住論』の発端である。『十住論』は龍樹自身の告白と言わねばならない。「しかし」という深い屈折がある。先にも申すように幼稚園の子には「しかし」ということはない。が、彼等が本当に成長していったらやがて「しかし」ということを考える人間になるであろう。「しかし」という問題にぶつかって始めて深まっていく。異質的なものと出あうということ即ち教の示すところと違っている現実に出あうということが、信心の発端である。それが自覚の始めである。その結論は「憶念弥陀仏本願、自然即時入必定」。弥陀仏の心を憶念する心に立つと難行道が易行道となる。その易行道への転回を説くのが『十住論』の中心点である。

菩提心の問題は、私が起していけるのだという自己肯定の心が打ち砕かれて、私にかけられている大きな世界からの願い、弥陀の本願を憶念していく心が生まれるところに解決がある。この解決は自己における信の不純の発見ということにはじまる。これがわかった時に教は現実と異質なものでなしに、現実をつつむ法となる。教が現実の上に生き、現実が教を明らかにして、本当に一体のものとなる。その発端は「しかし」というところにあることを申した。

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(3)異質なものに出合った時の我等の姿勢

教と現実とのくい違いに出合った時、我々はどういう姿勢をとるだろうか。先ずは善し悪しである。これではいけないという。教が現実に即さないから喜びもなければ意欲もない。これではいけない、これが「念仏申し候えども」である。

も一つ、理想主義的な姿勢をとる。かくあるべきだという心、これは唯円房の姿勢である。「いかにと候うべきことにて候うやらん」。理想主義的姿勢である。「私は一体どうしたらよろしいのでございましょうか」。正確な表現が私にはできないが、いかにも古い日本語で非常にうまく言ってある。的確には言えないが、一体どうしたらよいのでございましょうかということである。これではいけない、喜びがあるべきだ、何とかしなければと理想主義的に考えている。で、どんな答を期待しているのかというと、叱られることを期待している。私を叱って下さるのではないか、を期待している。

私も座談会で時々そういう経験をする。「先生、私を叱って下さい」と言う。私はこういうのは大変苦手である。「それでは叱ってみよう」というわけにはいかない。叱るというのは難しい。なぜかというと叱るということは非常に失敗を伴うからである。その人をよく知っていて、つぼ所即ち枝葉でなく中心をしっかり指摘しなくてはならない。その人の生活をよく知らぬ場合は、その中心点がわからないから難しい。も一つ、叱ったらこの人は逃げるのではないか、いなくなるのではないかという時は叱れない。その人が続けてくれるためには叱るよりもほめ励ますということが大切である。叱ったらなかなか続かない。唯円は叱って貰いたかった。こうせよ、かくあるべし、命をかけてやれと言って欲しかった。大いに激励してふるい立たせて貰いたいと思った。私の先生は実によく叱られた。それはよく相手を知っておられたからである。また、叱るだけの力があったからでもある。私には残念ながら叱る力がない。叱って貰いたいという気持ちはよくわかるが、私が叱るのはよくよくのことで、普通はその人に考えて貰わねばならぬ点を指摘するのが精一杯である。

唯円は叱られて立ち上がる力を与えて貰おうとしたが、これが間違いである。これでは本当の転回はない。第九章を読んでみると親鸞聖人は叱ってない。叱られて立ち上がるというようなことでは本当の解決ではないことが多い。ここがよく考えねばならぬ所である。

理想主義とは何か。教法に則した真の生き方から遥か遠いところに私の現実がある。本当の生き方であるべきなのに、私の現実は違う。そこで私の力をふりしぼって努力精進して本当の生き方、喜びに満ち意欲に満ちた生活に接近しなければならぬ、しっかり頑張ろうと思う。これを理想主義的な考えという。こういう行き方を小さい時から鍛えられている。だから誰も人をそのように鍛える。他の人を見て、あれではいかんも少し頑張れということになる。それでは頑張ったらそこに到達するのかというと、いつも行きつ戻りつに終るのである。頑張っても出来ない。始めはしっかりやれと頑張らせねばならぬのであるが、長年聞法の人にいつまでもただ「頑張れ」というのは本物ではない。「しかし」という問題にぶつかっている時になされねばならぬのは努力精進ではない。これは違う。これでは転回はない。も一つ深まり徹底することが大切である。

理想主義は問題の解決ではない。この考えでは教の示す信の生き方と現実とのギャップはふさがらない。いつまでたっても行きつ戻りつを繰り返して一生を終ってしまうであろう。この理想主義的な生き方が現代における一番大きな問題である。現代の思想の中でこれが最後の癌になっている。はじめは理想主義の行き方が人間教育の中心である。出発点はそれで結構だ。が、いつまでたってもそれであっては進歩はない。本当に成長することはできない。理想主義的発想は第一段階であるが、その彼方に遂にそれが打ち破られて「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」とならねばならない。教が本当に私に徹底してくるということは、「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」と、教が私の上に届いて下さるということがなければならないのである。これが第九章の問題である。

『観経』に出てくる韋提希夫人という女性を見てみよう。彼女は悲劇の真只中においてどういうことを考えたか。悲しみの中で号泣した。号泣の号とは声をあげて泣くことをいう。「世尊われ昔何の罪ありてかこの悪子を生ぜる」。私は大した悪いことはしていないのに、どうしてこんな事になったのでありましょうか。私は何の罪もなかったのにどうしてこんな悪い子が生まれたのでしょうという。「世尊また何等の因縁ありてか提婆達多(だいばだった)と共に眷属(けんぞく)たる」。この子は決して悪い子ではなかったのに提婆という友達が悪かったためにこうなった。提婆さえいなかったらこうならなかったのに。その提婆はあなたの御親類ではありませんか、と言って釈尊を非難する。この韋提希の言葉は、私は間違ってはいないというところから始まっている。理想主義の発想である。しかしながら彼女の心持はだんだんと静まってきて、最後に「ただ願わくは我に思惟を教え、我に正受を教えたまえ」。如来を考える考え方を教えて下さい。どう考えていったらよいか、どのように受けとめていったらよいか、受けとめ方を教えて下さいという。私の現実は全く悲しい現実でございます。如来の世界に行きたいのですが、それにはどう考えたらいいのでしょうか。教をどう受けとめていったらよいのでしょうか。どう実行したらよいのでしょうか。これが『観経』のはじめに出てくる問いである。実に人間的な問いである。「なるほど」とうなずかざるを得ない人間の理想主義的発想である。この発想では助からない。それが『観経』の出発点であり、やがて第九章の発端である。


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