十七、かくの如きのわれら

『歎異抄講読(第九章について)』細川巌師述 より

目次に戻る

「われら」は私達という言葉でもある。が、ここでは単数で、私のような者と自分を謙遜して言う言葉である。現代の言葉でいえば、こういうていたらくの私のような者という意味である。私達でなく私である。どんなていたらくかというと、「念仏申し候えども踊躍歓喜の心疎か」である。長年仏法を聞いて念仏を申しておりますが喜びがありません。「またいそぎ浄土へ参りたき心の候わぬ」、意欲がないのである。願生浄土、具体的には聞法しぬいていくという心。たとい炎の中をもかき分けて仏法を聞いていこうという意欲がない。この二つが九章のはじめに述べられている。生活の中心となるべき、感情に燃え盛るような喜びがない。また強い意欲、意志が湧き出てこない。我々の生活を支えるこの二本の柱がくずれてしまった。このようなていたらくの私である。

ほか人は大変喜んでおられる。大変に意欲が見られる。それであるのに私一人は最後まで残った劣等生であって、念仏は申しているが喜べません。長年仏法は聞いているけれども意欲は湧き出てきません。お聖教には信心歓喜とあって、お念仏の人は喜びがあるといわれているのに私には喜びがなく、願生彼国と、「いそぎ浄土へ参りたき心」が強調されているのに私にはそういうものがない。教の示すところと全く違っている私というものが前半に出ている。

ここに私の現実がある。動かすに動かせぬ現実を担ったというか、現実に直面しているというか、のっぴきならない現実を抱えた私、これが「かくの如きのわれら」である。これが、「煩悩の所為なり」、煩悩の中に引きずり込まれてのたうっている私である。

唯円はそういう心をもって聖人に尋ねた。我々も全く同じである。教は頭ではよくわかっている。それは私のあるべき理想であり、達すべき目標である。しかし私の現実は全く違う。理想と全く違った現実を抱えている私。それをどうしようもない私。そこに私一人だけが取り残されている。これが第九章の問題である。長年聞いた人が死の床に横たわってこういうことでよいのだろうかと、実に悲痛な問題を問うているのに、それに答えてあげられなかったのは残念至極である。その、のっぴきならぬ現実に直面してとり残された私一人、それが「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」こういう私のためであるというところに忝(かたじけ)なさがある。この私がこういうていたらくではいけないのでなしに、「かくの如きのわれらがためなりけり」である。ここが第九章の一番大事な所である。現実は南無阿弥陀仏になる。現実が念仏になるというのが大事である。

私共の先生は最後に「あるがままの自己を受取って念仏申す」ということを繰り返し教えられた。これは先生の非常にすぐれたお言葉であった。珠玉の如き言葉であると思う。が、その当時は残念ながら私にはよくわからなかった。その頃私は三十才位で、このお言葉は非常に魅力的であるが、「うけとる」ということがよくわからなかった。「あるがままの自己をみつめて」とも言われたが、「みつめて」がよくわからない。じっと見ておくことかなと考えたりして、先生のお心が充分わからなかった。が、今日ようやく私にもわかるようになった。「あるがまま」というのが「かくの如きのわれら」である。「受け取って念仏申す」というのが、現実が念仏となることである。現実が念仏である。ここが一番中心である。「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり」とはこのことである。「かくの如きのわれら」が「親鸞一人」である。これはエリートの先頭に立つ「親鸞一人」でなしに、自分だけがわからなくて取り残されている私「私一人」である。みんながわかっていることがどうしてもわからない「私一人」である。みんなにできることが自分にだけできなかった。そのような現実をかかえた自己である。現実を抱いて立つ者は必ず「私一人」となる。皆が幸せであるのに私だけが不幸であり、皆が喜々として戯れているのに私だけが喜べない。こういうふうに取り残された形になっていく。それが、これではいけない、情けないではなしに、も一つ頑張ってというのでなしに、この現実が「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり南無阿弥陀仏」である。そこが第九章の大事なところであり、大変わかりにくいところである。

「かくの如きのわれら」ということを九章から頂けば、先に言うように踊躍歓喜の心がないということ、また浄土へいそぎ参りたき心のないということであるが、この自己の現実という問題を一番早く言われたのは曇鸞大師である。

曇鸞は『論註』に「不如実修行相応」ということで言われている。このもとは「如実修行相応」ということである。

天親菩薩は『浄土論』において如実修行相応ということを言われた。如実は真実。南無阿弥陀仏という念仏が讃嘆の行である。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と仏のみ名を讃えるということ(私の称える念仏)が、真実の行になっている。本当の南無阿弥陀仏になっている。それを如実修行相応という。具体的には、南無阿弥陀仏とは帰命尽十方無碍光如来である。南無阿弥陀仏と本当に念仏したならば、その内容は尽十方無碍で、私の心の隅々まで暗雲をふきとばし、闇をなくしてしまって、私の心の中に光が満ち満ちて一切の迷いが断たれる。それが尽十方無碍光であり南無阿弥陀仏である。如実修行とは本当の念仏、帰命尽十方無碍光である。南無阿弥陀仏・南無阿弥陀仏と念仏申すところに私の迷いが忽ちに絶ち切られ、心が晴れて喜びの心にあふれていくことを、如実修行相応という。

天親菩薩は『浄土論』願生偈の中で「世尊我一心 帰命尽十方 無碍光如来 願生安楽国」といわれた。その帰命尽十方無碍光如来こそ、天親の念仏であり讃嘆であり如実修行である。従って天親菩薩の念仏は、心の中の闇を除き、闇を引きちぎって、本当に徹底した明るさになっていく念仏である。それが『浄土論』の如実修行相応というお言葉の意味である。(12-57)「如彼名義欲如実修行相応」(彼の名義の如く実の如く修行し相応せんと欲す)とは、彼の無碍光如来の名号は能く衆生一切の無明を破し、能く衆生一切の志願を満てたもう」とある。念仏が心の闇を破り願を満たすといわれている。

曇鸞大師はこの如実修行を『論註』に解釈された時に、「不如実修行相応」を説かれた。天親は如実修行相応と言われたが曇鸞は不如実修行相応である。天親の如実修行相応を釈するだけならば、その意味を述べれば事足りることであるのに、『論註』では如実修行に続いて不如実修行について言われている。「しかるに憶念称名することあれども無明なお存して所願を満てざる者はいかんとならば、実の如く修行せざると、名義と相応せざるに由るが故なり」となって、不如実修行相応ということが表に出ている。

曇鸞は天親の教の前にたたずんで自己の現実を直視したのである。天親菩薩は、憶念称名したところに闇は晴れ、志願が心に満ちて喜びにあふれたと言っておられるが、私は取り残されてそうならない。それが「かくの如きのわれら」という問題である。不如実修行の内容は二不知、三不相応である。二不知とは「実相身なりと知らず為物身(いもつしん)なりと知らず」である。実相身とは法性実相の大きな大きな仏である。私は小さな小さな仏しか考えていない。本当は大きな大きな法性真如、真如実相というような仏であるということがわからない。為物身とは私のための大悲の如来ということ、私は本当には仏はわかっていないという告白である。天親菩薩は如実修行相応と言って喜ばれるのに、私は本当には如来の大きなお心、大悲がわかっていないのだ。これが私の二不知である。

三不相応とは、不淳であり不一であり不相続である。これを三不信という。お粗末な心である。それが私の現実である。

自己の現実を明らかにされて「かくの如きのわれら」といわれたのは曇鸞が一番最初であろう。その相を不如実修行相応といい、二不知、三不相応という。仏が本当にはわかっていない、そして私の信心がまことにお粗末である。そういうことが不如実修行相応という私の現実である。

曇鸞ともあろう人がそのようなていたらくでは、七高僧というような偉い人に入る筈がないではないかというとそうではない。曇鸞の前の龍樹も天親も実は同じお心である。自分の現実が「かくの如きのわれら」、こういうていたらくの私と知って、「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり、南無阿弥陀仏」となる。それが真実の信心である。そこに諸有衆生聞其名号という本願成就の具体的事実がある。

我々はこの現実を打ち破って理想の状態にせねばならないという理想主義の子である。かくあるべきだ、こうあってはならないと、親も子も夫も妻も皆言うている。しかし、そこには真の救いはない。

子供には二才から三才にかけて反抗期がある。親が何か言うと「いや」と言う。本当に憎らしい顔をして「いや」と言い始める。「早く寝なさい」と言っても「いや」、「これを食べなさい」と言っても「いや」という。また、やたらと「なぜ」を繰り返して質問する。「牛乳を飲みなさい」というと「なぜ」という。どうしてこのような反抗期になるかというと、自分に自信ができてきたからである。これまでよちよち歩きがやっとだったのが、さっさと歩くようになり、力もでき物も持てるようになった。自信ができて「いや」というようになる。中学生、高校生になると更に自信ができて、第二、第三の反抗期になってくる。

しかし、この反抗期が大切である。家庭暴力の子に共通な特徴の一つは、第一反抗期なしに育っていることであるという。第一反抗期のない子はあり得ないと思うが、その時期に親が子の反抗を押しのけ押さえこんで、結果的には第一反抗期なしにいい子として育った。そのために中学生になってから、親に対して暴力をふるうという形で出てくる。ハシカみたいなものだと思う。小さい時にやったら軽くてすむ。それが二十才位になってハシカになったら大変である。早くあるものは早くあった方がいい。第一反抗期には反抗させて、嵐の過ぎ去るのを念じて待つしかない。如来に対するわれらの反抗は理想主義のゆき方である。自分の理性や知性に自信をもち、それですべてを律していこうとする。この理想主義を如来は許したもう。それが十九願である。そしてその崩れ去るのを待って、理性や知性をつき破る深い智慧を与えられる。それが「かくの如きのわれらがためなりけり」である。

これを現実が懺悔されるという。現実に対し頭を下げて念仏する。こういうことはなかなかわかりにくいが、わからない人はわからないなりに憶えておくがよい。人間の最後の天地がこれである。現実に対して破れ去って現実を念仏する。これを現実が念仏になるという。現実を打ち破って理想の状態であろうとするところに、深い知性の働き、理性の働きがある。しかしその限り人生は常に修羅場であり戦場である。いつやむともない戦いの場である。「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」となって始めてそこに、対立のない平和な世界が生まれてくる。対立のない平和な世界を作るためにそうするのではない。しかし結果としてそうなる。理想主義、平和主義も結構であるが、一人々々の生き方が理想主義であるところに、かえって闘争が出てくるのである。

「かくの如きのわれら」ということについて、曇鸞以外の七高僧といわれる人達も、皆それぞれにそのことを明らかにされている。

善導は「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかた常に没し常に流転して出離の縁あることなし」といわれる。これはいわゆる機の深信である。法然は「愚痴の法然坊、十悪の法然坊」といわれ、親鸞聖人は「地獄は一定すみかぞかし」といわれる。

親鸞聖人は二つ言われた。一つは化土巻の後序に「慶ばしき哉心を弘誓之仏地に樹て、念を難思之法海に流す」。有難うございます、である。も一つは信巻末、真仏弟子の最後に、「悲しき哉愚禿鸞、愛欲の広海に沈没し名利の大山に迷惑して、定聚之数に入ることを喜ばず真証之証に近づくことを快まず、恥ずべし傷むべし」。申し訳ありません、である。

「かくの如きのわれら」というのは、永遠の否定道である。永遠のとは、どこどこまでもである。私が聞いて聞いて聞きぬいて、遂に一生を聞法で送ろうとも、一生仏法を喜ぶ身となろうとも、仏道は永遠の否定道である。否定道とは、尊いもの優れたものを自己の上に肯定することを許さないもの、つまりどこまでも如来の前に立つことである。三宝の前を動かないことである。そこに常に自分を発見する。曇鸞は天親の如実修行相応(南無阿弥陀仏と念仏申すところに心の闇は晴れ心の願いは満たされていく)という教の前に立って、不如実修行相応と否定されたのである。

永遠の否定道とは、教は鏡、私を映し出す鏡となってお粗末な私を写し出し、私がお詫びをせずにはおれないというのが否定道である、教という鏡の前に立ち、七高僧のすぐれた御領解の前に立って私の現実を写し出されて、現実に頭を下げて念仏申す。これを否定道という。

曇鸞、善導、法然等の人達をつぶさに見るならば、全部否定道に立っておられる。否定道に立つと、「あなたは念仏を喜んでいますか」と問われるとき、「はいそうです」と答えるのでなしに「まことにお粗末なことで、日常的なことにおぼれていて、本当の喜びから遠い申訳ないことです」となる。

それでは「(よろこ)ばしき(かな)」と喜んでいるのは間違いのように思われるが、そうではない。「悲しき哉」が同時に「慶ばしき哉」である。「かくの如きのわれ」が、「親鸞一人がため」である。喜びが悲しみであり、感謝、懺悔である。本願におあいした感動が一方では否定であり、一方では肯定である。否定が肯定である。否定をおいて真の肯定はない。

要するに、「かくの如きのわれら」というのがわからなければならない。どうしても我々は理想主義的にものを考える。その点から言えば、仏道は私において永遠の否定道である。「かくの如きのわれら」というものを抱いて現実に頭を下げきっていくというところに仏道がある。その否定のままが「慶ばしき哉」であり、「誠なる哉」である。


ページ頭へ | 十八、他力の悲願」に進む | 目次に戻る