一、非行 

『歎異抄講読(第八章について)』細川巌師述 より

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(1)行

行というのは行動であり実践である。一つの行動、一つの実践に必要なものは、理解と選択と決意と努力である。その内容をよく理解し選び出し、やろうと決心し、それを果すために努力するというプロセスが必要である。何にしても行動をしようとする時、これらが必要である。これをやっていったらどういうことになるのか、どんな意味があるのか、先ず理解しなければならない。何かを信ぜよと言われてもそう簡単に信ずるわけにはいかない。一体それは何なのかということをよく見極めて行動を起さねばならないのは当然のことである。またこれは大事なことである。この反対をいうならば、感情に引きずられ、好奇心に引きずられて、何らの理解もなしに行動に飛び込んでいくということがある。ある年代には特にそういう事に陥りやすい時がある。しかし何かをやる時にはよくよく考えねばならない。また、それをやるためには多くの選択肢の中からいくつかを選び出し、更にその中からこれだというものを選択してやるからには決心して続けていこう、やりぬこうという決意を要する。

このように冷静に考え選択せねばならないが、その時にどういう点を考え、また何を基準として考えるか、どう選び出したらよいかという時に、一番大事な問題の一つは人である。私にその事を紹介してくれた人、その人が本当に信頼できる人かどうか。その人は自分が言っていることを実際に実行している人かどうか、そしてその実行している事の結果が具体的にはどうなっているかという事実。それらをよく検討して選び出す必要がある。

今、我々が考えているのは、親鸞という人である。『歎異抄』には、「親鸞におきてはただ念仏して」とある。その親鸞に我々は深い共鳴と同感を覚える。道元があり、キリストがあり、日蓮があり、親鸞がある。それぞれ違った道を進んだのであるが、誰が私にピタッとくるか、それが一つの入り口である。親鸞の特徴は庶民性である。本当に苦しみぬいた人だということである。先の四人の中で結婚して家庭を持ったのは親鸞一人であった。子供が出来てその子供で悩んだのも親鸞一人であった。そしてとうとう誰にも認められずに埋もれていったのも親鸞であったと言える。群萠の人とと言える。群萠とは雑草である。春先になると萠え出て人にふまれる。踏まれても押えられても、逞しく伸びていく名も無い小草を群萠という。これに似た言葉に蒼氓というのがある。この群萠の宗教というところが親鸞の特色である。即ち人間のあらゆる悩みを悩みぬいて、人間の現実存在に徹したという一点が大きな特色である。そういう人に自分が同感を覚えるならば、私の選ぶ相手が親鸞という人になるであろう。

理解し選択し、決心してその通りにやってみるどんな決心をするかというと、重要な点は続けるということであろう。続けると言っても始めから続けるというわけにはいかない。で、私は一応期限つきがいいと思う。期限を切ってその間頑張ってみる。その期限は先ず三年であろう。「石の上にも三年」という言葉がある。三年間しっかりやってみる。三年やってビンとこなければやめたがよかろう。私共の先生はも少し長く五年といわれた。五年やってビンとこなければやめたがいい。五年たって何ものも生まれてこなければ、それは自分に向かないか、あるいは向こう側に問題があるのである。しかし五年続けて手ごたえがあったら更に十年やってみよと言われていた。私は先ず三年でもいいと思う。

人間という者は、何につけても一応期限を切る方がよい事が多い。私の所の小さい保育園では、園児三人から出発して五年たってやっと三十五名になった。大飛躍である。だんだん狭くなったので新しい園舎を建てている。今年中に出来あがる予定である。この園の保母を頼むのに私はいつも言う。長く居て欲しいけれども、最低二年、できれば三年居て欲しいと言う。二年か三年たったらまた新しく契約する。その方が両方とも切りがついていいように思う。とにかくある期間までは続けるという決意が必要である。

行というものはこのような理解と考察、選択と決意、そして実践努力を必要とする。一番大事なものは決意である。決意を伴わない行動はあり得ない。始めは人から勧められてはじめたにしても、自分が主体的にやろうと決心しなければ本当の行にならない。

南無阿弥陀仏という念仏行も、始めは南無阿弥陀仏とは何かということが理解されなければならない。それが大事だということを聞いて、そうかなあとだんだんわかってきて、よしやろうと決心して努力する。そういう順序になっていく。従って念仏は非行ではない。人間の行である。われらの宗教行として出発する人間の行である。

宗教行というのはどの宗教についても共通に、読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆供養の五つである。読誦とは読むこと聞くことである。観察とは考える、思索をいう。礼拝とは合掌である。称名が念仏であり、も一つは供養である。供養とはお供えをあげる、寄附をしたり鳥居や塔を建てたりするのをいう。寺を建てるのも大きな供養である。財供養、法供養があるが、普通は財供養を言っている。

行とは、それらを理解し実行するのである。これらの中の全部やるということもあり、選んで一つか二つかやるということもある。読誦においては何を読むかを選択せねばならない。読誦以外のものにしても、選び決断して実行するということが必要になる。五つの中の一つに称名念仏がある。が念仏はかなり続けて仏法を聞かないと意味がわかりにくい。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と口に出して言うことが念仏であるが、なぜ念仏するのかわけがわからないとなかなか言えない。南無阿弥陀仏というのは先にも申すように、大いなるものの私共に対する呼びかけであり名告りである。「汝一心正念にして直に来れ、我よく汝を護らん」と私の胸の扉をたたくノックである。それに応えるのが南無阿弥陀仏という念仏なのである。私はまだ念仏という所まで行かぬ、けれどもそういうことを練習していこう、トレーニングしていこう、実際にやっていこうということになるならば、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と口に出して練習するということがある。わけのわからぬものを練習してもどうしょうもないではないかというかも知れぬが、そうではない。

大体、東洋の行き方は、わけのわからぬものを練習するというのが普通である。そして体で感じ取る、体得するというのが東洋の行き方である。傑れた芸術家等、すべて体得したのである。剣道家でも、剣道とはどういうものか、ここが大事でこの時にこう打ち込むのだということを教えられて、それから始めた者は一人もいない。昔は皆、先生の所に弟子入りをして、拭き掃除から使い走りまでしながら一生活の中から剣道を学んだのである。大工の修業も鉋の使い方、板の削り方一つでも教えられるというのではなく、皆見習うのである。

誰の著作だったかNHKブックスに『法隆寺を支えた木』という本がある。これは法隆寺の最後の宮大工の人が書いた本でなかなか面白い。これを読んで感じたのは、昔の大工は大変に厳しかったということだった。横道にそれたが、その中に法隆寺の木を探しに行くという話がある。台湾の桧を探しに行く。何百年か経っている桧を探してきて法隆寺を再建するのである。何百年も経った木で大きな枝を出して青々と葉を繁らせている木は駄目だという。そういう木は中が空っぽだ。中がシャンとした木は外は繁っていないそうである。それを聞いて私も安心した。年とって頭の髪がうすくなったので、黒々としてふさふさしているのを羨ましいと思っていたが、桧の例から見ると中が空っぽのものが外は青々としているという。やはり年令相応に頭は禿げたり白髪になったりした方がふさわしいのかなと考えるようになった。なかなか面白いなと思ってそこだけは強く印象に残っている。余談になったが要するに我々は、決意して練習しなければならない。

非行とは何かというと、そこに何らの決意を要しない、何らの選択も、何らの努力を要しない。念仏というのは我等の宗教行の一つであって、宗教行には理解、選択、決意、努力が必要なのであるが、「南無阿弥陀仏」はそれとは違う。いや、理解、選択から始まるのであるけれども、南無阿弥陀仏は何らの決断も努力も要しない行なのである。これは如来の行だからである。これを他力の行といい非行という。念仏は私から出るものである。しかしながら、本当の念仏、『歎異抄』に第一章から貫き通して言われている念仏、大きなおおきな功徳を与えられる念仏というものは、われらの決断を要せず努力を要しない如来の行なのである。これが深い喜びであり深い感銘である。念仏こそは我々を無碍の一道に立たせるものである。この念仏は如来の働きである。この事を言おうとして非行ということが出ている。我等の決断、努力でないんだということを言っている。一応言葉の意味を申しました。

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(2)非行

非行ということを言うのに、もう一つ言っておかねばならぬことがある。それは行の根底にあるものである。

行をやろうとする時にその根っこにあるものを考ねばならない。蓮如上人の『御一代記聞書』に次の言葉がある。(160条)「総体人には劣るまじきと思う心あり、この心にて世間には物を為習うなり」と言われている。『御一代記聞書』は、蓮如上人の晩年七十六才頃から、およそ十年間の、円熟された上人のなされたこと言われたことを、門人達が書き記したものである。人間はその心の根底に誰も彼も負けじ魂がある。それを「劣るまじきと思う心」という。競争心である。その心がもとになって世間では物をしたり習ったりするのである。何を習うにしても負けちゃならん、一点でも人より成績がいいようにと思う。ソロバンでも勉強でも、走るのでも皆そうである。一番になれなくても、せめてビリにはならんように頑張らなくちゃということになる。たとえそれが念仏であろうと、負けちゃならんというものが底にある。これが我々の行である。この負けじ魂でやっているのではないものを非行という。

非行について今二つ言っている。一つはわれらの決断、努力を要しないもの、それらの入らないもの。二つにはわれらの負けじ魂の入らないものである。

今この負けじ魂を仏教では我慢という言葉で表わす。我慢というと、じっと我慢するという使い方もあるが、後にそういう使い方もするようになったのであろう、仏教では違う。慢は高ぶるという。人と自分を比べて自分が劣っていては気がすまない心を慢という。先ず自分と人を比べるというのが人間の深い煩悩である。迷いである。何も比べる必要はない。桜とすみれが相手と自分を見比べて、相手がつまらん自分が偉いと言ったこともないし相手が偉くて自分はつまらんと言ったこともない。すみれはすみれ、タンポポはタンポポ、桧は桧であって、それぞれ独自の光を放っているのである。それなのに人間は比べる心を持っている。そして自分の方が高くないと承知できない。それを我慢という。

我慢はそれだけに終らないで、おれがおれがと自分の思いに執着する。これを我見という。また、自己を愛する我愛の心。我慢、我見、我愛はいつも一緒に、つながっている。その代表として「劣るまじきと思う心」をあげているのである。人間の行動の底には深い煩悩がある。それを負けじ魂という。今は劣るまじきと思う心。深い競争心である。言いかえると自己執着である。それが行動の根底にある。それらを人間の行という。

世間でものを習うのは煩悩が根本になっている。それでは人間の行動はすべてそうなのかというとそうではない。先の言葉に続いて「仏法には無我にて候う上は、人に負けて信をとるべきなり、理を見て情を折るこそ仏の御慈悲よ」と言って結んである。これは仏教の行というものをよく言ってある。

我々が世間心、持って生まれたどんぐりの殻の中でものをやる時には、心の根底に負けてはならんという我慢、我見、我愛というものがある。しかし仏法の行は違う。仏法は無我という。

無我とは、我見を打ち砕かれ我慢を打ち砕かれ、我愛を打ち砕かれた天地を言う。どんぐりが殻の中にあってその中にあってその中で行動を起す時は、全部負けじ魂、競争心でやっているのである。更に言えば損をしてはならぬ、人から悪く言われないようにと思ってやる。それが世間の行である。しかし仏教の行は無我である。殻を出ているのである。光と水を吸収して我慢、我愛の殼が砕かれて発芽をしたら、そこからが仏法の行であり仏法の世界である。殼の中が世間である。無我とは我が無いのでなしに、我慢、我見、我愛の殼を出た世界をいう。我々は無我になろうとしてもなれるものではない。無我夢中になった、精神統一して無念無想でやった、そういうものが無我かというとそうではない。精神統一してぶつかっていって勝とうとしている心がある。勝とうというものに執われているならば無我ではない。その殻が破れて勝つも負けるもない、念仏の心を無我という。即ち光と水とを私心を離れて吸収して、広い天地に出た感謝の心を無我という。従って念仏が生まれるには深い教育がなされねばならぬ。この無私の行を非行というのである。

「人に負けて信をとる」。人に負けるとは何か。負けるとは勝ち負けでなく、受けとめる。そのあとに「理を見て情を折る」とあるが、「負ける」とはこれである。我々は道理と知っても感情、我情、私の思いというものを捨てきれず、向こうにも一応の道理があると思っても、一度言い出した以上自分の言い分を通そうとする。向こうが正しくても自分の主張を貫こうとする。自分が間違っておったとなかなか言えるものではない。あなたにも道理があるが私にも道理があると言いたい。けれども自分の感情をへし折って道理に従うというところに仏のお慈悲がある。殻の中に閉じこもっている限り、道理が道理とわかっても自分の主張を引っこめるわけにはいかない。自分の感情の思いを通そうとする。そうではなく、道理が道理とわかったならばその道理の前に、私が間違いであったと言えるのを負けるという。道理に従っていくところに仏法の世界がある。そこ大きな仏の働きがある。この働きを受けとめることを負けるという。それは負けじ魂をこえ、我慢、我見、我愛を超えて一切の道理を受けとめていく。スケールの広い世界である。これを信というのだと言われている。

仏法はそれでは向こうの主張を聞き入れるばかりで、負けてばかりいるのかというと、そうではない。いつも道理に立った主張ができるのである。我々は小さな殻に閉じこもって、負けてはならぬという心で行動している。選挙にしても負けてはならぬといえ橋を造るのにも世界一だ、東洋一だという。無意識のうちにその心が出てくる。学校でも、成績も受験も、負けちゃならんというところから出ている。いつも言うように、大日本帝国というのも負けちゃならんという精神の表われである。今は大日本というのはやめた。隣は大韓民国と、大という字をつけている。我々も大をつけたいのである。が、そういう心が砕かれるところに真の連帯、肩を叩き手を握って共々に進んでいこうというものが生まれ。負けてはならんというところには、広く人を包み願いを持つということは出来ない。

その殻はどうしてこわれるのか。教のハンマーで叩かれるしかない。教が届くことが大事である。それは丁度曲った釘を金槌で叩くようなものである。しかし金槌があれば釘は真直ぐになるのかというとそうはいかない。どれ程叩いてみても真直ぐにはならない。それは砂だからである。下に鉄床(かなとこ)を置いて叩かなければハンマーの力は届かない。その鉄床こそ人であり事件である。現実である。現実という鉄床の上に私が置かれて、教というハンマーで叩かれた時に、私の負けじ魂、我慢あるいは名聞利養勝他の心が打ち砕かれてくる。本願真実が一つは教の中から届き、一つは現実の中から私に届くのである。それを教に負けるという。一つは現実の中から私に届くのである。それを教に負け人に負けるという。

「仏法には無我にて候う上は」とは、仏法においては人間の殻が打ち破られて、我見、我愛、我慢の殻が打ち砕かれるということである。それは人に負けて信をとるのである。それは現実の中から力が届くのである。

人に負けるとは、その現実の持つ意味、現実の中に流れている道理が私に南無阿弥陀仏と叫んでいる、私に教えているものを受けとめることをいう。

現実とは人であり事件である。子が死んだ、家が焼けた、病気した等々すべて現実である。ある面から言えば人である。私においてこの人さえいなければ私は幸せであるのに、この人が居るばっかりに私は不幸であるというような、そのような人。この人の持つ意味を道理という。大事なことを私に教えているその道理を私が受けとめることを負けるという。我々は現実を打ち砕いて、現実に打ち勝とうとする。

相手を叩きのめして私の思いを通したい。子が死んだ、その事を悲しみ悔んで、その現実をどうしても受け取れない。現実を拒絶したいのである。そうではない。この現実が私に道を教えているのだ。それがわかることを現実を受け取るといい、現実に負けていくという。今は「人に負けて信をとる」という。

かつて申したように、私の寮の女子学生が自殺をした。このような事はあまり度々申すべき事ではない。が、他に適切な例がないので申すような次第である。この事が新聞に出たら困るとか、どうして自分の家で死ななかったんだろうかとか、私に何か相談してくれればこんな事にはならなかったろうにとかいうように、この現実をなかなか受けとめるということが出来ない。その現実を否定したい。こんな現実があっては困るのである。あってはならない事なのだ。何ということだ、と現実と対立する。負けじ魂は常に現実と対立し、現実をやっつけて勝ちたい、相手が悪くて私は間違いないんだと言いたい。その思いにかられている間は現実と手が握れない。

その現実を包めない。本当に受けとめられない。現実を受けとめることを「負ける」という。その現実が私に物語っているのだ。その子が亡くなったということが私に対する深い深い教えであり私に対する深い深い警告であり、まことに私の為の善知識である。うかうかした生き方ではいけない、真に求むべきものを見失っているのではないか、あなたの生き方は本当ではないんじゃないかと私を叱咤激励しているのだと、私が本当に懺悔してその現実の持つ意味を頂く時に、それを現実の前に私が破れ去るという。それを「現実に負けて念仏する」という。

清沢満之というお方は「わが信念」でそれを「現前の自己に落在する」と言われた。落在とはいい言葉ですね。落ちるわけである。現実を受けとめ、現実の前に破れ去って、現実が南無阿弥陀仏と私に呼びかけ、教えているのであると本当にわかったならば、私は愚かな私に落ちつくのである。お粗末な私、誠に申しわけない私、南無阿弥陀仏となる。これを「理を見て情を折る」という。「人に負けて信をとる」といい、これを仏法という。そこにはじめて負けじ魂を超え、人間の我見、我愛を超えてものに接し得る広い見方を持つ人が生まれるのである。

鉄は一度熱せられ叩かれて、更に水の中に入れられて硬い鋼となる。叩かれて叩かれて鉄の持っている硫黄とか銅とかの不純物が除かれて、そこから鋼鉄が生まれてくる。我々の負けじ魂が教と現実に打ち砕かれ打ち砕かれて、現前の自己に落在していく。現前とは、現に目の前にある真実の私、お粗末な私である。そこに生まれるものが非行念仏である。

われらの行の根底にあるものが明らかになると、非行というものが明らかになる。われらの行は煩悩を根底に持っている。非行とは、そういうものを離れた行、即ち根底に煩悩を離れた行を非行という。これが非行の二番目の意味である。「理を見て情を折るこそ仏のお慈悲よ」。現実を受けとめて念仏するところに仏のお慈悲が届いている。我々は自己を現実の鉄床の上に置いて教のハンマーを受け取らねばならぬ。その時はじめて現実に負けることができる。負けるとは負ける・勝つの負けるではない。現実の前に破れ去るのである。現実に合掌する、現実を宿業として受けとめる。この時現実の持つ意味が本当にわかる。現実が私に教えている。現実こそが善知識と本当に知る。ここに如来の行が誕生し仏法が成就する。

如来の行とは、煩悩を離れた清浄真実まことの働きかけをいう。

私という存在を法という。諸法とか万法とかいう時、法は「ものがら」という。そのものがらを包む大きな世界がある。その大きな世界を超高次元といおう。われらは低次元の考えしかない。低次元とは勝つか負けるか、行くか退くか、やっつけるかやっつけられるかというような低い世界。これを数学では線型という。直線型というか、非常に単純な考え方を線型という。低次元のことを言っている。これに対して広い世界を高次元という。高次元の世界を如、一如、真如、法性という。ものがらを相対というならば、それらを絶対という。法性の中に法は存在している。法性の世界から法に働きかけてくるのを如来の行という。なぜ働きかけてくるのかというと、働きかけてくるようになっている。それを願力自然という。自然とはそういう道理になっている。

親が子を思うというのはそうなっているのであって、それを止めることは出来ない。水が低い所に流れるように、そうなっている。働きかけるようになっている。それを南無阿弥陀仏という。南無は帰れであり、阿弥陀仏はこの大きな世界、永遠なるもの無限なるものである。大いなる世界に帰れと呼びかけるものを南無阿弥陀仏という。それを煩悩を離れた真実まことの働きかけという。それを本願の行といい、如来の行という。

南無阿弥陀仏というのは、我々が南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称える念仏のことと思っていた。そうではない。大きなものの呼びかけなのだ、「はじめにコトバありき」のコトバなんだ。真如法性からの働きかけである。それを表わしたものが『大無量寿経』であり、親鸞聖人の『教行信証』の中心である。南無阿弥陀仏は如来の行であるということをはっきりされたのは親鸞聖人である。それが私に本当にわかった所、聞き開いた所を信という。その信が南無阿弥陀仏と応答していく。それは人間の行であるままで如来の行である。これを非行という。

「こんにちは赤ちゃん、私はママよ」という歌があるが、母親が「私はママよ」ということが子供にわかってくると、ママと言って母を呼ぶ。ママという意味はまだよくわかっていない。しかしその応答は呼びかけが届いて応答をまき起すのであってそれはまた母の呼びかけの行といわねばならない。これを南無阿弥陀仏といい、称名念仏という。

このような話は地味な話であり、根本的な話でありわかりにくい話である。が、これが中心にないと『歎異抄』は全然わからない。念仏念仏念仏と書いてある。念仏がなぜ非行なのかがわからねばならない。なぜ念仏が「念仏にまさるべき善なき」と言われるのか、なぜ念仏が本当の連帯を生んでくるのかがわからない。南無阿弥陀仏は如来の行なんだ、低次元のわれらの考えを離れた超高次元の世界からの自然の働きかけ、本願の働きかけが南無阿弥陀仏であって、それが如来の行である。だから応答して出てくるものも非行である。これを「念仏は行者のために非行非善なり」という。

第八章はそこから出発して、一番中心点はその次の所にある。即ち念仏は「ひとえに他力にして自力を離れたる故に」というのが中心点である。従ってそこに「行者のためには非行非善なり」ともう一遍繰返してある。「ひとえに他力にして自力を離れたる」ものが念仏である。このことがはっきりわからねばならない。

この章は第七章からの続きで、第一章からのまとめが出ているというべきであろう。

第八章の書き出しは、「念仏は行者のために非行非善なり」とあって、以下続いて念仏が主語となる。で、「念仏はひとえに他力にして自力を離れたる故に」となる。

「ひとえに」は、専ら、ただ、全くという意味で、念仏はただ全く他力である。

「他力」とは、『教行信証』の行巻に「他力というは如来の本願力なり」とある。これが正しい定義である。念仏は全く如来の本願力である。ここに第八章の中心がある。同時にまた、『歎異抄』に出てくる念仏の意味をあらわした大事なこころが述べられている。

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