十三、往覲

『歎異抄講読(第六章について)』細川巌師述 より

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 往覲(おうごん)とは『大経』下巻の東方偈にある。往覲偈という。これは東方にいる諸仏が自分の教えた菩薩を勧めて、西方即ち本国の弥陀にまみえしめるという。この勧めに応じて東の国からも南の国からも北の国からも菩薩が弥陀本国に往覲をするということが説いてある。

 往覲とは、往はゆくという、覲は諸侯が天子にまみえることをいう。まみえるとは、お目にかかり御挨拶をしてお礼を言うことである。今は菩薩が弥陀仏のみもとに参り、供養聞法することをいう。

 諸仏とは華光出仏である。諸仏は如来浄土の華、蓮華の花の中から出でたもう。「一一の華の中より三十六百千億の光を出す」。一一の花びらの中から無量の光を出すのである。「一一の光の中より三十六百千億の仏を出す」。この仏が衆生を仏道に立たせて菩薩とし、この菩薩に「西の方へ行け」と勧める。この諸仏をよき師よき友という。

 如来浄土の華から生まれた諸仏は、衆生を私有化しないで往覲せしめる。即ち自己の本国へ旅立たせ、阿弥陀仏にまみえしめるのである。菩薩は諸仏の教によって自分が帰るべき場所、歩むべき場所を持つ。諸仏は菩薩をわが手許にとどめようとしないお方である。ここに「親鸞は弟子一人ももたず候」と言える根拠がある。みな仏にお返しするのである真この本国に帰ることを往覲という。

 講録には「身を捨てずして往くを往覲といい、身を捨てて往くを往生という」とある。これはいい表現ですね。肉体を持つこの現実人生において帰る所を持っている。行ってまみえる、即ち行って挨拶をし頭を下げてお礼を言い感謝をする場所を持っている。それを往覲という。

 この本国、弥陀の浄土に生きた肉体を持って進んで行くとは何か。それは弥陀への帰依である。師弟というつながりにとどまるのでなしに、往生の大道を行けと、わが弟子を往覲の道に立たしめることは、彼を自由の天地に放つことである。

 本国で弥陀の説法に遇うた者は、また諸仏の国に帰って来て諸仏に仕える。これを供養諸仏という。こうして菩薩は供養諸仏、奉事師長、開化衆生という働きを展開する。供養諸仏とはよき師よき友の教を聞きぬくこと、つまりよき師に仕え(奉事師長)よき友と励ましあい、語り合うこと、そして人々に働きかけて一人でも多く仏道に立ってくれるように努力する(開化衆生)のである。

 諸仏はその弟子に西の方弥陀の浄土へ行けという。この教に従って往覲した者は帰って来て再び諸仏に仕える。そこに「親鸞は弟子一人も持たず候」というままが真の師弟の成立となる。諸仏は衆生を菩薩として見る。往覲の菩薩として発遣する。常に友よ!である。このような人が衆生われらにとって常によき師である。師から見れば、師は常に弟子に友よ!といい、弟子から見れば弟子は常に師よ!という。師は友よと言ってわが本国に帰す。そこに弟子に対する深い連帯感と配慮と深い責任と尊敬がある。弟子を呼ぶところに真の愛情と深い因縁を喜ぶ師の心がある。そして弟子はこの人に深い尊敬を持つ。これを往覲偈はよく表わしている。そこに淡々とした中に作為を超え演出を超えた本当の師弟関係が成り立つ。

 後学の故に弟といい、養育の故に師という。私よりも後に続いて浄土に直結しているから後学の故に弟という。弟というところに深い尊敬と愛情がある。また親がなければ子がないように、私を育ててくれる師である。「子」という所に弟子の感謝の心がよく出ている。

 信心は宿縁に対する開眼である。私を深い深い世界につれ出して下さった尊い縁、その縁の根本は南無阿弥陀仏、如来浄土である。しかしその具体相はよき師よき友の縁である。

 私事になりますが、私が現在このように仏法を頂くことができたのはただ一つ、先生にお遇いできたからである。亡くなられた先生にお遇いできたについては二つわけがある。一つは私自身である。私自身から言えば私は福岡の人間であるのに、先生のおられた広島へ出て行ったというところに縁がある。広島の高等師範は学費が要らなかった。福岡にはそういう学校がなくて広島へ行ったわけである。もっと家が金持ちならば遠くへ行かなくてもすんだのである。しかし家が貧しかった。この事だけを考えるならば私にとって悲しいことである。だが、それが却ってこのように広島で先生とつながるという深い深い縁になったのである。私にとっては悲しい事も生きている。貧乏は逆縁でありながら今日の為になくてはならない尊い縁である。不幸は一転して幸となり、感謝しなければならないものとなっている。

 先生の方から言うならば、仏法がなかったならばおそらく先生は小学校の教師として一生を終られたであろう。それが職場を追われて聖典一巻と珠数一つを持って念仏一道に悪戦苦闘されたのは先師が仏法に打ち込まれたためである。職場を追放されたことを縁として先生は御一生を仏道一つに捧げられた。追放はこのためになくてはならぬ縁だったのである。このようにあらゆるものが私において先生にお遇いできた縁となった。「遠く宿縁を慶ぶ」という聖人のお言葉は、実に深い意義があると言わずにはいられない。

 考えてみると人生の一頁々々の出来事の中には、引きちぎって捨てたいような頁が何頁も続いている。が、それを引きちぎったのでは次の頁は出てこない。捨てたいような頁があればこそ次の頁が出て来、そしてそれらはすべて仏法に遇うための縁として生きている。

 つくべき縁、離るべき縁は喜怒哀楽を超えている。「離合集散は因縁による」、私が一つ道を進ませて頂く。そこにあらゆる縁が生きてくるのである。第六章のこの言葉は深い深い智慧の言葉である。

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