十一、神通方便

『歎異抄講読(第五章について)』細川巌師述 より

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神通という言葉の意味。神とは神様でなく、心の働きをいう。精神の神と同じ。神通というのは智慧の働きをいう。前に申した無生法忍の忍も智慧の働きである。忍即ち本当の認識、真実の世界を知るとそこに深く人生を知る智慧が生まれる。その智慧を六神通という。今は略して神通という。

六神通とは天限智通、天耳智通、神足智通、他心智通、宿命智通、漏尽智通の六つである。
天眼智通、天眼とは天人の眼である。いわゆる物の表面だけを見るのでなしに、本質を見抜く智慧を天眼智通という。昔は名医があった。その名医の前に座ると、患者の顔色を見てピタリと病気を当てる。今は色々と検査してからということになっているが、病人を見て深く病根を見抜くのを名医という。人の深い内面を見抜く智慧を与えられるのを天眼智通といい、仏智の働きをいう。
天耳智通、我々が聞いているのは声であり音であるが、それを通してその奥深い悩みや訴えを知ることができる。いわゆる赤軍派テロなどを表面的に見るならば、実にそれは軽率な考えのない行動と主張をしているように見える。が、本当に聞いたならば非常に純粋なものがあり得る。それは非常に深い社会の悩みを訴えているかも知れない。そういうことがわかるのを天耳智通という。
神足智通、自分はここに居りながら遠くまで心が及んで、心の足が駆けていく。長い長い昔、遠い遠い彼方に思い至る足を持っている。
他心智通、他の人の心、その中味を知ることができる。
宿命智通、人の長い長い過去を知ることができる。我々は現在しかわからないが、その歴史、背景がわかる智慧である。
漏尽智通、漏は煩悩。漏尽は煩悩の尽きはてた世界、即ち欲とか得とか、名聞、利養、勝他などの心を離れた智慧をいう。客観的な見方、普遍的妥当的に物を見ることができる仏の智慧である。これを合わせて六神通という。いそぎ覚りを開いて仏となり、このような深い智慧をもって、人々へ近づいていくのである。

方便とは接近、到達、自分から向こうへ近づいていく。私の方から向こうへ足を運んで、その人達に接近して善巧方便する。善巧方便とは色々な手だてを尽してその人と因縁を結び、その人を仏道の世界に連れ出すことをいう。善巧方便の内容としては四摂事ということがある。相手を受け入れ、育てる四つの道である。相手と深く因縁を結び、色々な方法で近づいてその人と仲良しになって、一緒に深い世界に旅立って行こうとする。

先にも述べたが四摂事とは、布施、愛語、利行、同事という。布施とは物をわかち与える。愛語とはやさしい言葉。利行とは相手の為になることをしてあげる。困っている人を助けてやる。病気の人には何か役に立つことはないか手助けをしてやる。

どうしていいかわからぬ人には相談にのってやる。これを利行という。同事とは一緒に仕事をする。協力する。これらを善巧方便といい、四摂事という。

家庭の中で行き詰まると、先ず物を言わなくなる。その時こそものを言わなければいけない。四摂事でなくてはいけない。私から働きかけがなくてはいけない、必ず自分の方から接近して到り届ける。これがいそぎ覚りを開いたところに出てくる人生への働きかけである。

 

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