四、親鸞におきては(主体の確立)

『歎異抄講読(第二章について)』細川巌師述 より

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 親鸞におきては、「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべし」とよきひとの仰を被りて信ずるほかに別の子細なきなり

 第二章は、関東の国からはるばる尋ねてみえた多くの弟子達を前にして、聖人御自身の考えを述べられたものであります。はるばるたずねて来た人達は、色々の事件によって信心の動揺をきたしていた。それに対する親鸞御自身の心の内容を明らかにされているのが第二章であります。信心の動揺とは何か、それは要するに信心が浅いのである。深い信心、動揺しない信とは何か。それは「傾動すべからず」というような天地である。それが聖人の境地である。それは「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひとの仰せを被りて信ずるほかに別の子細なきなり」という、これがお答の中心点であります。先ず、「親鸞におきては」について申しあげたい。

 親鸞聖人の特徴は先ず、大事な所では自分の名前を出しておられることであります。『歎異抄』では「親鸞におきては」となっていますが、『教行信証』では「(ここ)に愚禿釈の親鸞」とか、或いは「釈の鸞」という言葉が随所に出てくるのであります。「私は」といわないで、「細川巖は」というのは非常にあらたまっていう場合である。また、大事なことを確信を持って言うような時に使う。単なる私ではなく、「親鸞、私自身である」というふうな表現で出ている。普通はなかなかそういうふうな表現は使わない。みな「私は」とか「僕は」という。が、親鸞というお方はそういう使い方をなさる。「親鸞におきては」というそこにきわめて厳格な、厳粛なひびきがある。そこに感じられるものは、「主体の確立」である。主体の確立において「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしとよきひの仰を被りて信ずるほかに別の子細なきなり」ということがあらわされている。

 さて主体の確立ということでありますが、いかにして「親鸞におきては」というようなことが言えるのであろうか。先ずこの文章を忠実に見ると、「ただ念仏して」−これを行という。「弥陀にたすけられまゐらせる」−これを証という。「よきひとの仰」−これを教。「信ずる」−信という。このようにその内容は、『教行信証』というものになっている。即ちその主体の告白が『教行信証』という骨格を持っている。骨格というのは論理性といったようなものであります。はっきりした宗教的論理性を持っている。いわばそのお言葉の内容に、はっきりした骨組みがあるのであります。

 宗教にはかねてから申しますように、内容としては教行証という骨組みがある。教はその中に行と証を含んでいる。真の宗教は長い伝統をもち、その中にはっきりした論理を含んでいる。行というのは実践すべきもの、証といえばその実践によってあらわれる悟りと申しますか、結果と申しますか、到達する世界、開ける天地であります。今日色々の宗教があります。けれども教行証の骨格という点から見ますと、はなはだ貧弱なものが沢山ありまして、大体「何を行じていくのか」「そうしたならばどうなるのか」ということがはっきりしないものが多いのであります。

 「ただ念仏」という行が「弥陀にたすけられまいらせる」という証をうむ。それを説いたものが『大無量寿経』である。略して『大経』といいます。その『大経』の教に立って、真の行と真の証が私において自覚となってくる。それを『教行信証』という。親鸞というお方の『教行信証』をいただくと、全部「真実の教」「真実の行」「真実の信」「真実の証」と、真実と言ってある、真実とは何かといいますと仏の世界、これを本願海という。真の世界(まことの世界)というのは我々から遠く離れていて、我々が考えようと考えまいと、知っておろうと知っておるまいと、まことなるもの、これを真如といい如という。その世界が実になる。実になるということは、そういう世界が人生、いや具体的には私の上に生きてきて、本当に「そうだ」というものを生んでくる。つまり真が実になる。真というのは鉄砲の玉である。それが私に当った、それが事実になる。仏の本願は私達を超えてまことである。それが事実になった。真なるものが事実になった。それが真実である。単に抽象的な語だけでなしに、本当に私の上に生きてきた。真(如来の本願)が私に届いて実になった時、南無阿弥陀仏が私の行となった。必ずたすけられてゆくという実になった。真実の教、真実の行、真実の信、真実の証というものになったということである。そこにいわば「伝承と己証」(これは曾我先生の書物の名前である)がある。釈尊以来伝承されて来たものが教である。真の教である。それが私の上に本当に生きてきた。それが己証でありそれを実という。

 『教行信証』は、顕真実教、顕真実行、顕真実信、顕真実証という四つから出来ていまして、『教行信証』(『御本典』)の初めにそれが述べられてあります。いわゆる総序と申します所に標列というのがありまして、顕真実教一、顕真実行二、顕真実信三、顕真実証四、(これは一巻、二巻、三巻、四巻、ということです)ということになっている。「親鸞におきては」という主体の確立は『教行信証』の骨格即ちこれを一言でいうと教を聞きぬいたところに生まれたものである。

 私達は主体の確立というものを非常に望んでいる。主体が確立しない場合は動揺があり、あせりがある。暗いということがあり、悩みがある。主体が確立しないときには不安定なものがある。そこで「主体を確立せよ」というときには色々のことを言う。「自信を持て」とか「他の人のいうことに引きずられるな」とか、色々なことを言って心を安定させようとする。けれども自信を持てといわれてもどうして持っていいかわからない。「自分が一番えらいんだ」とか「人は皆つまらないんだ」とか「皆を無視して無我夢中でやれ」とか、そういうふうなことが自信を持つことと思われている。自信を持つということは主体の確立であるが、それには教というものがいる。或いは大きな世界というものを基盤に持っていなければならない。教の骨格を持っているということが大事である。私がはっきりとした基盤の上に立っていることが大事である。その基盤が明らかであって初めて主体というものが出てくる。その基盤は何か、それは『教行信証』である。それを一言でいうと教というものである。その教の内容を行といい、また証という。その教が彼の上に深い信をもたらしたのである。これを『教行信証』という。教はよき人の教で、この内容が「ただ念仏して」という行、「弥陀にたすけられまゐらす」という証、それが教の中身である。その教が彼に深い自覚をもたらしている。それを信という。これは信じ込むということとは違って、それによって深い自覚というものを開かれたのである。それを信という。その信、或いは主体というのは、何の上に立っているかというと、教行証というものの上に立っている。教行証と信は離れない。その『教行信証』は何の上に立っているのかというと、それは深い世界、それを根源からの喚びかけ、それを弥陀の本願という。弥陀の本願という根源、私を支える一番の根源からの喚びかけが真、まことというものである。そのまことからの喚びかけが私において実となった。それを真実の教行証という。それが基盤なのである。その上に立つと何物にもゆるがない自信というものが出てくる。

 まとめていうと、本当の根源を持っていること、そこに主体の確立がある。本当の根源を持っているとは具体的には何かというと、教行証を持っているということ、つまり教を頂いているということである。それを「よき人の仰せを被りて信ずる」という。そこに基盤がある。そこに「親鸞におきては」ということがでてくる。それは「私は」というようなものではない。「親鸞におきては」と、自分の固有名詞と申しますか、自分の名前を出して言わざるを得ないような深い深い確信なのである。主体の確立なのである。主体の確立、これは何によって生まれるか。それは本当の根源に立つということである。私を根本的に支えているものの上に立つということである。それは具体的には「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よき人の仰せを被る」ということである。そこに『教行信証』の骨格がある。即ち教を持っている。そこに自信が与えられる。自信というのは、俺が俺がという自信ではなしに、「仰せを被りて信ずるほかに別の子細なきなり」というような非常に謙虚なものである。

 ここで考えなければならないのは、いわば人間の根源というもの、或いは人間の基礎というものである。かつて申したことがあると思いますが、我々の一番大事なものは基礎である。この基盤というものには色々なことが考えられる。私の体験、学問、信念、知性、色々なものがあろう。こういうふうなものを我々は基盤としてそこで物を判断し、或いは処理していこうとするわけである。仏教では知性や体験や学問を基盤として考えていくことを虚妄顛倒という。虚妄顛倒とはどういうことかというと、虚はむなしいという、妄は間違っているという。そういうことでやっていくと必ずひっくり返ってしまって、思うような結果は出て来ない。それを顛倒という。ちょうど砂浜の上にろくな基礎も打たないで建物を建てるようなもので、立派なものをたてればたてる程、早くひっくり返ってしまう。これを虚妄顛倒という。

 かねて申しました例がある。ある人がいわく、その人は今は有料老人ホームに入っている人であるが、ある先生に尋ねなさった。「私の考え方のどこが違っているのでしょう。私は若い時から考えるのに、人間が幸せになるには第一には子供を教育しておかねばならん。第二にはマイホーム、私の家を建て、第三には金をためて老後のたくわえをしておく。これが道だと思ってその通りにやったのであります。金も持っている。が、子供は全部よそへ出て行って、手元に一人も残らない。家は建てたがあまり広すぎて、今は人に貸している。金はあるけれどその金を持って有料老人ホームに夫婦二人で住んでいる。私の計画によればこうなる筈ではなかった。仏教では私の考えのどこが間違っているというのでしょうか」こういう質問をしなさった。これはなかなか面白いですね。なかなかいい質問である。これはあなたの考え方の基礎は何かというと、あなたの知性、頭の中で考えた。或いは人のいうことを色々聞いて、そこであなたがそう考えなさったのである。が、そういうものは基礎にならない。そういうふうにやっていったら必ずこうなるということにならん。砂地に人生の計画を立てて、立派なものをやろうとしなさったからひっくり返ってしまうのである。考え方のどこが間違っているかというと、基礎とすべきものでないものを基礎とした。虚妄顛倒の考え方であった。しかし実際には、知性的に将来のことを考えるのは必要ではないか。「子供の教育とこれこれとは、誰が考えても必要ではないですか」。それを虚妄顛倒という。どういうことかというと、これは顛倒ということをもう一つ言い換えると、四顛倒という。常あることなきに常ありと考える。変らないものがある筈もないのに、こうやればこうなるというふうに、常あることなきに常ありと考える。楽あることなきに楽ありと考える。また、私のものというものはある筈もない。それは一時的に色々な因縁によって、今私の所に集っているにすぎないのであって、やがてそれはまた四散していくべきものである。それを我々は自分のものととらわれるのである。唯識の教では我々の知性的な考え、我々の信念と言っているもの、我々の体験、そういう基礎になるものの中に汚染が入っているという。われらの基盤自身が執われ、或いは迷いによって汚染されているわけである。汚染と書きますが、どういう執われかというと、それは自己中心的な思い、それを我見ともいいます。また我が身かわいやという愛着の思い、我愛、我慢という。そういうものがどうしても人間の考え、人間の体験、そういうものの中に入ってくるのである。それはちょうど澄みきった水の中に一滴の墨汁が入って全体を汚してしまうようなものである。そういうものをもって物を見ていくから、そこに出てくるものが予定と違ってくる。こういうふうに教えるのである。

 これは少し主題からはずれましたが、人間の基盤とすべきものは何か、その点をはっきりしなければいけない。私は直接は知りませんが、世界宗教者会議というのがあるそうでして、その中で一つの意見がまとまった。それは今後の世界というものは仏法によってたてなおしをされねばならない、世界は仏法というものを学ばなければならないという結論が出たということです。仏法というものはどこに中心があるかと申しますと、それは無我ということにある。無我というのは何か、無我とはいわゆる自分自身を無くしていくことか。そういうことではありません。自分自身を無くするなんてことでは人間は生きてゆける筈がない。そういう我でなく、我執である。自分というものに対する執われ、それの否定、それを打ち砕くということである。即ち我執の否定ということなしに、もはや世界はどうしようもない。新しい生き方というものはあり得ない。今日色々な闘争があり、ストがあり、色々な問題が起ってきているわけであるが、どちらの言うのを聞いてみても両方とももっともなことではあるが、どちらも執われている。いわゆる自己中心の思い、自己愛着の思い、たかぶりの心、相手をやっつけようという心、そして我が身かわいやという心、自分本位の考えの中で角つき合わせているのであって、新しい世界は先ず執われというものが打ち砕かれねばならない。自己中心の思いを基盤として考えていたならば、どこまでいっても解決はみられない。色々な問題が起るたびに我々は今こそ仏法というものを本当に理解してもらって、人間の自我の我執、つまり自我のとらわれを超える、その努力をしなければどうしようもないことを思うのである。

 俺が俺がということの中に汚染が入っているのである。今までの私の基盤は論理であり、知性であり、或いは色々な体験であった。そういうふうなものの上に立っていたのであるが、その限りでは金を持って有料老人ホームに入っていくということの繰返しになる。結局そういうことが形を変えて出てくるだけである。たとえば社会保障というものをしっかりやらなければならない、これは当然のことである。しかし社会保障の進んだスウェーデン、或いはイギリスに見られるように、そのことが必ずしも幸せをもたらさない。怠惰と寂寥というものの中に落ち込んでいく。色々な論理があり、色々な学説があるが、これを基盤としてやっていった時には、全然予想と違った結果が出てくる。こういうことはよくわかった事実なのである。大事なことはまず執われを超えねばならない。ここが仏教の一番問題にしていることである。それでは執われを超えるにはどうするのか。その方法は何かというと、本当の根源を見出してその根源からの喚びかけ、如来の本願を聞き開き、教に随順する。「仰せを被りて信ずるほかに別の子細なきなり」という所に、そこに無我というものが成立するのである。そういう方法を知っておかなければならない。人間を本当に主体的に確立させるものは何か。それは本当の基盤を持つことである。本当の基盤は何か。それは我々の言葉で言えば如来の本願である。一般的な言葉で言えば大きな世界というものである。大きな世界を自分の根本に持たなければ、それは結局自我のつき合わせになって、永遠の闘争というものにあけくれするだけである。

 関東から来た人達は、信の動揺をきたしてはるばる十余箇国の境を越えて来たわけであります。しかしながらこの人達もやはり本願の教を頂き、親鸞聖人の教をこうむってきた。「念仏して弥陀にたすけられまいらせる」ということをしっかり教えられて、何十年も育てられたのではないか。やはり本願の教を根底にしていたのではないか。それなのにこの人達は動揺をきたし、なぜ親鸞聖人は動揺しないのか。基盤は同じではないだろうか。なぜ片方においては主体の確立となり、片方はそうならないか、そういう問題があるわけであります。

 それは信の問題である。即ち、仰せを被りて信ずるという、その信の問題です。前回申しましたように信が小さいということ、或いはその信が浅いということです。これを偏心の問題といいます。信の問題について指摘した人の一人は曇鸞という人。曇鸞大師という人が信の問題をとりあげた。そのとりあげ方が面白い。『教行信証』の中に引かれていますが、「念仏を申したならば心の闇が晴れてほがらかになり、その人の心配は断ち切られて、道光明朗超絶して広い天地に出てくる筈である。しかるに『称名憶念することあれども』無明なお消えず。一生懸命南無阿弥陀仏して、教もしっかり聞いているのであるが心の闇が払われない。なぜか。」という問題である。信の純、不純という問題である。原典では淳、不淳とある。淳とは純粋、また厚い、また朴という。純粋であるか不純であるか、何かまじっているか、厚いか薄いか。朴というのはかざりけのないことを言いますが、自分自身をかざっておるのか、純朴な信であるのか、こういうことをあげます。また一であるのか、相続か不相続か。このように純一相続ということを出して、信心の問題を論じているのであります。基礎は同じであり、やっていることも同じであっても、それだけでは解決しない。主体の確立ができない。だから関東の人は動揺した。なぜ動揺しているかというと問題は信にある。淳か不淳が、一か不一か、相続か不相続か、こういうように分けてみると、これらが互に関連している。不淳であるから一にならない、一でないから相続しない、相続しないから一にならない、一にならないから不淳であるという。こういう関連をもっています。つづめて言えば信の問題である。信心が厚いか薄いか、淳か不淳が、或いは一であるか不一であるか、相続しているか不相続であるかというところに問題がある。親鸞聖人と関東の人はどこが違うか、それは信の問題です。

 もっと根本的に考えると、それは本願成就ということになる。本願成就によって信が生まれるのである。本願成就というのは根源からの喚びかけ、これが本願ですね。この本願を聞きぬいてそこに生まれてくるものを自覚といいます。その自覚を信というのである。本願が届いて生まれてくる、本願成就の信である。これを表わしますものを本願成就文という。「諸有衆生、聞其名号、信心歓喜」である。信心とは「諸有衆生、聞其名号、信心歓喜」と『大経』にある。必ず喜びがあるから信心歓喜と申します。信心はどうしてできるかというと聞其名号である。其の名号を聞きぬく、即ちよき人の仰せを被りて信心歓喜していくのである。聞其名号は関東の人も親鸞聖人も同じである。親鸞聖人は法然上人の教をよき人の仰せとして聞きぬいた。そして信心歓喜となったのであるが、関東の人達も親鸞聖人の仰せを聞きぬいて今までやってきたのである。だから聞其名号という点で厚い、薄いということは言えない。聞其名号というところは同じである。しかしながら信心が違う。片方は小さかった、片方は深い『教行信証』の基盤の上に立って大きな骨格を持っておった。それはなぜだろう。それは諸有衆生というめざめが成立するかどうかである。諸有衆生とは、かねて申しますように迷い深き自己、或いは罪深い私、罪悪深重の私ということ。罪悪深重、煩悩熾盛の私というものにおいて、その基盤、根底に立って聞其名号、信心歓喜というものが成り立つかどうか。自らに対するめざめ、自覚の問題である。

 自らを知る。その自らが明らかでなかった。諸有衆生、聞其名号にならなかった。そこに主体の確立があるかないかの差ができる。言かえると、関東の人達は親鸞の仰せ、よき人の仰せを被ってそれを通して仏の本願というものを聞き開いてきた。それを聞其名号というのであります。よき人の仰せ、本願を体解した人の仰せを被っていただいていく。これを対面者の宗教、前進者の宗教という。仏の教に真向きになって生きていこうとする。よき人の仰せを真向きになって聞いていこうとする立場である。一歩一歩前進しなければならない、更に深くその仰せを被って私が進ませてもらわなければいけない、こういう気持ちにもえ立っていたわけでありましょう。けれども諸有衆生、罪悪深重の私という立場ではないのであります。これは第一の立場、第一の出発点である。いわばスタートである。一歩一歩にじり寄り、一歩一歩進んでその仰せの本当の心を聞きとり、仏の本願にいよいよ迫っていこうとする、そういう生き方が第一の出発点であります。が、この立場は主体の確立ではない。それは主体の確立への出発点である。諸有衆生、信心歓喜ではない。しかしこれが悪いというのではない。これは出発点であって、ここから始まるのである。

 それでは親鸞聖人の立場はどういうものか。仏の本願というものは私の向うにあるのでなく、私の足の下にふみにじっている所にある。私は仏の本願を全く無視している。私はそこから遠く離れて自分勝手な辛せを求めている。その足の下から本願は私を喚びかけるのである。私に無視され、私に全く反逆されながら、なおかつ私に願ってやまないものがある。そういう姿、それは仏に対する私の反逆であり、誹謗正法である。そういう反逆謗法の自己というものに、なおかつ喚びかけられているという本願、それにめざめた者を諸有衆生というのである。

 よき人の仰せに私が近づくというよりも、よき人の仰せを無視している私、その教にそむいている自己、反逆の自己を見出していく。教から遠くにいる自己を照らされて照らされて、「お粗末な私である」と懺悔し、慚愧してゆく外ない自己、これを罪悪深重という。それを諸有衆生という。その諸有衆生の場においてはじめて「親鸞におきては」ということが出てくるのである。そこが関東の人と違うところである。自らを知るということが肝要である。自らを知る。自らを知るというところに自己の破局があり、自らの破局において本願の成就がある。主体の確立はここをおいてはない。それが「親鸞におきては」である。関東の人達は悲しいかな第一の出発点にとどまっていたのであろう。も一つ深い世界へ転回されねばならなかったのである。

 「親鸞におきては『ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし』とよき人の仰せを被りて信ずるほかに別の子細なきなり」。今、関東の人達とどこが違っているか、それは信の問題である。しかしながら信の問題は深いとか浅いとか、厚いとか薄いとかいうよりも、それは自覚である。諸有衆生、聞其名号である。そういうことを申したわけであります。それをも一つ別の角度から申しますと、主体の確立というものは、転回ということである。転回とは何かというと、ひるがえされるということである。ひるがえされるとは否定ということです。そこに深い転回というものがある。それが主体の確立ということである。転回なしに確立はあり得ない。それはかねて申しますように、卵がヒヨコになるという問題である。別の言葉で言えば日常的自己、日常性の自己から求道的存在へということ、これが大きな転回であります。日常的自己というのは日常性に追いまくられている自己ということである。日常性というのは実存哲学で使われている言葉であります。日常性ということについてニーチェという人は、我々をマーケットにむらがる蝿にたとえて「市場の蝿」という。これはなかなかひどい表現である。しかし我等は汚いものに群がる蝿であろう。ハイデッガーは日常性というものについて三つあげている。一つは好奇心、いわゆるせんさく好きという。キョロキョロしている。二つ目は中途半端である。何をやらせてみても続かない。三つ目は人生を空過している。空過とは何かというと人の噂、人の批判、或いは世間話に一日一日を送って、遂に空しく過している。これを日常性という。こういう日常性の中に埋もれている自己が求道的姿勢を持つようになる。そういうのを転回という。そこに主体の確立というものがある。即ち「親鸞におきては」というものが出てくるのである。親鸞御自身は「建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す」と『教行信証』の終の方に書かれた。そこに二十九才、日常性というものを脱却した。日常的自己をひるがえされて、求道的自己に立ちかえっていった。求道的立場に立つ身となった。それを「本願に帰す」と言われたのである。根源的なものの喚びかけにふれたわけであります。

 求道的自己とは何か。それは成唯識論で言われていることですがかねて申しますように求道の段階というものを五ついう。資糧位、加行位、通達位、次に修習位、更に究竟位という。資糧位とは、もとでになりかてになるものを集めていくという段階で、即ち材料になるものをたくさん集めていく。ピラミッドというものは広い底辺を持たねばならない。富士山という高い山は広い裾野を持っているわけであります。広い視野に立って色々なものを集めていき、貯えていくということが必要なわけで、それを資糧を集めるという。或る人が質問しました。「私は会社の都合でゴルフをやっていますが、ゴルフというものは仏道から見てやらない方がいいでしょうか、やった方がいいでしょうか」。なかなか面白い。色々な質問があるものですね。この人は課長ぐらいでしょうか。そこで私が言いました。「それは大いにやりなさい。しかしながら、ゴルフをやって勝ったとか負けたとかいうのでなしに、それが仏道の資糧になるといいですね。」と言っておいた。どういうことかというと、ボール打つ、こちらを向いて打ったらあっちへ行って松林へ落ちた。それが南無阿弥陀仏にならねばいかんですね。「しまった、こっちへ打ったのがあっちへ行ってしまった。体裁が悪い。」というような、そんなゴルフはやらない方がいいですね。「南無阿弥陀仏になるようなゴルフをやりなさい」と言ったが、さて意味がわかったかどうか。何でも仏道の資糧になる。成功も失敗も、何でも資糧になるのである。資糧を集めて実行する、これを加行という。資糧位のその前がある。資糧位以前を無自覚という。いわば自己本位である。これは汲々として勉強して成績を上げようとするが、自己中心の考えでやっている。そうではなしに、私がいわば材料を集め資糧を集めて、自分自身の向上、自分自身の前進、何とか本当の人間形成というものをやっていこうというのが資糧位である。

 そして実行するものを持つのが加行位。ここまでの段階を日常的自己というのである。無自覚のままの自己本位の段階から、資糧位への出発というのは大変大事なことである。ここに一つ大きな問いを出さねばならない。「君はそれでよいのか」というのが、ここで考えらるべき大きな立札である。この立札に驚いて、しっかりやらねばいけないというところに資糧位、加行位への出発があるわけである。しかしながらこれをまだ日常的自己という。やっぱりキョロキョロしており、やっぱり空しく過ぎている。人に振り回されて空しく過している。中途半端でいつやめるかわからない、そういう危険性をはらんでいる。頑張って無自覚より資糧位、資糧位より加行位へと進んできても、いつやめるかわからんとハラハラしてなければならないのがこの段階であります。しかしながらとにもかくにも出発したのである。私たちはこの人達を大事にしなければならない。そしてそこからも一つ転回して「親鸞におきては」というものが生まれるようになってほしい。それは通達位である。これを転回といい、深い主体の確立という。ここに初めてめざめということがある。卵からヒヨコに殻を破って出てくるということがあり、自己中心の日常的自己から本当に頑張らなければならんというものが表われてくる。それを求道的自己という。そういうものが生まれてくるところを転回という。こういうのをコペルニクス的転回という。コペルニクス的転回とは、今まで太陽の方が地球を回っていると考えられていた。そこにコペルニクスが現われて、地球の方が太陽を回っているのだということを明らかにした。このように全くひっくり返ってしまったのをコペルニクス的転回というのである。こういうふうに変った。これが通達位というのである。

 どういうふうに変わるのか。何回も申しますように水車にたとえるならば、水車が水を受けるようになる。それが無自覚から資糧位への出発である。しかし水車がどれだけ水を受けても回らない。それが資糧位、加行位である。なぜ回らないかというと心棒にサビがついている。このサビが落ちて水車が回りはじめた。それが通達位、水車が回ると同時に米をつく、粉をひくというような仕事をはじめる。これが修習位。この通達位、修習位の生活を求道的生活という。ここから人生が仏道になる。人生が仏道になるとはどういうことかというと親鸞聖人のお言葉を借りるならば「身を粉にしても報ずべし」ということがうまれる。わが人生を仏道のために捧げるというようなものを持ってくる。今までの空過でなしに、キョロキョロでなしに一つの凝縮されたものを持つようになる。また現実人生の中に、仏道に立つ本当の人を拝み出していくことができる。仏道が単に空理空論に終らないで、その事実を人生の中に拝むことができる。十七願海の発見ということがありますが、自分の先生に本当の仏の働きが具体的に生きているのだという感銘を持つようになる。そこに転回というものがある。今までの人生は自己中心であった。そこから変った。どんなふうに変わるかといえば、仏道中心に考えるようになる。それをコペルニクス的転回という。そういうふうに変ってくるところに「親鸞におきては」というものがある。ただ信ずるというものではない。

 それでは資糧位、加行位という仏法を学びはじめの段階はつまらないのか、もとでを集め、糧を集めて聞いている、実行している、これは日常的自己でつまらないのかというと、そういうことはありません。今この卵は厚い殻の中に、黄身と白身と胚がある。この卵が本当に転回するとはどういうことかというと、ヒヨコになって殻を破って出てくるということである。けれどもそれまでの必ず必要なプロセス、順序というものがある。殻は堅い、しかしこの殻が破れなければいかん。そのためには堅い殻のまま親鶏に抱かれて、その中で目玉が出来るのである。その中で嘴ができ、足が生え、毛並が揃ってくるのである。即ち殻の中で自己形成を遂げているのである。それが資糧位、加行位である。中において着々として形成され形作られていくものがある。しかし本当の主体の確立というところまではまだいかない。そこに問題がまだ残っている。

 そこで資糧位、加行位の段階で大事な問題は何か。その時その時に大事な問題があるものです。たとえば小さな子供にとって大切なことは躾をするということであろう。それは小さい時からしなければいけない。これはわかったことですが、言うべくして実行できんことが多い。躾ということで大事なことは第一に自分のことは自分でするということ、第二に人に迷惑をかけないようにということであろう。それは大きくなって躾をしようとしても大変なことである。どうしても子供の時にしなければならない。その時その時において大事な問題がある。

 今、資糧位、加行位のこの段階で大事な問題は何か。それは求道の姿勢を正していくということ、これが一番大切なことである。求道の姿勢を正すことが基本姿勢である。第一に消極的な姿勢から積極的な姿勢へということである。消極的とは受け身であり、積極的とは自分が立ち上がって聞くということである。その姿勢を励ましていくということが大切である。も一つは女人性の払拭、女人的性格を取り除くということである。これは既に申しました。

 次に通達位の段階で大事なことは生活という問題である。生活の姿勢ということである。生活の姿勢とは何か、それは脚下照顧ということであろう。自分の足もとを見つめていくといくことである。その一つは自分の言っている事と、している行動との差、ギャップを縮めていくということである。顔が一つになるという話を前にしましたが、どこにいても顔が一つになるように努力せねばならない。そういうことが大切であります。現在色々な宗教家がいるわけであるが、考えや思想だけの人もあり、研究だけの人もある。仏法を勉強していても生活は全然仏法と別個の生活をしている人もある。しかしそれでは仏法ではないのであって、それは考えなおされねばならない。脚下照顧という、これが大事なことである。これを求道的存在という。日常的存在で大事なのは求道の姿勢であり、求道的存在にとって大事なことは生活の姿勢であると思います。

 話がとびますが、ある時期に人の伝記を読んでおくということは大事なことだと思いますその時期は二つあると言われている。一つは十代の後半です。高校を出て大学に入ったり社会に出たりするその頃の時期に、立派な人はどんな生き方をしたのかというのをよく見ておくと大変参考になります。も一つの時期は五十才から五十五才位ではないかと思います。一つは人生の出発に立って人生というこの大海を前にして、今から泳ぎ始めようとする時に、人はどういうふうにして泳いでいったのかということを見ておく。この時非常に厳しく教えられるものがあります。も一つは人生の荒海を大体渡り切って、もう今から先の方が短い、残りは十年か二十年かそこらではないかという時に、最後のコースはどういうふうに泳いでいくべきであろうかという時に、この人生の最後を、偉い人はどういうふうに泳ぎ切ったかということを見ておく必要がある。今私も読んでいる最中です。人生の生き方というものを考えることの必要な時期があるのではないかと思うのであります。

 転回とは何か、それは奴隷から主人公へということです。奴隷とは奴隷的存在といいますが、何か引きずりまわされ、何かに自分の主体をしばられている。外側から言えば何かに依存している。たとえば奥さんは主人に依存し、会社員は会社に依存している。また、縛られ繋がれている。これを繋縛という。欲に繋がれ、子供に縛られ、愛情にくくられている。そういう繋縛から離れて主人公になるという問題である。それでは会社に勤めている人は会社をやめて脱サラでもやるのか、家庭の奥さんは主人と離婚して独立することか。そういうことではないのです。主人公になるとは立ち上がる、背負う人になる、背負って立つというものである。どんなことを言おうとしているのかというと、禅宗に「随処に主となる」という言葉がある。本当に取り組む、或いは、いやいやながら引きずり回されていたものが立ち上がって、一緒にこの問題を背負うていきましょうというようになる。それが主である。現実に繋がれておったものがその繋縛を脱する、念仏していく。即ち現実というものが「南無阿弥陀仏」と、私の念仏そのものになる。仏様の慈悲にすがって、問題が起れば教を尋ねて行き、解決を得て、「ありがとうございました」と喜んでいた。しかしそういうだけでは依存を脱しない。仏教の奴隷みたいなものだ。本当は仏様を背負って立たねばならない。仏から助けられたら仏を助けてあげねばいけない。そういうものです。現在の浄土真宗をはじめ仏教界がもし停滞しているとするならば、それはみんな仏教にぶら下がっているからである。お釈迦様にぶら下がり、弥陀にぶら下がり、教団にぶら下がっている。ぶら下がり精神ではいかん。親鸞というお方は法然上人にたすけられて、法然上人に最後までぶら下がっておられたのではない。今度は法然上人をたすけてあげた。『教行信証』というものを書いて、法然上人の言わんとされたところ、法然上人が遂に明らかにされなかったところを明らかにしようとした。当時『摧邪輪』という書物が出て、法然上人の書かれた『選択集』は、めちゃくちゃにやっつけられた。

 それに対して法然上人の弟子達は反駁の書物を書いたけれども的を射なかった。明慧上人の『摧邪輪』の方が傑れておった。そこに法然上人の教は地に墜ちていこうとする。そのとき親鸞聖人が『教行信証』を出して本当に法然上人の心を明らかにされた。これは奴隷から主へという例に当らないかも知れないが、法然上人を背負って立つというものである。たすけてあげねばいかん、そういうものが生まれてくる。

 私を縛っておったものが、南無阿弥陀仏と私の念仏になるならば、その繋縛から離れてかえってそれが私の念仏の内容となる。そのとき「親鸞におきては」というものがでてくるのである。それはただ仰せを被ってその他に何もないというのではない。卵がヒヨコになり、ドングリが発芽して一本の木になるようなものである。強いものになる。課題を背負い、仏恩に報いることを念願する身となる。そういうところにはじめて主体の確立というものがある。そこに「親鸞におきては」と言える存在がある。関東の国からはるばる沢山の人が尋ねて来た。そして口々に信心の動揺を訴えた。それに対して、「親鸞におきてはただ念仏して」と言うことができたのである。

 先に申しますように第二章には関東の国からはるばる尋ねてきた何人かの弟子達を前に、親鸞聖人がお答えになったその内容が述べられている。その中心は「親鸞におきては『ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし』とよきひとの仰を被りて信ずるほかに別の子細なきなり」が中心の一つである。またあとの方の「弥陀の本願まことにおわしまさば」と、この二つが大事なところと思います。先般大体のことは申しあげましたが、も一つ補っておきたい。それは「親鸞におきては」という言葉です。

 前にも申しましたが、大事なところになりますと親鸞というお方は「親鸞におきては」というように、ご自分の名前を出しておられる。第六章には「親鸞は弟子一人も持たず候」とあり、後序には「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとえに親鸞一人がためなりけり」とある。このように私といわず自身といわず、親鸞と言ってある。これは大変特色のある言い方です。このことは『歎異抄』だけでない。『教行信証』ではもっと詳しく「愚禿釈親鸞」といってあり(釈は仏弟子)このように自分の名を名のっておられるわけであります。

 これについて考えるのですが、親鸞聖人と直接関係ないが天親菩薩の『浄土論願主偈』に出ています言葉を聖人が解釈された『尊号真像銘文(めいもん)』(略して『銘文』という)にこう言われている。「世尊我一心」(世尊よ我一心に)の「我」ということですが、「我というは世親(=天親)菩薩のわが身とのたまえるなり」とある。世尊というのは釈尊である。釈尊に向かって世親菩薩が「われ」という、それは「わが身」ということといわれている。わが身というのは煩悩をかかえ、色々のトラブルや色々の過去を持ち、色々の係累を持ち、色々の問題をかかえた私、それをわが身という。わが身というのは色々なものに繋縛されている私であります。心はそういうものを断ち切って観念的、抽象的にあることもできるが、身というものは現実とつがなっている煩悩具足である。そのわが身をひっさげて世尊の前に立つ、それを「われ」という。『大無量寿経』を説き、浄土三部経を説かれたその釈尊、いわばよき人でありよき師である。その人の前に立つ時に、観念的な自己でなしにわが身、素裸の自己を提げて立つ。天親菩薩は若い時には大乗仏教を誤解してこれを謗り、小乗仏教にたてこもり、大乗仏教に対する叛旗をひるがえした人である。それが兄の無著菩薩に戒められてようやく大乗仏教に入って、それから色々の大乗の経典の註釈をされた方であります。そういう自分の過去を背負い、わが身を背負って「われ」という。

 今それから考えると「親鸞におきては」という言葉は、まことによき人の仰せを被ってその仰せに対してわが身をひっさげて立つという、そういう自己がでている。親鸞という人は非常に沢山の問題をかかえた人であった。かつては三十五才で流罪になって師匠の法然上人と別れ別れになり、やがて結婚し家庭を持たれた。晩年には関東の地で色々問題が起こり、今はその関東の地から弟子達が尋ねて来た。その理由は自分の長男善鸞のトラブルからおこっている。そういう問題をかかえた聖人が教の前にわが身をひっさげて立つ時、「わが身」凡愚底下の凡夫、そういうものをひっさげて立つところに「親鸞におきては」という自己自身があると思います。

 もう一つは「我依修多羅真実功徳相」。これもやはり『銘文』の中にあげられているお言葉でありまして、『願生偈』の中の言葉です。「われ修多羅真実功徳相による」という。修多羅というのはお経です。真実の教によるという。その時には「我」は「天親菩薩の、われと名告りたまえるみ言葉なり」。「われと名告りたまえる」という。今は冬ですが、やがて春になると麦畑の中からひばりが舞い出て。高い空でピイチクピイチクと鳴く。そこに冬の淋しい厳しい中から春という大自然に遇うたよろこびが「われここにあり」と声高らかにさえずって名のっている。「春に遇うた、春に遇うた」と喜んでいる。それが名告りである。大きな大きな教に遇うた。われ修多羅による。初めて依るべき教に遇うた。その喜びを「われと名のる」といわれた。我々は名もなき民であるが、大きな仏の前に立って、われと名のる。われと名のるというのは、ひばりが春に遇うて喜びをさえずるようにわれと名のる。「南無阿弥陀仏、有難うございました」と名告り出る。「親鸞におきては」といいますと、それは名告りである。煩悩の業障をかかえたそのわが身をひっさげて、よき人の前に「親鸞におきては」と名のる。こう思うのであります。このことを補っておきます。

 それを主体の確立という。他の人はどうであろうとも、私は、ということが言える。それが自己の確立であり主体の独立である。それこそ宗教である。この主体の確立は何やらいばっているのではない。お前達はわからないのか、俺はわかっておるぞ、ではない。そうではなしに、それはわが身である。わが身を抱いて名告り出る。喜びの名告りである。わが身というところに謙虚なものがあり、名告りというところにこらえきれない喜びがある。そこに主体の確立ということがあるのだということを補っておきます。

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