八、『歎異抄』の柱となることば

『歎異抄講読 異義編(第十三章について)』細川巌師述 より

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 さきには、「さるべき業縁の催せばいかなる振舞もすべし」。そこまでを頂いた。ここは大事な所である。『歎異抄』の大事な所を柱にたとえると、柱は二つあって、第一の柱は第九章の「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」南無阿弥陀仏である。「かくの如きのわれら」とは第十三章から言うと、前の方に、「わが心のよくて殺さぬにはあらず」とある。それにつけて「さるべき業縁の催せばいかなる振舞もすべし」とつづけるとこれが第二の柱である。二つの柱を続けて頂くと「わが心のよくて殺さぬにはあらず」「さるべき業縁の催せばいかなる振舞もすべし」「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」となる。『歎異抄』の柱となる言葉。それは第十三章の方から言うと、「わが心のよくて殺さぬにはあらず」「さるべき業縁の催せばいかなる振舞もすべし」これが一つ。も一つは「他力の悲願はかくのごときのわれらがためなりけり」これは第九章である。私はこれが非常に大切な教だと思う。この二つが『歎異抄』を支えている柱と、私は深く感銘している。第十三章には「かくのごときのわれ」という内容が非常によく表されている。「わが心のよくて殺さぬにはあらず」「さるべき業縁の催せばいかなる振舞もすべし」そういうものを内に抱えている。こういうていたらくの私が「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり」である。南無阿弥陀仏である。私は『歎異抄』を何年も頂いて、それが『歎異抄』の中心点であるとそう思うようになった。十三章は長い章ですけどこういう大切なことを教えている。

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