二、宿業はご晩年の聖人のおことばである

『歎異抄講読 異義編(第十三章について)』細川巌師述 より

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 宿業、これは現在の浄土真宗でよく使う言葉ですが、親鸞聖人の言葉としては非常に珍しい。『教行信証』には出てこない言葉であり、『歎異抄』だけにしか出てこないのである。
 『歎異抄』でも、この十三章と後序の最後に出るだけで他には出てこない。それ故、宿業と言うことについて良く理解することが大切である。この十三章の初めには、「故聖人の仰には『兎毛羊毛の端にいる塵ばかりも造る罪の宿業にあらずということなしと知るべしと候ひき、』」とある。後序には「聖人のつねの仰には『弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずればひとへに親鸞一人が為なりけり、さればそくばくの業を持ちける身にてありけるを助けんと思召したちける本願のかたじけなさよ』とご述懐そうらいしことを」そこに「そくばくの業を持ちける身」とある。
 これは聖人のつねの仰せ、聖人がいつも言っておられたという表現になっている。そくばくとは、二つの解釈があり、一つは若干という。もう一つは、底莫(そこばく)で底知れない、底なしという。この文章では第二の意味で用いてある。宿業という言葉を使われたのは聖人の御晩年である。聖人の御晩年の特色は一つには念仏を申すことをすすめられ、二つには法然上人の教をよく頂き、三つには宿業の諦観という点にある。その宿業の問題は、善鸞の義絶に始まるものではなかろうか。

(1)善鸞の義絶
 自分の名代として第三子善鸞を関東へつかわしたのは、親鸞が八十才前後だと思われますが、聖人八十四才の時にこれを義絶して親子の縁を絶たれた。それは善鸞が関東の弟子達を惑わし大騒動を起こして、最後は鎌倉幕府に関東の主な弟子達を訴える等をして、秩序を乱し混乱を惹起した。その責めを負って、義絶して親子の縁を切られた。この事は親鸞にとって非常に大きなショックであったにちがいない。経済的にも困られたことであろう。また大きな責任問題というか、弟子達に申しわけないという気持ちもあられたであろう。そして善鸞を恨みに思い、実にけしからんやつだと言うことになりかねないのでありますが、決してそうではなくて、これを受け留めていきなさった。それはどうして判るかというと、正像末和讃の初めの夢告讃が善鸞の義絶後に出来た和讃ですね。「弥陀の本願信ずべし、本願信ずる人はみな摂取不捨の利益にて無上覚をばさとるなり」(二−三三)。親鸞よ弥陀の本願を信ずべきである。あなたが本願を信じなければならない。本願信ずる人はみな摂取不捨の利益にて無上覚をさとるのであると言う夢のお告げを蒙った。弥陀の本願に立ちかえると言うことを教えられた。そこに、この悲しい現実もわが責任として背負われたお心があらわれている。

(2)その他色々の困難
 御晩年には家庭的にも色々困難があって、末娘の覚信尼が嫁いでいた先の主人が亡くなり、子供二人を連れて戻って来た。それを養ってゆくのに経済的に苦労された。現在残っております手紙がありまして、この娘たちをよろしく頼むと関東の弟子達にお頼みになっているものがあると聞いています。

(3)自己自身の問題
 名利の大山、愛欲の広海、これは『教行信証』に出てくる内容であります。正像末和讃等にも同じような内容が出ていて、内面的に越えなければならない問題を抱えながら「菩薩皆摂取せん」この一語に尽きるようなものが聖人の晩年の特色であった。この御晩年に宿業という言葉が出されている。晩年にだけで、他には出てこない。十三章を頂く上でこのことを注目すべきであると思う。

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