十六、往生浄土の人は正定聚とよばれる

『歎異抄講読 異義編(第十三章について)』細川巌師述 より

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 往生浄土とは、二河の間の白道を歩んで行くこと、つまり、本願の教えを聞いていよいよ自己を知らされてゆくことである。また、幸福追求の名の下に人生を右往左往することから翻され、垂直方向に進むべき方向をもつに至ることを往生浄土という。往生浄土のひとは「正定聚(不退の菩薩)」とよばれる。
 正定聚は仏道を体得したひとであり、それゆえ、「真の仏弟子」ともよばれる。正定聚には、次の四つの特徴が備わっている。(一二−一一九)

(1)聞くべき教えをもつ(荘厳妙声功徳成就)
 聞くべき教えとは南無阿弥陀仏の本願である。かつての西洋人ならば、ただ一冊本を選べといわれたら、『聖書』を選んだであろう。日本人なら、『歎異抄』を選ぶと言ったひとがいる。わたしならば、『島地聖典』を選びたい。これ一冊あればよい。わたしはこの聖典を六冊もっている。二つの仏壇の前に二冊、書斎の机上に一冊、枕元に一冊、鞄の中に一冊…書棚に一冊、聞くべき教えをいつも持ちうることの幸を思う。

(2)(あるじ)をもつ(荘厳主功徳成就)
 主は、昔は主君、大君といわれた。君に尽くし命を捧げる対象をもつことを主をもつといった。だが、現代では、もうそんなことはいわない。だが、本願の道に立つと、主をもつようになり、われわれは臣となる。仏を法の王、われらを法の臣という。

(3)友を与えられる(荘厳眷属功徳成就)
 この友は、以下のようなはたらきをもつ。
 ◇わたしを勧め励ます。…勧励
 ◇わたしの証人(あかしびと)となる。私に勧めたことを自ら実行し、その正しいことの証人となる。…証誠
 ◇わたしを護り念じる。…護念
 ◇わたしを評価し、褒めてくれる。…讃嘆
 このような友は、つくるものではなく、如来により、求道において与えられるものである。

(4)転悪成徳(荘厳清浄功徳成就)
 どんな悪を犯しても、転じられて南無阿弥陀仏となる。人生の失敗が念仏となる。

以上の四つは、わたし自身が知らされていくことにより与えられる功徳である。それが、即ち往生浄土の功徳である。そして、ここに至るはじめが本願をたのむことであった。

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