七、廻心によって人はどうなるか

『歎異抄講読 異義編(第十三章について)』細川巌師述 より

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 廻心によって人はどうなるかと言うと、「われは悪し、罪人(つみびと)われ」とめざめる。これが、「自らが身をよしと思う心」が転回された廻心の姿である。頼むべきは如来、「如来まします」と目が覚めることである。そこに、はからい多い私と知り、人の悪口を言わなくなる。それを廻心と言う。
 何故そうなるのか。「南無阿弥陀仏」はサンスクリット、印度の古い言葉でその意味は光明無量(アミタユース)、寿命無量(アミターバ)という働きを言っている。それを合わせて南無阿弥陀仏という。従って南無阿弥陀仏とは大いなるものの働きかけを言っている。その働きかけを本当に聞いて、聞きひらくと言う事が南無阿弥陀仏との出遇いである。光明無量に照らされて、われは悪しとなる、目覚めるのである。
 そしてそのままが如来の御命に摂め取られて念仏になってゆく。われは悪し、罪人われと目覚めて、南無阿弥陀仏と念仏になってゆくことを廻心と言うのである。それを殻が破れると言う。
 「悪は往生の障りたるべしとにはあらず」。これがわかった人を菩薩と言う。菩薩とは如来、即ち仏陀の一歩手前まで来た、そういう成長、即ち卵からひよこになり、ひよこが雛になった。そして親鳥の一歩手前まで来ている。そこまで卵が成長した。この成長を凡夫から菩薩になるという。これを殻が破れたという。そこにはじめて人間が救われていく道がある。殻が破れた姿がある。それが本願に救われた姿である。「悪は往生の障りたるべしとにはあらず」本願を信ずる。自力の心を翻えされて、廻心していく所に救いがある。
 その時「海川に網をひき釣をして世を渡る者も野山に猪を狩り鳥を捕りて命を繋ぐ輩も商をし田畑を作りて過ぐる人もただ同じことなり、さるべき業縁の催せば如何なる振舞もすべし」ただ同じことなりとわかる。
 海川に網をひき釣をして世を渡る人と言えば漁師である。野山に猪を狩り鳥を捕りて命を繋ぐ輩とは猟師であろう。商をするは商人である。田畑を作りて過ぐる人は農家である。
 昔の封建制は職業を持って代表することが出来る。家代々の職業を離れることができない。漁師は海や川で、又猟師は山に野に生き物の命を取って、わが命を繋いでいるという拙い生き方である。商をする人は安く仕入れて、高く売るという才覚を必要とし、田畑を作る人はいつも苦しい労働に追いまくられている。
 そういうように人には皆差別があるが「ただ同じことなり」。何が同じことか、「さるべき業縁の催せばいかなる振舞もすべし」。業縁、縁一つではどんな行動でもとるような業因を内に抱いている。さるべき、しかるべき縁が起こったならば、どのような人もどんな事でも仕出かすのだ、そういう業因を抱えている。「皆同じことなり」これは物凄く深い教ですね。徹底した人生観、人間観。それを仏智という。人間の智慧ではそうは見えない、偉い人は偉い、あんな人はそんな事をする筈がない、この人ならこんな事を仕出かすだろう、と思っている。われわれはこのように考えて、人間を区別する。しかし如来の眼からご覧になったならば、人は皆、どんな事でも仕出かすようなものを内に持っておる存在とお見透しである。この如来のまなこに映る私の姿が、廻心を通して我々の上に成り立って来て、人間を見る深い自己のまなこになる。どんな人も、どんな事でもしでかすものを持っているのだ。南無阿弥陀仏と念仏になる。「さるべき業縁の催せばいかなる振舞もすべし」、南無阿弥陀仏である。
 前にある「わが心のよくて殺さぬにあらず」につづけて「さるべき業縁の催せばいかなる振舞もすべし南無阿弥陀仏」「ただ同じことなり」そういうことがわかるようになる。
 新聞紙上を賑わす色々の問題がある。上は総理大臣から下は一般の人までたくさんの問題をひきおこす。新聞には昨日も今日も明日もそれが出てくる。こいつはとんでもない奴だ、実にけしからん奴だ。こんな事をするとは思わなかったというような事がつづいて起こる。しかしわが心のよくてなさぬにはあらず、私にはそういう縁がなかった。けれどもそういうものを仕出かすものを皆持っている。縁一つでどんな事をも仕出かすのが人間であって、あなたも私も皆、「ただ同じことなり、南無阿弥陀仏」といえる所に深い仏智がある。深く人生を見通す力を与えられるのである。それを「ただ同じことなり」と言われている。
 人間の考えでは偉い人は偉い、つまらん者はつまらん。優勝劣敗という差別心を持っている。そこに優越感と劣等感、自分より上の人を見ると劣等感に陥り、下の者を見ると優越感にひたる。それを差別心という。それを自力の心というのである。それをここでは邪見という。
 如来の前に、人間は本当に、「石瓦つぶて」のような無価値な存在であり、微塵の故業と随智だけを持っている代物である。その者が如来の前を生きる人となるとき、身分とか、位とか、金を持っているとか、持たないとか、学歴があるとか、ないとか、人格が高潔であるとか等に執われない。人間の深い差別心を打ち砕かれた、優越感も劣等感もない、本当の智慧者となる。そこに「さるべき業縁の催せばいかなる振舞もすべし」という聖人の仰せに本当にうなづく人が生まれる。
 朝廷の誤った裁判、それによって苦しい流罪の日を聖人は三十五才から五年間、経験された。善鸞の義絶によって八十四才から九十才の御晩年の生活に大きな打撃を受けられた。こういう事が起こって朝廷や善鸞に対する怨みつらみがあったかとわれわれは思うが、聖人は「ただ同じことなり、さるべき業縁の催せばいかなる振舞もすべし南無阿弥陀仏」と申された。
 朝廷の誤った裁判によって、たいへんに聖人の運命が変った。しかし、「菩薩みな摂取せん」これが御本典の最後の言葉である。誤った裁判も私の受け取るべき現実、受け取るべき業。「他力の悲願はかくの如きのわれらがためなりけり南無阿弥陀仏」とそれを受け止め、それを背負っていく所に親鸞と言う人の生涯があった。そこに人生を生き抜くというか、どんな問題でも背負って生き抜く力を与えられた、そういう念仏者の姿が出ている。この章ではことに、善鸞の問題を受けとめ、背負った晩年の聖人の力強い姿が出ている。そういう姿が十三章に伺える。

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