六、聖道門

『歎異抄講読 異義編(第十二章について)』細川巌師述 より

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 「学問を旨とするは聖道門なり、難行となづく」。これに対してその前には「一文不通にして経釈のゆくちも知らざらん人の称へ易からんための名号におはしますゆゑに易行といふ」とある。易行に対して第十二章は不学難生といって、学ばざれば生じ難し、すなわち学問をしないと往生浄土は不可能であると言っている。そこで学問の意味、わけがらを明らかにしようとして「学問を旨とするは聖道門なり、難行となづく」という。

 往生浄土門は本願名号が中心である。旨というは宗、根本の中心点。宗は家の最も高いところ、棟に通ずる。学問を旨とする聖道門は、学んで悟りを開いて仏道を成就しようとする。そのゆきかたを教理行果という。教を勉強して真如法性の道理を学び理解して行ずる。行は戒を保ち定を修める、すなわち生活を正し、煩悩の起こらないように戒を保ち禅定に入り、心を統一して真如の道理を心に思い浮かべそれを理解しようとする。そして結果を得よう、悟りを得ようとする。悟りとは何か、真如の世界を認識して仏となる。自覚覚他、自らにめざめ他を目覚めしめる力を得るという、教理行果ということがなされる。従って教を学ぶ、即ち学問ということが聖道門の根本になるわけである。

 聖道門では学問が中心となって学問を旨とし、戒定という行を重ねて進んで行く。それが行き方である。それが難行であるとは何か。何故難行かというと、教理行果と、学問し実行する上で必要なものの一つは指導者である。これは聖道門だけに必要であるのではない。仏教全般についても言えるが、聖道門では特に指導者が必要なのである。道理を学ぶその道理が主観的な解釈であってはならない。また戒定の行をやっていく上では、徹底的に正しく行を教えてもらうことが必要である。解行(げぎょう)ともに指導者が大事である。第二は素質、学ぶ者の資質である。困難な行があり、深い道理であるので、優れた資質を持っていないとできない、また実行が続かない。そのように優れた指導者と優れた素質を持つ弟子との二つが現在は両方ともなくなっている。それを予言したのは『月蔵経』である。

 「又云く 経の住滅を弁ぜば、謂く繹迦牟尼彿一代、正法五百年、像法一千年、末法一萬年には衆生滅重し諸経悉く滅せん」(一二−一九〇)

 また「『大集月蔵経』に云はく「佛滅度の後、第一の五百年には、我が諸の弟子()を学ぶこと堅固なることを得ん 第二の五百年には、(じょう)を学ぶこと堅固なることを得ん 第三の五百年には、多聞(たもん)読誦(どくじゅ)を学ぶこと堅固なることを得ん 第四の五百年には、塔寺を造立し福を修し懺悔すること堅固なることを得ん 第五の五百年には、白法(びゃくほう)隠滞(おんたい)して多く諍訟有り、(すこ)しく善法有りて堅固なることを得ん」 (一二−一八九)

 仏滅後第一の五百年は、戒定慧を行じて自覚覚他の人が誕生して、この三つが共に具わっていた。その時は優れた指導者も残っており、勝れた素質の人もおり、戒定慧を具えた人も残っていて慧を学ぶこと堅固。第二の五百年には戒定をやるけれど、慧にいたる者がいなくなった。第三の五百年には戒定を学ぶ者もいなくなり、もはや定もなく戒もなく多聞読誦、お経を読むだけになった。第四の五百年には、もはやお経を読む人もいなくなった。造立塔寺、形だけのものとなった。第五の五百年にはそのような人もいなくなり、清白の法隠滞して多く言い争いが起こり、仏法を学ぶ者も訴訟をするようになった。諍は言い争う、訟は裁判に訴える、そこで仏法はなくなった。このように予言されていたが、この説をみると次第に指導者もいなくなり、だんだんと学ぶ者の素質も落ちてくる。この両者が年と共に衰えてとうとう仏法はなくなるといわれている。

 

『大集月蔵経』     『月蔵経』
 第一の五百年 戒定慧 …………………     正法五百年
 第二の五百年 戒定/ …………………  }    像法一千年 
 第三の五百年 ///・多聞読誦 ………
 第四の五百年 造立塔寺 ………………   }   末法一万年  
 第五の五百年 諍訟 ……………………

 

経道滅尽とは末法一万年においては仏法を修行する人は無くなってしまうことを言う。現在は仏滅後三千年位で末法の時代である。それがもうしばらく経つとやがて仏法は無くなってしまう。正法五百年、像法一千年、末法一万年で、戒定慧を学ぶものは全くいなくなるといわれている。

 しかし現在やはり聖道門はあるではないか。真言宗も禅宗・日蓮宗も他の仏教も信者がたくさんあるではないか。それであるのに聖道門は亡んでしまうといわれるのは何故か。

中村元著『往生要集』に、源信和尚(天台の有名な指導者、『往生要集』を著す)について述べられている。和尚は今から約千年前のお方であるが、明治までの宗教家やお坊さんのなかで最も優れた方であるといって、次の二点が挙げられている。一つは明治までの僧侶のなかで最もたくさんのお経を読まれた方である。それは、源信和尚の書かれた書物に引用されたお経の数が、他の人と違って非常に多い。それほど勉強された。二つは、日本の僧侶の書物が外国で読まれ尊敬されたのは唯一つしかない、源信和尚の『往生要集』である。これは中国に渡って宋の天子が、「南無日東の源信如来」と言って拝んだ。そして『往生要集』を収める大きなお寺を造りこの中に宝物として入れた。それほど偉い人である。

 その『往生要集』の終わりの方に、聖道門の諸行往生の章がある。その譬えに次のように説かれている。大きな象が小さな所に閉じ込められていたが、ようやく悪から外に出ることができた。ところが最後にその象の尻尾が窓に引っ掛かりそれでとうとう出ることができなかった。大きな体が出たのに尻尾が引っ掛かることはあり得ないが、何を言っているのかというと「行人の家を出ずるに遂に名利の為に縛せられる。即ち知る真理最後の(うら)みは名利より大いなるはなし」これが聖道門によって仏となる教を説いた最後に出ていて、非常に象徴的である。この象と尻尾の譬は、修行者が仏法を求めて、家を捨て職業を捨て出家するが、最後に(しば)られて身動きできないのは名利の為であるという。これは源信和尚自身の体験なのである。聖道門の教というものは学問を中心として道理を学び修行して悟りを開くといういきかたで、そこに大きな落とし穴がある。名聞利養である。名聞、俺もしっかりやった、日本一、あるいはこの付近で第一人者と言われる程に褒められてしかるべきであろう、誰も褒めなければ自分で褒めようという。利養はこれでだいぶ金が儲かる、幸福が得られる、こういうものを利養という。そういう心が離れない、それを言っている。学問を中心としてやると仏道も最後は名聞利養となる。その名利が人間の力では断ち切ることのできないものである。従って聖道門は最後の段階でこの世に執着する煩悩を離れ得ない。

 聖道門では人間が学問をし教を聞いて学んで、言われた通り実行して進んでいくが、最後に無くならないものがある、名利である。名利がなくならないと仏教をやることが結局、幸福追求になる。幸福になるための仏教、この世を病気をせず健康で人からもよく言われて、家内安全、こういうようになる為に宗教を求めている。宗教の道具化、手段化である。手段として仏様を道具に使って自分のために仏法を学んでいこう、仏法を学んで自分が幸福を得ようとする。本当の仏法にならない。仏法は道具、自分を幸せにするために道具として使っているので、仏法を本当に学んでいるとは言えない。ここが聖道門の弱みである。現在の聖道門はみな、お守り札を売ったり、見学料を取ったりして仏教としての道をはずれている。

 源信和尚は比叡の山の中、境川という人里離れた所に()もって一生出なかった。名聞利養を離れて隠遁生活を送った。そして往生の要は本願念仏にあることを教え、自らも実行された。このことが非常におもしろい。学問を旨とするとどこが難行なのか、結局名聞利養、幸福追求を離れない。仏法を道具に使って幸福追求の道具としているのである。それを難行と言う、実際には仏教の心が成立しないのである。

 聖道門は、外の形は残っていても、内容は仏道でなくなってすでに崩壊している。

 

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